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『あかり。』⑦編集沼にハマる・相米慎二監督との思い出譚

その頃の思い出の酒がある。名前は忘れたが茶色のとても小さな瓶に入った強烈に強い酒だ。草を煮詰めたような味がしてとても不味い…のだが、相米監督は何軒かハシゴした後でホテルのバーに寄ると、必ずその酒があるかをバーテンダーに尋ね、店にあるとなれば注文した。薬草酒の一種なのだろうか。
「飲んでみ」と言われてひと舐めさせてもらうと苦くて、とても素人が飲めるものではなかった。「まだ早いか」と監督は嬉しそうに言いながら、その酒をちびちび飲んだ。
ちゃんと銘柄を覚えたはずなのに、どうしてその酒の名前を忘れてしまったのだろう。見つけたら仏前に供えるのに……。

北海道での二日間にわたる撮影はなんとかクリアした。まあ、今思えばそれも危ういものではあるが、取りこぼすこともなく、天気にも恵まれた。
あとは東京に戻っての編集・MA(=音入れなどのダビング作業)だ。

当時、オフライン編集作業はAvidという編集機で行われるのが通常だった。CMの場合、撮影は35mmフィルムだ。撮影された全てのフィルムをデジタルにテレシネで色補正をしてから、変換してD1と呼ばれるデジタルテープに移行する。それをデータ化し、Avidを使って下編集(=オフライン編集)するのだ。つなぎや尺調整をこの段階で吟味して、本編集のスタジオに入る。本編集では合成作業やバレものを消したり、車の場合、ボディへの映りなどを際立たせたり、余分な映り込みを消したりと精度をあげていく。スーパーもここでレイアウトして入れる。


化粧品などビューティなCMは、この段階で徹底的にデジタルメイク(肌の補正・皺消し…etc…etc)が行われる。
芝居の良し悪しを見極め、テイクを決め、尺に収めるのは、オフライン編集段階で、ここであらかた全体の仕上がりが決まるので勝負どころでもある。

その頃、社内の編集部のD女史が僕の編集パートナーだった。すごく頼りになる人で(映画会社の編集部にいた人でフィルム編集からビデオ編集、そしてデータ編集とこの時代の編集の変化の歴史をよく知っている)歳も近かったので相談しやすいし、腕もいい。
僕たちは、二人でなんとか形にすべく奮闘した。
現場でのOKテイクはわかっていたことだが、まったく尺には収まっていない。
なんとか監督が来るまでには、形にして見せなくてはいけない。
「どうしようか…」
「カット割るしかないよね」
「そうだよね」
「他のテイクも見てみる?」
「そうしようか」
本来ドラマや映画だとOKテイクだけを繋いで、OKロールなるものを作り、そこから刻んで形にしていく。それが基本で、よほど感じが違うなとなれば他のテイクを探す。よりどころがないと長尺のものは作業が膨大になってしまう。
しかし、CMはそこまで撮影しているシーンの分量が多くないので、撮影したもの全部を編集素材と思ってもいい。
とはいえ『監督』は現場でOKを出したものを普通使いたいものだ。そのテイクがいいと思って現場でOKを出したわけだし、そのテイクにそれなりの執着がある。

編集は、なんていうか撮影とはまた別の作業だ。現場でのOKよりも優先しなくてはいけないこともある。
そこを割り切るためにD女史の存在が必要になってくる。
苦労して撮ったテイク。役者がやっと捻り出した芝居。その他にも色々。それらをバサバサと切っていく冷静さと合理性を持ちながらも、現場の勢いみたいなものを大切にしてくれる存在が、編集(=エディター)という仕事だ。


D女史は撮影素材の把握力が抜群によかったので、撮影素材をAvidに取り込みながら、どんな芝居があってどんなテイクがあって……みたいなことを瞬時に頭の中に整理できる。

