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2021.09.25

泣いた😂静かな愛で満たされてる感じ😂
思い出しても泣ける😂😂😂


【今日教えてもらったこと】 


人間は神様だということ。

神社では
神社の氣=環境(境内内や御神体、自然)
を使って
自分自身を払い清めるもの。
どちらかというと外的要因になる。


その環境を訪ねていくことによって、
【起こる偶然】から、
自らに氣づいていく感じ!


お寺や仏教では
自分が神様であることを
思い出せるように存在するもの。

→生活と密接に関わることで
覚えていけるように、思い出せるように。

どちらかというと内的要因になる。

→自ら神様であること、自分であることを思い出すために、忘れないようにするための、アプローチ。智慧。学問。

→神社だと八百万の神なので
『なんでもいいよ〜!いえーーい!』
っていう感じなのを

ツアーコンダクターみたいに
生き方の指針を与えて
それをヒントに自ら氣づくのが仏教。



☆だからどっちも大切。どっちも必要。

☆神社ブームがきたのは仏教の大切さもこれから伝わっていくため、そして、仏教自身が世の中に届く形で変容していくためもある感じがした。

手とか足とか体も五感もすべて
愛を伝えるためにある。
特に手からたくさんの愛を
生み出して生きている。

【時間】
16分

【音】
♯ド→③のときレ(感情を動かした)
→⑥のときミ(浄化)→御釈迦様のシーンはラ

【テンポ】
ひたすらにゆっくり。

【祈り】
今日は、いつも通りに唱えていたら、
ふと祈りたくなったから祈った。

御先祖様に命をつないでくれてありがとうということと、御先祖様ができなかったこと、やりたかったことは、私が一生懸命にやるから、私の身体を使ってやらせてください。
って祈った。

→朝、ビートたけしさんの
記事を見たのがきっかけ!(あとでかくね!)



【見えたこと】




海。1人の男性が岩場で釣りをしてた。
天氣は曇り。
波の音、水面の煌めき、を感じて
風を見て感じて、釣りをしていた。

終わったら船を漕いで、家に帰る。
ゆっくり、ゆっくりと。
水面には魚が泳いでいて、それを見たり、
沈みゆく太陽を見送って、帰っていく。

感じること、全てを大切にしながら、
ゆっくりと、流れるように帰っていく。

服装的に、どうだろう...昔な感じ。
直感だと鎌倉時代な氣がする。
でもまあそれぐらいに昔な感じ。

滝を見にくる。滝の荘厳さを感じて自然と手を合わせる男性。①と同じ人。
そして夜は滝の裏の洞窟で星を眺める。
満天の星空があまりに綺麗で
私も泣きそうになった。
男性はこの世界に生きていることを美しい星を見ながら感謝の氣持ちに溢れてた。あとなんとも言えない不思議だけど心地よい感じに包まれていた。


男性は農作業もやる方みたいで、
馬や牛を撫でながら『頑張ってくれてありがとう』と伝えていた。

野菜や米も出来上がったら、
『ありがとう』と思いながら収穫して、
自然の豊かさや流れの壮大さに想いを馳せてた。これは彼の無意識的な感じだったけどもそんな感じ。  

彼の手にフォーカスが当たった。
じんわりとしたエネルギーが出ていた。

奥さんかな?家族で味噌を作って手でかき混ぜてる時にも、『ありがとう』って思ってた。

かき混ぜてる奥さんの手にもフォーカスがいき、エネルギーが出ていた。

味噌の大豆や菌たちも穏やかなエネルギーで喜んでるのが伝わってきた。牛も馬もみんな嬉しそうで。

これらの動物や植物、菌類は、自分たち同士でももちろん愛を育み成長していけるのだけども、そこに人間が加わることで、それ以外のものたちのエネルギーがブーストするんだなあって思った。

動物、植物、菌類のもってる愛を、大きくしたり、加速させたりするのが私たち人間。

だから人間は、神様なんだと感じた。

神様事を、生活の中で、無意識にたくさんしてる。無意識にやっていることを『ありがとう』って意識して思えば思うほど、パワーアップする。そんな存在。だから神様とやっていることは何ら変わりないんだなあって思ったなあ。

そして日本の文化、風習、生活の本当に細かいところまでに神様事が根付いていることや、それらが残ってることも感じて感動した😂😂

そして『手』を通して愛を伝える風習や習慣が生活に根付いていったことに愛を感じたし、
その流れができたことにも愛を感じた。



場面は全然変わる。

時代は1920-30年代とかそれよりちょっと前かぐらいな感じかなあ?

