見出し画像

「人新世」世界のシステムを変える具体的な解決策とアクション

「何かがおかしい」と誰もが気づいているのに、それを正面から語る人や変えようと考える人は稀です。狂った世界に絶望するか、諦めて順応するか、それとも別の世界をつくってそこへ逃げ込むか。
解決策を与えてくれるのは、政策でもお金でもテクノロジーでもない。
このかったるい世界のシステムを変えるために、私たちがとるべき具体的なアクションを提示したいと思います。

『人新世の「資本論」』を(たぶん)読まない理由

この記事は書評ではありません。

1987年生まれ、現在34歳の准教授が渾身の力を込めて書いた本を、私はたぶん読まないだろうと思います。理由は3つあります。

1) 読まなくても内容がわかるから

私は著者と問題意識を共有しています。それは根っこの部分で一致していて、彼の言いたいことは私が考えていることとほぼ同じだと思うし、彼の主張に80%くらい同意できることまで予想できます。

なので、読んでも今さら新しい発見はないだろうと思っています。

2) ものすごく売れているから

ほとんど学術書と言ってもいい本が25万部売れれば、超がつくベストセラーです。
古典作品を除けば、私はベストセラーと言われる本は読む必要がないと考えています。身近な人がすでに読んでいたり、メディアで取り上げられたりもするので、その本の内容に関する情報が無意識にでもインプットされます。そうすると、読んでも既読感しかないことになります。

3) 解決策までは提示されていないから

基本的に学術書は理論を提示するものなので、事実とその解釈の仕方を述べるだけで、「じゃあ我々はどうすればいいのか」までは書いてくれません。

それは読んだ人が自分で考えなければならないことです(私は読んでいないけど)。
この記事には、私が考える解決の方向性と具体的なアクションを書きます。それらを肚に落とすためには、まず問題を知る必要があります。
見出し5個分ほどありますが、それぞれは短文で、あなたが薄々感じていることをぶっちゃけてみようとしました。

世界のシステムはすでに狂っている

まずは、間のしい界は「おかしい」という例を、あらためて見てみましょう。

衣食住足りている人が毎朝満員電車地獄に耐える必要はあるのでしょうか。
電車が2分遅れただけで駅員に怒鳴り散らす集団は、いったい何に対して怒っているのでしょうか。

技術の進歩によって生産性が飛躍的に高まった現代で、1日8時間も働く必要があるのでしょうか。物やサービスを生産している労働者以外のワーカーは、いったい何のために働いているのですか?

ほとんど同じコーヒー1杯が、ファイブスターホテルで飲むと1,200円かかり、普通の喫茶店で飲むと400円、マクドナルドで飲むと100円。
コーヒー豆を作った農家が得る収入は5円だそうです。

トマ・ピケティが発見した "r>g"

働くよりも株に投資したほうが儲かる、ということです。

たった8人の人間が、世界のおよそ半分、36億人分の資産を持っている

これを狂っていると言わずして何と言えばいいのでしょうか?

コロナは変革を加速させる福音となる

コロナをきっかけとして、わかってしまったことがあります。

誰が必要不可欠な仕事をしていて、誰がブルシットな仕事をしているのか。

なぜ必要不可欠な仕事の報酬が低くて、ブルシットジョブの報酬が高いのか。

しかもなぜ、コロナ禍によって薄給のエッセンシャルワーカーが職を失い、高給のブルシットワーカーが全くダメージを受けていないのか。

いなくても誰も困らない大企業の役員が年間4,000万円の報酬を受け取っています。こういったブルシットワーカーはいてもいなくても同じ、ではありません。いたら、余計な業務をもたらし、社員の仕事のジャマをし、無駄なお金を浪費しまくる、いないほうがいいブルシットな存在です。

コロナは新しい変化をもたらしたわけではありません。
それまでもジワジワ進んでいた変化が、コロナによって加速しただけのことです。
あるいは、それまで隠されていたことがコロナによって露わになったのです。

微調整でどうにかなる話ではない

多くの人々が気づいていると思います。

格差を是正すれば解決する、といった問題ではない。
政治はなんの役にも立たない。
システムを変えずにちょっと修正すればなんとかなるような話ではない。

多くの人々が感じていると思います。

毎日がつまらない。この世界の何もかもがかったるい。
周りの人間はつまらない奴ばかりだ。でも、自分自身もつまらない。

テックが人間をダメにする

経済も政治も明らかに行き詰まっている現状をテクノロジーで打破しようとする勢力がいます。この考えは非常に根強いものです。

産業革命やエネルギー革命における技術革新は人間の生活を豊かにしてきましたが、現代のテクノロジーはそれらとは異なります。
現代のテクノロジーは人間を空っぽにします。

