「ながら作業」が音楽の聴き方とも関連するかもしれない、という話
こんにちは。ボイストレーナーのでんすけです。
最近、ながら作業が辛くなってきたのですが、
これは単純に歳のせいなのだろうか?と思いはじめまして。
音楽聴きながら作業とか、
テレビ見ながらネットとか、
会議中に内職とか。
なんでだろ。
歳かな。。。
と思ってたのですが、最近、どうもそれだけではないんじゃないか、という気がして考えてみました。
できなくなってきた、と言うより、今までは本当にできてたんだろうか。
なんてことを思ったのです。
ながら作業のリソース配分
そもそも「ながら作業」って、例えば自分のキャパが100あるとして、20をイヤホンから鳴る音楽に向けて、残り80を作業に当てる、というぐらいの配分をするもんだと思うんですね。
リソース配分
20 80
├──┼────────┤
音楽 作業
的な。
最近、どうもこの20だけのリソースを片方に割いておく、ということがあまりうまくいかなくなってきたわけですね。
これが、自分の集中力が低下しているからかな、と思っていたのです。
つまり、歳のせいで制御がきかなくなって、例えば50ものリソースを音楽の方に使っちゃう、というのが、ながら作業ができなくなったということ、だと思っていたのです。
リソース20はアンテナである
そもそも、なんのために20のリソースを割いているのか。
自分にとって重要なこと、必要な情報、関係のある事項など、きっちり集中して聞く必要のある事が流れてこないかどうか、アンテナを張っておくために、20のリソースを使ってる、そういうもんだと思うのです。
関係のない、あんまり重要じゃなさそうな情報は、さらっとスルーして省力化しようということですね。
で、歳のせいで、50使わないとアンテナが張れなくなったのではないか、と。そう思っていたのですが。
でも、なんとなくちょっとちがうなー、と視点を変えてみて、20のリソースを使ってるのは変わらないけど、アンテナにひっかかる確率が上がってしまったのではないだろうか、と、ふと思いまして。
つまり
・アンテナの精度が上がった(ほんとか?)
・自分が欲している情報が今までより増えた
・自分に関係していると考える情報が増えた
などなどの理由によって、アンテナにより情報がひっかかるようになった。
だから、「ながら作業」をしていても、外部の情報に目を向けてしまうことが多くなってしまうようになったのでは。と。
実際のところ、あんまり興味のないテレビをつけっぱなしにしてても、集中したい作業があるときは集中してやれてたりするので、その考え方が正しい気がしています。
老いではなく、成長?
これは、年齢が上がったがゆえの成長、と考えていいのかしら。
もうちょい若い頃は、自分に関係ないことって、「関係ねえよ」みたいな態度でいるのが自分の中の基本だったように思うのですけれど。
最近30歳を超えてから、一見すると直接は自分に関係ないようなことも、自分と関係するのではないか?と考えるようになってきた気がします。
これは、色々な物事の関係性を考えられるようになってきた、ということもあるでしょうし、逆に言うとしがらみが増えた、という言い方もできるのかもなあ、と思ったり。
音楽の聴き方も変わったかも
関係性が見えた、ということに関連して言うと、音楽の聴き方も若い頃と比べて変わってきました。
若い頃、学生時代とかそのあたりだと、友達とカラオケ行って歌おうー、とか、そのぐらいのことしか考えてないので、とりあえずボーカルのメロディが拾えて、歌詞が覚えられればいいか、ぐらいの聴き方しかしていませんでした。
そのうち次第にボーカル以外の楽器を聞くようになり、ドラムとベースがこんなリズムでやりたがってる、ボーカルはギターとこんな風に絡んでる、など、音楽全体としてボーカルの立ち位置、他の楽器との関係性なども考えつつ聞くようになりました。
当然ながら、音楽って一つの音、一つの楽器だけで構成されてるわけではなく、いくつも音が重なってできていますからね。
他との関係性が大事なわけです。
・・・なんだか自分語りで、しかも音楽に限った話をしてしまっていますが、どんな分野でもそうなのではないかと思います。
周りとの関係性が見えてくると、それに合わせるように自分が動くようになるもので。
ながら作業が苦手になったのは関係性が見えるようになったから
ということで、自分と他のものとの関係性がだんだん見えるようになったからこそ、ながら作業をしていても惑わされることが多くなったのではないか、という話でした。
意外と「老い」だと思っていたものは、実は考えてみると「成長」なんじゃね?ということです。
ながら作業だけではなく、音楽の聴き方だけではなく、他のことにも当てはまるかも。
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