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2021.09.19

今日見えたの面白かったーーー😳✨

【時間】
15分

【姿勢】
なんとなく、今日はソファで仰向けで寝ながら唱えてた。

【音】
♭ド→ド→シ
深く入っていくにつれて音も下がって行ってた!


【見えたこと】

宇宙の根源と数の成り立ち?と彼岸を見たのかなあと思った!(明日お彼岸だから?)



ブラックホール?みたいにぐるぐるしてる渦?が見えた。
色はブラック一色じゃなくて黒と紫とピンクで漂ってる。
回ってるような回ってないような、
とにかく漂ってた。

黒いなあ〜!宇宙ってこんなんなのかなあ?
と思っていたら、
真ん中に吸い寄せられるように焦点が当たる。

真ん中に吸い込まれてみると、
そこは真っ白な真っ白な世界だった。
白しかない。何もない。

だから宇宙(みえた渦?)の存在自体が
黒白の陰陽で本当に成り立ってて、
しかも球体というか立体的で
宇宙が生命として生きて存在してるんだなあ
って感じた。

そこからその宇宙が
どんどん分裂していった。
1つから2つ、3.4.5...とふえた。

それぞれ分裂して別々に立っているけど、
よく光の線を見ると繋がってるんだよね。

(黒紫ピンク白の光が、
シナプスみたいに増えていくの!)

2...分裂したけど繋がってる
3...三角に並んでぐるぐる回ってた
4...四角になって回るスピードが安定
5...三角錐?っていうんだっけ?その形になって突き抜けて進んで行ってた!
6...7...8...9...分裂していったけど形はあんまり覚えてない🤣

この時ちょうど、

これ人の身体の中でも
同じこと起こってるよなあ


数と図形の成り立ち、それぞれの数と形が持つエネルギーってやっぱあるんだなあ

って思ってた😳

場面が変わり...



お花が咲いてて、のどかなところにきた。
空の上にプカプカ浮かんでる島みたいな感じ!

①で出てきた
ブラックホールの中のホワイトホールの中の世界だなあと直感的に思った。

唯一不思議なのが
ドーーンと大きく御釈迦様がいること。

めちゃ大きくそびえたってるけど、
御釈迦様自体は本当は小さくて遠くにいるんだなあと思った。

遠くに居るのも目の前に居る巨大なのも、どちらも御釈迦様だって思った。
 
私が御釈迦様に手を振ったら、めちゃ巨大な手の上に乗せてくれた。

手の上から見える世界は穏やかで美しかった。
自然豊かで、人も走っててみんな手を振ってくれた。

奥の方は白いモヤがかかってるけどその奥黒くては宇宙だとわかった。
(めちゃ距離あるはずなのになぜかわかった)

それで、御釈迦様の目を覗いてみたら
さっき①で見えた【黒紫ピンク白の宇宙】が
瞳の奥にあって、
その奥にホワイトホールがあって、
その奥にこの世界があって...っていう
合わせ鏡をした時みたいにずーっと続いてた。

宇宙は果てしなくてどこまででも続いてるんだけど、それは瞳の中というすぐ側にあるんだということが感じた。

それをみた私はびっくりしたのか、腰を抜かして手の上で転んだ。笑
(現実のびっくりした時みたいに感情がない、動かないから、おそらくそうなんだろうなあって感じ)

それを見て御釈迦様はニコニコして
私を空中に放り投げた🤣🤣笑

放り投げられた時も怖い!とか死ぬ!とかさっぱりないの。【感情が無

『わ〜浮かんでる〜〜』と思いながら一回転して空を飛んでた。さも当たり前かとように飛んでた。氣持ちいいな〜って感じ!

そのまままた御釈迦様のところに戻って頬擦りして、ハグした。
私だけじゃなくて、
入れ替わりでみんな戯れてわちゃわちゃしてた🤭


下の草原に降りた時

今、課題としてぶち当たっているMさんと
どう関係を育み合えるのかのいう質問を
私はお釈迦様に尋ねていた。

『穏便に温かく育み会いたいです。』と
言葉にしてなくて、意識で伝えてた。
というか喋らなくても分かる世界だった。

そしたら
『できるよ』って聞こえた。

どうしたらできるかと尋ねると
『流れに乗りなさい。』っていう返答がきた。



④のやりとりやお釈迦様の返答に対して
『そうだよな〜と思ってると

今私がいる島は
蓮華の花のような形であることに氣づいた。

島の周りにもたくさんの蓮華の花?島?が
プカプカ浮かんでる。

みんな流れるように進んでいた。

島の上から、他の蓮華の花を観察してると、
その中でそれぞれの人生ドラマを
楽しんでるシーンがあった。

ドラマにハマりすぎると蓮華の花のような島は動きが遅くなって、流れから外れていくんだよね。

だから
私がいた御釈迦様のいる島に近いところの蓮華の花の人たちはみんな穏やかに過ごしていて、
お釈迦様から遠いところにいる人たちは
沈みそうになって大変そうだった。

人生は力を抜いてリラックスして委ねるのが最大のコツって聞いたことあるけど
それを表してるのかなあと思う現象だった。


だから
御釈迦様のいる島の流れに沿うことは
心地よく生きるのにとても大切なんだなあ
と思った。

そして
『冒険したい!経験したい!』って人は
敢えてお釈迦様の島から離れていったから
お釈迦様と共に居る人たちが
『いってらっしゃーい!』ってしてた。

御釈迦様のいる島は、
いつでも帰ってきていい場所だった。


冒険で疲れたら、帰ってのんびりする。
いつまでも居てもいい。
そして、行きたくなったら行く。


御釈迦様の側で冒険する人もいれば
好奇心で離れて冒険する人もいる。

こうやって私たちは選択をして
生きているんだと氣づいた。


よく宗教の勧誘の文句として
ネタに取り上げられる

『私たちについてくれば大丈夫です』
『信じるものは救われる』『私たちと生きよう』

みたいなセリフも
元々を辿るとこういうことか!と氣づいた。
だからあながち間違ってないなと🤣笑


御釈迦様はただ居続ける。流れに乗り続ける。
共に着いていく人もいる、離れる人もいる。

ついていく=
○リラックスすること
○自分と繋がること
○感謝する氣持ち




だから何かあったら
ここに帰って来れば大丈夫だなあ〜
っていう感覚になった。

そうこうしているうちに、
私も蓮華の花に乗って、
御釈迦様の側を漂ってた。

プカプカ浮かんでいるところで
そろそろ戻らなきゃいけない氣がして
目を開けた。


※体感は個人の感想です♡
※こんなことがあるのか〜!っていう
フィクションの読み物として
お楽しみくださいませ♡


つづく

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