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本当の才能を生かす仕事とは

 僕は昔から心の片隅で、この世に生きてきたからには何かしらの分野で名声を得ることが成功であり、人生の目的だと信じていた。
 少年時代によくある「偉人の業績」を称える児童書に染まっていたのかもしれない。生まれてきた以上、どうにかして後世に名を残すような輝かしい社会的地位まで上り詰めること。それが人生の定義だった。
 もちろん、僕は怠惰で能力もないから、そうなったらいいなという漠然とした気持ちしかなくて、毎日を無駄に過ごしてきて今があるわけだが。
 むなしく時間が流れるままに生きてきて、僕も随分と齢を重ねた。
 名声どころか、今ではすっかり落ちぶれてしまい、ごく普通の人生を送ることも諦めざるを得なくなってしまった。
 教科書通りに生きるならば、たしかに世のため人のために何かしら大きな仕事なり活躍なりをして、惜しまれて世を去る人生が正解なのだろう。
 それは現在でも人生の目的として否定はしない。
 だが、偉業を成し遂げられる人物は、いつの時代にも一握りしかいない。大半の人々は無名のまま消え去る。当たり前のことだ。
 夢を信じて努力すれば願いは叶う。そんなフレーズは欺瞞でしかない。努力しても、大成なんかできはしない。
 無駄に消えていく数多の命の灯の中には、何が見えるのか。
 天才たちの栄光の陰に消滅していく無数の人々。ほぼ人類の総和に等しい彼らの生きた意味とは何か。存在理由とは何か。
 昔の自分なら、ただ生きて死んでいっただけの人々、と答えただろう。
 今の自分は、少し違っていて。
 評価などされない。思い出してももらえない。そんな人々には価値はないのだろうか、という問いがあったのなら、否と答えるだけだ。
 称賛なんかそもそも必要ないし、名を残すのが人生の目的ではないと、教科書通りでない、本当の人生の有りようを表現すればそうなる。
 偉人として歴史に名を刻んだ人物は、そもそも歴史に名を刻もうとは思っていないし、彼らはたまたま偶然、世の中に影響を与えただけだ。
 目標に向かって人生を切り拓いていった人たちは、そうするのが好きだったから。努力でもないし、成功や名声などには、てんで興味なんかない。
 彼らはおそらく、こう呟くだろう。
 人の評価を気にして何が楽しい? 忙しいんだ、と。
 そして、ただ生きて死んでいっただけの人々もおそらく、同じだ。
 やるべきことがあるし、やりたいことがあるから、忙しいんだ。
 ぶっきらぼうにそう答えて、そそくさと僕の問いを蹴っ飛ばしていく。
 才能を生かす仕事、とタイトルに記したが、それは社会的な評価とは無縁だ。評価なんかそもそも求めてはいけない。自分が楽しくて、自分を満足させてくれる活動に全力を尽くす、という「仕事」をすること。それが才能。
 自分が好きな「仕事」はその人のもので。誰にも定義できない。
 たまたま社会的に認められるか、否かの違いはあるが、とにかく楽しくて。他人が勧めようが、非難しようが、お構いなしで。
 そんな「仕事」を見つけられたら幸いで。
 「仕事」が見つからない人たちは、つまらないと嘆いて世を去るだけ。
 さあ「仕事」を探そう。生活のためなんてチンケな仕事じゃない。
 自分のやるべきことと、やりたいこと。
 そんなの自己満足じゃないか、と思われるかもしれない。
 だが、人生なんて自己満足でしかない。いやなら、ドロップアウトすればいいし、みんな消えてる。電車にこれまで何人ダイブした? ビルの屋上から何人天使のように跳んでいった?
 人生は自己満足だ。
 つまらない世の中を面白く。高杉晋作ではないが、世の中を変えられなくても、自分の人生は変えられる。
 自分を最高にもてなしてくれる「仕事」をしよう。なければ、探そう。
 やるべきことをやって、やりたいことをする。
 誰にも定義なんかできない、ひとりひとりの「仕事」を探し、見つけ、全力を注いで人生とやらを謳歌してみるんだ。
 人生は他人の評価ではなく、自分で価値を見出すもの。
 自分の人生にどんな価値をつけるかは、自分次第。あなた次第だ。
 僕も忙しいから、この辺で失礼するよ。じゃあ、良い人生とやらをお楽しみください。あなたの未来は変えられる。あなたの過去は永遠に真実となる。今は「仕事」で忙しい、そうだろ?
 
 

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