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noteを始めるにあたって

noteを始めることにした。


さらりと「noteを始める」と言ってしまったが、これは私にとって「文章を書くこと」を意味する。
私の中で勝手に、noteというものはクリエイターがやるものだ、と思っている節がある。ちゃんと文才があって、読んだ人の心に何かを落として残していくようなものが作れる人がやるものだと。
だが私は、もちろん文才などあるわけもなく、それどころか語彙力すらまともにない、社会に揉まれるただの一般ピープルだ。
そんな私が何故noteを始めるのか?というのはまあ、忘れなければ追々詳しく書くとして。


「文章を書く」ということ、或いは「文章を書く人」に対して、漠然と憧れがあった。
5,6年前くらいからだろうか、読書をするようになってから特に。
好きなアーティストの曲の歌詞や言葉も、今まで以上に素敵だなと感じたり、どういう意味なんだろう?何を伝えたいんだろう?と考えるようになったり。
どうしたらこんな言葉が出てくるんだろう、こんな歌詞が書けるんだろう、こんな話が書けるんだろう。
自分が出来ないことに対しての憧れというものは強い。むしろ、だから憧れる。
言葉を操るってすごいなー。それで自分の頭に浮かんだものや心で思うことを、自分の言葉で伝えるのってすごい。それでその人の「世界」が出来上がっているのってすごい。
そんなことをずっと思っていた。


だが、私はただの一般ピープルだ。世界どうのこうののレベルではない。
でも、「思うこと」というのは色々ある。たくさんある。
普段のそういう思いは、文章ということなどさほど考えもせずに、Twitterに喋り口調のようにどばどば書いている。これはこれで良いのだ。これはこれで大事な気がしている。
ちょっとお洒落に思い出なんぞをつらつらと書きたければ、加工した写真とともにInstagramに書いている。これもこれで良いのだ。思い出を映えさせて残すのもそれはそれで良いことだ。
ただそれは、憧れである「文章を書くこと」にはほど遠く、もちろん私が思う「文章を書く人」には到底なれてなどない。

それでも手段として、noteを始めることは出来る。
ただ先述のように、私は、noteはクリエイターがやるものだと思っている節がある。
でも、文章を書くことに対しての憧れはある。
ややこしくなってきたが、これらの思いをまとめて行き着いた先が「文章を書いている自分に酔いながら文章を書いてみたらどうか」だった。いかにも頭の悪い奴の発想である。
これで何となく、先ほど並べた思いが満たされるような気がする。本当に、頭の悪い奴だし単純だなと思う。
だがこれはこれで都合が良い。語彙力も文才も無い私がどんなに駄作で中身の無い文章を書いても「文章を書いている自分に酔う」スタンスで書いているので、自己満の範囲で収まるのである(知らんけど)


そういうわけで、noteを始めることにした。
140文字では収まりきらない、日々生活する中で、生きていく中で、思うことや考えることを、特別映えた写真も載せずに、書いていこうと思う。

私は、文章を書く人、なので。



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当たり障りのない自己紹介をすると、三十路の独女です。
好きなものが多いので、後々機会があれば書こうかなとか思ったり思わなかったり。

ちなみにnote初心者なので使いこなせてない感満載です。
以後お見知りおきを。よろしくお願いします。

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