四六時中スマートフォンを見ている人は、ものを考えなくなり、確実に劣化していきます。
企業のマーケティング戦略や広告に無意識に晒されていると、思考だけでなく欲求まで歪められ、自分自身の意思はどこにもない状態になります。

何でも技術で解決しようとする勢力は、テクノロジーが人間をどう変えるかということに鈍感か、あるいはそれを熟知したうえで確信犯的にやっているかのどちらかです。

システムの住人は世界を変えられない

システムの中でしか生きられないのが人間です。

大部分の人間はシステムの中のポジションで利益を得ている、すなわち広い意味での既得権者です。
例えば、ごく普通の会社員も、主婦も学生も年金生活者も皆既得権者です。

そんな既得権者たちも、このままでは先がないとわかっています。
わかっていても変える気はない。
わかっているから逃げ切ろうとする。

ある人は言いました。

「社会のシステムがダメになってくると、人が輝く」

いま私たちに必要なのは、一人ひとりが輝ける場所なのだと思います。
多様性といろんな試みが許容され奨励されるスペース。
客体ではなく主体として振る舞うことができるスペース。
一人ひとりのメンバーが社会に参加していることを実感できるスペース。

新しいかたちのコミュニティが生まれる可能性

独りでは生きられないのが人間です。

つまり人間はなんらかの共同体、いわゆるコミュニティを必要とします。
かつて、農村や町内会といった地縁に基づく地域共同体がコミュニティだった時代がありました。
それらが崩壊した後、「会社」がコミュニティとなりました。
1日の大半を共に過ごし、休日には一緒にゴルフを楽しみ、社員の結婚式も親族の葬式も会社が仕切っていました。

会社がコミュニティ化することには重大な問題がありました。
それは、働く場所とそれ以外の活動をする場所が一つになってしまうことです。
スターバックスが "Third Place"(第3の居場所)を目指したように、人間は自宅と職場と、もう一つの場所を必要とするのです。

また、たかが「働くこと」に、生活の糧を得る以上の意味を与えてしまったことが私たちを苦しめています。
その典型が「自己実現」という呪いのような言葉です。

幸いなことに、会社がコミュニティであった時代は終わりつつあります。
コミュニティがなくなったとき、昔のような共同体に戻るのは得策とは思えません。農村や町内会も、会社も、コミュニティのメンバーが自立していないからです。共依存関係からなるコミュニティが醜悪で息苦しいものであることは、皆さんもよくご存知でしょう。

これからは、自立した個人からなる、新しいかたちのコミュニティが生まれてこなければなりません。

例えば、noteです。

私たちがとるべきアクション

1私人でしかない個人が新しいかたちのコミュニティをゼロから創り上げることは、まず無理でしょう。

では、個人にできることは何でしょうか。

それは、自分の心からの思いや考えを発信することだと思います。
さらに、それらを多くの個人がぶつけ合い、高め合い、共通の思いや価値観を共有することで繋がり、連帯し、大きなうねりをつくっていくことです。

こんな法則があるそうです。

変革が実現するには、3.5% の人間が立ち上がればいい

数々の史実がそれを証明していますが、これを私なりに説明しようとすると、次のようになります。

集団の約80%は自分からは何もしない追従者層(フォロワーともいう)で、20%が自ら動くタイプの人間である。
その点を超えると一気に普及するクリティカルマスは16%と言われている。
全体の3.5%の人間が行動を起こすと、クリティカルマス(20% ✖ 16%)を超えるので爆発的に広がり、さらに80%のフォロワーはそれに追従するので、集団のほぼ全体をカバーすることになる。


私は煽動家ではありません。
そもそも、私が提案しているのは煽動者を必要としない変革です。
自立した個人が、煽動者もリーダーも必要とせず、ただ自分の意思に従って声を上げ、行動を起こす。1人の力ではできないことでも、同じ志を共有した3.5%が立ち上がれば、このどうしようもない世界のシステムを変えられると考えています。

そのための第一歩は、絶望も諦めもしていない個人が、おかしいことに対して「おかしい」と表明する良心と勇気をもって、その思いを外に向けて発信することだと思います。