夕方過ぎに、相米監督がふらりと現れる。
僕たちは緊張している。
「できてんの?」
と監督がだるそうに言う。その日も下駄履きだった。
「はい……一応…」
監督にいくつか編集したものを見てもらう。この時は本当に緊張した。
数パターンの編集を見ると、にたっとする。
「どうですか?」と恐る恐る聞く。
「他にやりようないの?」
怖い感じはないので、少し安心する。

監督の言葉を文字面で読むと、ぶっきらぼうになるし、このニュアンスや温度を伝えるのは難しい。それは強い口調でもなく、指示しているのでもなく、ただの問いかけである。その問いかけに、どう応えるかは、こちらに委ねられている。それは撮影現場における俳優たちに投げかけていた感じとは多少違うものの、大筋では変わらない。なんかこちらをいい意味で刺激してくる言い方だった。


僕たちは慌てて新しい編集をつなぎ始める。その間、監督は強い煙草を吸っていて、不味いなとか言いながら会社のコーヒーを啜り、制作部をからかったり、腰を揉ませたり、競馬新聞を見たりしながら時間をつぶしている。
この間、僕たちの頭はフル回転している。手も動いている。集中してあらゆるパターンを探っている。ましてや後ろに監督がいるのだから、これはなかなかのプレッシャーだった。それでいて、すごく面白かった。


どんな仕事でも同じだと思うが、数年もやっていればある程度技術はついてくるものだ。その身につきかけた技術をフル稼働させて、作り出したり、捻り出したりするのは面白い。アイデアが湧いてくる。監督のすごいところは、相手にその気があれば、いくらでもその相手の能力を引き出そうとしたり、可能性を閉ざさないところだと思う。(こんなことは後年気づくことであり、その時はただついていくのに必死だったけど)

監督は僕らのおすすめの編集も残してくれて(これはすごく嬉しかった)、数パターンを広告代理店に見せることになった。

CMだけでも広告代理店の制作担当は、シニアクリエイティブディレクター・クリエイティブディレクター・プランナー・コピーライター・アートディレクター…等々と数多く参加している。
僕らにしたって、誰がどんな役割を果たすのか、はっきりわかっているかどうか怪しい。常に物事はシンプルではないということだ。


今回の日産の仕事は、彼らにとっても大きな仕事であり、多くの人数が関わっているのだ。広告ビジネスにおいてCMは目立つパートだが、それだけでそのプロジェクトが成り立っているわけではない。CMの背景で関わっている人数もお金も膨大なのだ。
この仕事の間中「社運がかかってますから」と半ば冗談口調で口にする人たちが結構いたが、きっと、それはそれなりにリアルな言葉だったのだと思う。この仕事がなくなって会社が潰れる……とかまでではないにしても、やはり大きな案件で、関わる人たちの、その時期の評価を左右する部分は少なからずあったのだ。

監督は、広告代理店のクリエイティブのメンバーに編集パターンを見せると「どれがいいのよ」と相手に一人ずつ聞く。
監督が「これにしたい」とかはない。それにも驚いた。普通はあるものだ。
答えを自ら出さないので相手も拍子抜けしてしまう。それでなんとなく議論が始まる。それすら監督は織り込み済みのようだった。
好みや意見が出尽くすと落ち着くところに落ち着くことをわかっていたのだと思う。これって結構遠回りだし、面倒臭い方法だ。
もしかしたら案外近道なのかもしれないが、その時はそうは思えなかった。
それに監督にとっては、たかがCMなのだから。
生業としてるお前らで決めろよ、そんな感じだったのだろう。

結局、どのパターンでオフライン編集をクライアントに見せたのか、記憶がない。その後、本編集・MA(ダビング)と無事に(蛇行しながら)進み、CMは2タイプ、それぞれ15秒・30秒が完成した。これほどエネルギーを消耗して作ったCMは今までなかった。

なんていうか、僕たちなりに必死に取り組んだ仕事だったのだ。

だけど、今回僕たちが苦労して、意気込んで、作ったものは、オンエアされなかった。

滅多にないお蔵入りという憂き目にあったのである。



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