見出し画像

私の命を救った、山小屋のオヤジの一言

"山で一度でもマイナスな状況になったら、プラスになることは絶対に無い。マイナス1を、マイナス10にしないことだけを考えろ"


クリスマスの八ヶ岳登山

もう15年以上も前になるでしょうか。八ヶ岳の冬山登山で、遭難しかけたことがあります。当時大学生だった私は、所属する登山サークルの仲間とバディを組んで、クリスマス登山を決行したのでした。夏には登っていた山ですし、装備も食料も体力も十分。登山計画書も作成して、準備はしっかりと行なっていました。雪山登山は初でしたが、人も少なく、雪に覆われた山々は息を呑む絶景でした。

ルートを見失う

初日に赤岳に登り、稜線上の山小屋に一泊したのですが、翌日、私とバディは下山中にルートを見失います。しかし、私たちはそれでも「雪山だから道が分かりづらいだけでは」と、ズンズン進んでしまいました。

「下りたい」気持ちが、冷静な判断を狂わせる

ところが、進めど進めど、それらしい登山道は現れません。次第に体力も削られていきます。この時、私たちは「(多少道を逸れても)下りていけば下山に近づく」という無意識のバイアスに支配されていたように思います。

崖の上の幻聴、そして飛ぼうとする

1時間ほど進んだでしょうか。いよいよ目の前が険しくなり、ついに崖の先に出てきました。あたりは霧が立ち込め、崖がどれだけの高さなのか、その下はどうなっているのかも見えません。バディと2人立ち尽くし、先に進むかどうかの判断になりました。(その時点でヤバい)

何やら下から人の声が聞こえてくる。「オーイ!誰かー!いますかー!」と大声で叫ぶものの、何も返事はありません。(おそらくこれは私たちが作り出した幻聴だった)

体力も精神力も疲弊していた私たちは、降りつける雪の中、「この崖を飛ぶか、飛ばないか」という相談を始めたのでした…。

極限状態で思い出した、山小屋のオヤジの教え

「飛ぶか、飛ばないか」という設問を前に、私たちは色々と議論をしました。「荷物を先に投げればイケる」「いや、下が見えないし危険だ」などなど。

側から見れば「なんでそんな無茶な議論をしてるんだ」と失笑ものですが、当時の私たちは「ここまで下りてきたんだし、もっと下りれば助かるかも」「少しでも良くなるにはどうすればいいか」という点で必死になっていました。しかし、崖を飛ぶかどうかの結論は出ませんでした。

そこでふと、私たちは前日に山小屋のオヤジから聞いた言葉を思い出します。

"山で一度でもマイナスな状況になったら、プラスになることは絶対に無い。マイナス1を、マイナス10にしないことだけを考えろ"

冷静さを取り戻し、引き返す決断をする

山小屋のオヤジの言葉を思い出した私とバディは、そこで改めて自分達のおかれた状況を見つめ直します。そして私たちが、明らかにマイナスな状況であることを確認し、来た道を引き返す決断をしました。とにかく登っていればいずれ稜線上に出る。そうすれば稜線上の山小屋に帰還できる、という確信があったためです。ただ、来た道を登り直すのは精神的にキツく、体力的にもしんどい。それでも、自分達が寄って立つべき判断の軸は、あの山小屋のオヤジの言葉だ。そう思って行動食を口に頬張り、もう一度力を振り絞って登り直したのでした。

生還

長い格闘の末、私たちは稜線に出て、無事に山小屋に戻りました。鼻水も凍る寒さの中帰ってきた私たちを、オヤジさんは温かく迎えてくれました。「おー、お前たち、戻ってきたかー!天気が悪くなってたから、心配してたんだ」その瞬間、緊張の糸が切れた私はボロボロと涙してしまいました。

今、思うこと。極限状態にいる人へ

改めて今思うと、そもそもの準備の段階で、よりリスクをコントロールするべきだったと思います。より雪山経験を積んだ人と登る、日程に余裕を持つ(予備日を設け、焦る原因を少しでも取り除く)、雪山講習に通い、雪山の基本知識をしっかりと身につけるなど。そうした備え(リソースの拡充)をさらに万全にしておくことで、崖を飛ぶか飛ばないかという袋小路に迷い込むリスクを減らすことができたはずです。

その上で、日々、極限状態での活動をされている人へは、山小屋のオヤジさんの言葉を贈りたいと思います。自分が疲弊している時、頼れるリソース(時間、頼れる人、知識、エネルギー、技術や解決策)はあるのか。もしリソースの拡充が見込めないのであれば、マイナスに振れたときのIf thenを予め心に決めておく。それだけでも、心の御守りになるかもしれません。

"山で一度でもマイナスな状況になったら、プラスになることは絶対に無い。マイナス1を、マイナス10にしないことだけを考えろ"

飛ばなくてよい崖を、飛ばなくて済むように。

DNRO

いいなと思ったら応援しよう!