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『あかり。』 (第2部) #51 能と手羽先・相米慎二監督の思い出譚

先日、路地裏の喫茶店の外席にいたら、俳優の柄本明さんと若手劇団員(東京乾電池)の諫早幸作くんが歩いてきた。どこかに飲み行くのだろうか。それとも読み合わせだろうか。
その感じが妙に懐かしく、そして少し羨ましかった。
僕にはもう路地裏を一緒に歩いてくれる人はいない。

あの頃、なんでもなく過ごしていた日々が、当たり前ではないことに幾つになっても気付かされる。
どんなものにも永遠はないのだなと、妙に寂しい。
それというのも寒いせいだろう。師走は妙にうすら寂しい。

2022年があっという間に終わり、数日もすれば新しい年が始まる。
そこになんの感慨もないが、これまでただ漠然と過ぎてきた日々はいったいなんだったのだろう。

大切なひとを失うということは、どれだけ人の人生に影響を与えるのか。そんなことを改めて考えてしまう。
それも、寒さのせいだろうか。きっと夏の日差しの下ではあまり考えない。

そういえば、青山にある能楽堂で能・狂言を一緒に見たのはいつだったか。
「ムラモト君、能みたことあるの?」
「いえ、ありません」
「行こうか」
「あ、はい」
なんでその時、そんなものを見ようと監督が言ったのかまるでわからないが、とりあえずついて行った。

確か、二本立て(正しい言い方かわからないです)だった。
『茸(くさびら)』が家に生えてデカくなる。困った男が山伏に祈祷を頼むと茸がどんどん増殖する話だった。ラスボス茸が山伏を襲うとたまらず逃げていく……。書いていてもなんだかよくわからない話だ。

もう一つはどんな話かも思い出せないが、朗々と女性が何かを話すシーンがあった。何を言っているのかもよく聞き取れないが、監督はそのシーンがひどく気に入ったようで「荒涼とした風景が浮かんできたな」と言っていた。

僕たちは芝居がはねた後で、近所の名古屋居酒屋で、甘辛い手羽先の唐揚げを齧っていた。舞台はある種、精進料理みたいだったから、その手羽先のケミカルな甘辛さはものすごくわかりやすいリアリティがあった。

あの舞台を見て映像的なシーンが浮かぶ……それは教養の差と言ってしまえば簡単であるが、たとえばなんらかの映画を監督するのに、能や狂言のリテラシーがきっと必要なこともあるのだろうと僕は理解した。

人生のどの時点で能・狂言をやろうと、舞台の上の若い彼らが想ったかに、僕は興味があった。二十一世紀は目の前で、仮に演劇を志すにしても、ここで今、キノコを集団で演じている若者たちはいったいどうしたことなのか?
好きだから?
それは、スズナリの舞台を目指すなら想像の範囲を超えないが、能楽堂の舞台に立つことを目指すことを想像できない自分の浅さでもある。
自分にわからないことをどこか否定的に捉えてしまう。

それはそれで、ただ受け入れればいいのに。

新年が過ぎれば、柄本明さんは劇団の公演で『12人の怒れる男』を上演する。それをなぜ今やるのかだって、わかるようでわからない。
そして、劇団員たちは、その公演のためにセリフを入れ、稽古を毎日しているのだ。

わかろうとわからなかろうと、やりたいからやる。きっとそうなんだろう。
そういうものをただ見つめ、受け入れ、理解できる器の大きさを持っている人が映画監督なのだと思う。

あと四日で、今年も終わる。



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