重厚感のある木製の振り子時計が見えた。

フランス?なのかな?
マリリンモンローみたいな髪型の
ブロンドの女性がいた。

その女性が時計を手で撫でて愛でていた。

そして写真や置物を飾ってある、棚も撫でて愛でていた。味がある茶色。棚の足が曲線で取手は簡素?だけど品がある感じでちょっと和風箪笥の取手に似てた。

『祖父が大切にしていた棚なの。』

そうパートナーに告げて机で手紙を書いていた。アロマを焚いて、作業に勤しむ。

国も違うけど、こうして手から愛を紡いで、生活に根づくことを感じた。


来客。頼んでいた卵を売りにきた三つ編みの金髪だけどちょっと黒が入った感じの女の子。

ブロンドの女性はお金を手渡し、家に戻る。

三つ編みの女の子は怒っていた。

軽々しく買えることに、怒っていた。

自分はあくせく作業をして、
鶏たちの命の営みがあって、卵があるのに。
何であんなに薄情なの!?
ってすごく怒ってた。


愛がすれ違っているだけなんだ、と感じた。

三つ編みの女の子は、自然や命の営みや食べ物があることが当たり前じゃないことを感じる生活をして、それをしっているから、そこに感謝が湧く。

一方、ブロンドの女性は物にはたくさんの人の想いがのり、自然があって、作る人がいて、大切にする人がいる、その想いや時の長さに愛を感じている。

卵にも感謝はしてないわけじゃないんだけど、フォーカスはどっちかというと、骨董品というか物であるだけで。

どちらも愛に溢れて生きていた。  



それから色んなシーンがフラッシュバックしてわからなかったけど、愛すること、怒ること、を繰り返していた。

だからこの世界で起きる争いは、愛によるすれ違いなだけだということ、善悪に図れないこと。みんな愛だと氣づけばいいんだと感じた。



この前、御釈迦のお話の時に
見えたような宇宙がみえた。

『お釈迦様が見えた日 9/19』


そして、地球が見えた。地球の上には輪っかがあった。色は↑の宇宙の光と同じような、紫のようなピンクのような白のような、うまくいえないけどそんな感じ。黒もある。(まわりに)

みんな繋がってるのだということを教えてくれた。

その輪っかは日本に落ちていった。




真っ白な世界に私がいた。
愛を感じて感動する私が浮かんで立ってた。

御釈迦様がこの前会った世界から
こっちにやってきた。

御釈迦と私がその白い世界にいた。

なんか私はひたすらありがとうと思って伝えてた。涙がポロポロでてきた。教えてくれたことにもありがとうだし、この世界にもありがとうだった。

御釈迦様は撫でるように私の身体に手を沿わせてから、私を手にのっけてくれた。

目の奥にはこの前見たのと同じ宇宙があった。

それを見ていたら、天使?なんだろう、白い服を着た人たちが4.5人ぐらいが集まってきて、

私にひたすら大丈夫、大丈夫と言ってくれた。

この前見た4.5人の人たちと容姿は全然違うんだけど、けどエネルギーは似てたと思う。

『4.5人の人と会った日 9/20』

だから、優しくてあったかくて、またポロポロないた。(ここで音がミ→ラ)(個人の浄化→上がっていくかんじ)

泣いていたら、よく見えなかったんだけど
突然私の下から白い板と赤い炎?みたいなのが出てきて、そしたら天使みたいな人が私を使って、ボーーーーーーーって上に上がったんだよね。

書いて思い出すと笑ける🤣🤣🤣
その時の私はびっくりはしてたけど、またいつもの感情は震えない驚き方をしてた。(意識の中の特有のやつ)

御釈迦様は私を見上げて、『いってらっしゃい』と言って私を見上げてた。穏やか御釈迦様というより、かっこいい感じだった。笑

ひたすらにすごいスピードで上に上がっていく。

そうこうしていたら、部屋の映像がら見えてきたので、止めどきだと感じて、唱え終えた。


※体感は個人の感想です♡
※こんなことがあるのか〜!っていう
フィクションの読み物として
お楽しみくださいませ♡



つづく

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