07 あさとよるのあいだ 【エッセイ】
「昔から全く変わらないね」
小学生来の友人が、居酒屋の向かいの席に腰掛けるなり早々、僕に向かって言った。容姿の話か内面の話か、はたまたどちらでもない別の話なのか見当はつかなかった。ただ、全く変わらないなんてことは無い筈で、小さい時からずっと髪や爪は伸びて生え変わっているし、昔はなかった髭だって生えるようにもなった。そんな風に思ったところで、確かにこうもひねくれて考えるところは変わっていないのかもしれないと自覚する。
「そういう君も全然変わらないよ」と僕は返した。帰省のタイミングが噛み合い、およそ十年ぶりに顔を合わせて話す旧友との時間の始まり。丁度いい距離感を見つけ出そうと手探りで言葉を選んだ。
「オジサン扱いされないように毎日必死だよ」と彼は返事しながら後ろ髪を指でくるくると回した。謙遜しがちな彼の嬉しい時によくする癖だった。懐かしさを覚えながら、どうやら彼にとってこの言葉は褒め言葉だったらしいことが分かり、楽しい時間を予感させる空気が二人を温かく包み込んだ。
互いに変わらないと言いつつ、こうして言葉を使って相手の反応を見ながら心を読むことができるようになった。小さい時には、手を出すか大声で喚くかぐらいのコミュニケーション能力も大人になっているし、前途有望だと信じ切っていた僕たちも晴れて社会人になり四半世紀をなんとか生き抜いている。
今日は気の済むまで語ろう、とどちらかが言ってグラスをぶつけ合う。下戸な二人にとって一度会話の根を生やしてしまえば、少しのアルコールと大量のソフトドリンクだけで懐旧に酔いしれるには十分な養分だった。久闊も相まって、僕たちの口からは学生時代の黒歴史や仕事の愚痴などいくつもの言の葉が溢れ出し、会話に大輪の花を咲かせた。
序盤から常に宴もたけなわ状態で、楽しい時間はあっという間に過ぎ去っていく――。気付かないうちに明け方になっていることに驚きつつ、近い日の再会を約束して各々家路についた。
今宵の余韻に浸りながら僕は家まで歩いて帰ることにした。少し遠回りの寄り道をして学生時代の通学路に足を踏み入れる。大人になって視線が変わったからか、心持ちが昔と異なるところがあるからなのか、小学生の時分に通い慣れた景色はやはり昔と少し違って見えた。
小中高を生まれ育った田舎の町で過ごし、大学だけは家から片道約二時間かけて都会の学校へ通った。僕が大きくなるのと同じように、町も少しずつ姿を変えていった。農業を振興する地域にも住宅地開発の波は押し寄せ、かつての田舎の原風景を想わせる様相も今となっては薄れつつある。豊かな緑が人工色に変わっていることに時の移ろいを感じながら、時を戻すようにある疑問が目の前を通り過ぎ、立ち止まる。
『果たして僕は変わっていないのだろうか。』
街灯はなく陽が昇る前の薄明かりのなかでふと考える。変わった部分はないのだろうか。年齢だけをいたずらに重ねてしまっているのか。自問するも答えは瑠璃色の空に飲み込まれ、僕は朝と夜の間に佇んだ。
社会人四年目の二十六歳。これまでの社会の大きな変化と自分の軌跡を重ねて辿る。阪神淡路大震災は母の体の中で守られ、東日本大震災は関西に居る学生の身では募金することしかできなかった。元号も新しくなった。未熟な自分には、そのどれをとっても自らの生活に大きな影響を及ぼしたと思うものは何一つ無かった。どれも実感が無かった。
初めて考えることだった。そしてそう思えばこそ、変わらず生きている自分は恵まれているのだという思いが波のように押し寄せてきた。言わば、僕は変わらずに生きられているだけだ。安心して生活できているのも、傍に変わらずに大事なものが偶々存在するからなのだ。
目の前の故郷の空は少し明るくなっていた。水を張った田んぼに映る景色、適度に都会で適度に田舎な空気、建物が低いからこその空の広さが昔から好きだった。帰れば会える友人や家族が大切だ。
自分の好きなものや大切なものたちをずっと変わらず大事に想っていたい。そう想える環境を大事にしたい。それらが失われない限り、僕は変わらないのだ。今のところ僕は変わっていない。ようやく先の問いの答えに辿り着けた気がした。
朝焼けが辺りを赤く染め始めた。新しい今日に、変化無くとも昨日とは違う自分がいる。帰り道が輝いて見え、田舎道をゆっくり噛み締めながら丁寧に歩みを進めた。
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