毒親と、ゆっくり休むと腹痛になる29歳
5月も半ばを過ぎて、来週から新しい仕事が決まって、いまは気持ちを落ち着けようと、家でゆっくりしています。
ただ、なぜか大好きなおふとんに入って、ゴロゴロしていても、おなかの上の方がぎゅううっとなってきて、いつもなるけど、これはなんだ!となったので、今回思うところを書きます。
なぜ休めないか
そもそも、最近になってやっと、自分は休むのが苦手だと気付いてきました。
ずっと「無理をしまくって超がんばっている状態」じゃないと怒られると無意識に思っている気がします。
休むためには、体調が崩れているなどはっきりとした許される理由を持っていないといけないという義務感(?)から、腹痛だったり抑うつだったりを引き起こしているような感じさえあります。
思い返せば29年間生きていて、小さいころからずっとそうでした。
この現象の理由として思い出せる一番新しい記憶がひとつあります。
大学院生時代に母から受けた激やば発言
大学院のとき、わたしは海外の学校へ行っていたので、一時帰国する機会がありました。
そのとき、久しぶりの日本だったので大好きな温泉にでも行こうとひとりで温泉に行ったところ、母に「こっちは仕事なのに温泉なんか行きやがって」的なことを言われました。
おそらく留学前から、このような発言をよく受けてたはずですが、自分にとって当たり前のことすぎて、変なことを言われたことに気づいていなかったのだと思います。
海外へ行って、別の価値観や外国人の友達の考え方などを知って、少しずつ当時の自分を取り巻くいびつさに気付けるようになった気がします。
今も、感じ方や思考のおかしい部分を完全には認識できていないとは思いますが、5年くらい前に夫と結婚するタイミングで私の家族と縁を切って、だいぶ改善されました。(たぶん)
休むと変な気分になる
つまり、いわゆる毒親的な発言や態度を幼少期から受け続けていたので、大人になって、しかももう関わらない状況でも、ゆっくり休むことに罪悪感を感じてしまうのです。
おふとんで寝ていても「なんもしないで寝ていていい身分だな」とかが聞こえてくるような気持ちになります。
娘の幸せを喜べない母親
今思えば、母は、わたしのことを大切にしている体を取りながらも、自分がしんどい時に(?)私が楽々幸せそうにしてるのが許せないみたいな感じでした。
一緒に苦しめ、みたいな様子でかなり歪んでいたと思います。
苦しみたくないです。
小学生くらいになって物心がついてくると、いつもいつも「なんで怒ってるんだろう。苦しい苦しい。」と感じていました。
私はたぶん、やばいことをやらかしたり、悪いことはなにもしていなくて、ただ問題行動をする他の兄弟への不満を当てられたんだと思います。
おとなしく、成績も優秀で努力もしていたので「悪い子」ではなかったはずなので。
毒親に育てられた人も大人になる
29歳の今でも、生きづらさでもう人生をやっていけないと感じる瞬間が多々あって、毒親の影響を受けた部分にやっと向き合いはじめました。
こうやって文章にすると気持ちが整理できて良い。と色々なところで見かけるので雑に書いてみています。
仕事でも、母親みたいな人(年齢差があったり、支配的な女性)や単純に年上女性と相性が悪く、変になることが多めです。
今回、もしかしたら自分に合っていて、無理なくできるかもしれない仕事が決まったので、自分のつまづきポイントと向き合うきっかけになりました。
また、謎に気持ちが弱ってきて辞めてしまうかもしれないけど、こうやって自分の中の禁断の部分に踏み込めたことは無駄にならないと思います。
1000歳くらいまで生きる予定なので、こういうトラウマっぽいことや心に刺さっているとげはちょっとずつでも、対処していきたいです。
子どもが自分以上の人間になるのが怖い親
母は、いつも私を応援していると見せかけて、なぜか私が大学とかに進学して、自分でいろいろ行動して、夢を実現していって、成功していくのが、面白くなかったようでした。
それを感じてか、私自身、海外へ行くときも、心のどこかで「母にどう思われるか?機嫌を損ねていないか?」にずっととらわれていて、超変でした。
留学中も、ことあるごとに「もう日本に帰ってきちゃってもいいんだよ」的なメッセージを出してきて、また自分の手の届くところで支配したかったんだなと思います。
優しい気持ちのふりをして、自分よりも娘の人生がうまくいかないように、コントロールしたくてたまらないようでした。
とても危険な人でした。
優しい毒親
でも、ひとつ書いておきたいことは、母の愛情も本物だったことです。
毒親と聞くと、めちゃくちゃひどいことばっかり、人生に悪影響で最低!みたいなイメージになりがちですが、そんな単純ではなくて、母も母なりに葛藤をしていて、なんにもしない父親の分まで育ててくれて、理不尽な社会から私たちを必死で守ってくれていました。
私のことを本当に可愛がっていたことも事実だったし、一緒にいて楽しい瞬間もたくさんあって、幸せでした。
だからこそ、ずっと拒絶しきれなかったし、こちらも母のことが心配で、縁を切ったときは心がちぎれる思いでした。
それは今も変わりません。
大事なのは見捨てる覚悟
ただ、母のサンドバックになるために生きているわけではないので、私は見切りをつけて、別の名前で夫と生きています。
わたしは25歳の時に、母の愛情やしてくれたことをしっかりと受け止めたうえで「ばいばい、じゃあね」と伝えて去りました。
決断することが本当の自分の幸せをつかむきっかけになると信じています。
去年の仕事で少しトラウマを刺激されて、弱ってたので、ここらへんで自分の感情や方向を振り返りました。
自分の生きる方向の再確認
長いスパンで見ると、たぶん状況は改善する一方で、頭の整理も進んでいるはずなので、このまま10年くらい経って、どうなっているか楽しみに生きていきたいと思います。
これをはっきり認識し直します。
また状況が好転しそうで楽しみです。
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