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ドライバーはスモーカーと同じ運命を辿るだろう

銀座や渋谷にクルマで来る人たち

ルクセンブルクの都心は石畳の街で、車両は進入禁止になっています。
旧市街も、新市街も、歩行者専用のエリアなのです。

ルクセンブルクから日本に帰国したとき、最大の違和感だったのは東京の都心がクルマだらけだったことです。

東京の街の主役は歩行者でしょうか、クルマでしょうか?
狭いエリアに人間が密集している街。
世界一発達した地下鉄道網がある街。
クルマで来る必要が 1ナノもない街。
こんな街で、車両の進入なんかよく許してるな、と思いました。

2年前にスイスから香港に移住したときに、デジャブかと思うくらい当時と全く同じ違和感を味わうことになりました。
東京に負けないくらい、狭いエリアに人が密集し、地下鉄はショボいもののトラムとバスが異常に発達して、自家用車が全く必要のない香港の繁華街がクルマだらけなのです。

東京と香港。
両者の共通点は、99%の庶民と 1%のお金持ちが同居しているところでしょうか。
庶民の足として地下鉄やバスを充実させたけれど、そんなものは利用したくないお金持ちのために、クルマにやさしい街をつくってしまった、と。

人間が安心して歩ける街づくりのため、クルマを排除したヨーロッパの街は圧倒的に正しい、と私は考えます。

ベビーカーを押して歩く人を無視するドライバー

外苑前駅付近で衝撃的なシーンを目の当たりにしたことがあります。
ベビーカーを押す母親が横断歩道を渡ろうとしていました。
そのすぐ前を 1台のクルマがスピードも落とさずに走り過ぎました。

ヨーロッパであれば、目撃した通行人が直ちに警察に通報する案件です。
大げさではありません。
歩行者に配慮しない運転は犯罪行為なのです、ヨーロッパでは。

スイスに住んでいたとき、こんなことがありました。
信号のない交差点を歩いて渡っていたとき、左方から 1台のクルマがブレーキをかけて止まりました。
やや急ブレーキ気味だったようで、タイヤが少しだけ鳴りました。
私は危険を感じるほどではありませんでしたが、そのドライバーはあわててクルマを降りて、こちらに駆け寄ってきました。
「俺はなんてことをしてしまったんだ!」と言わんばかりの謝罪顔で、何度も何度も謝ってきました。
「大丈夫ですか?ケガはないですか?」
いやいや、あなたはちゃんと止まったんだから、ケガしようがないだろと。
この程度のことでそんなに謝るなんて、あなたこそ大丈夫ですか?と。

スイスのドライバーのモラルの高さ、ご想像いただけますでしょうか?

香港では、東京以上に日々信じられない光景を目の当たりにしています。
4歳の娘の手を引いて歩いていると、1日に何度クルマに轢かれそうになるかわかりません。
香港のドライバーは、歩行者の前で止まりません。
止まるのは歩行者のほうなのです。
車内のドライバーの顔を見ると、周囲を全く見ていないようです。
「歩行者が止まるのを確認してから進む」ですらなく、左右を見もせずにクルマを走らせているのです。

ヨーロッパとアジアでは交通ルールが違うから、という話でしょうか?
私には民度の違いとしか思えません。
ベビーカーを押す人に道を譲らずに走り抜ける日本のドライバーは、ルールとか言う以前の問題で、残念ながら民度が低いと言わざるえないのです。

歩行者が眼中にない香港のドライバーはもっとヒドい。
運悪く歩行者を轢いてしまっても、彼らにとってはたいしたことではないようです。
人の命の値段が異常に安いアジアで、人を簡単に殺せる乗り物を与えるのは、キチ〇イに刃物です。

あの伝説のフリートーク番組で

昔、『パペポ』という関西ローカルの深夜番組がありました。
上岡龍太郎と鶴瓶がフリートークするだけの伝説的な番組でした。
(フリートークのハシリはダウンタウンではなく『パペポ』だと思う)
2人のトークを遠い記憶から再現してみます。

上岡「今の時代クルマってなんやっちゅー話ですよ」
鶴瓶「なんやってなんですねん。クルマはクルマでっしゃろ」
上岡「うまいもんはうまいみたいに言いなや。民芸肉料理のはやか」
(会場、爆笑)
上岡「交通事故で毎年 1万人以上の方がお亡くなりになってるんです」
鶴瓶「ほう。1万人でっか。 えらいこっですなあ」
上岡「クルマはもう人殺しの道具ですよ」
鶴瓶「人殺しの道具てあんた、ほなピストルみたいなもんでっか?」
上岡「そうや。ドライバーゆうんはピストルの引き金に指かけて運転してるようなもんやがな」
鶴瓶「こうでっか?」(ピストルを構えて運転しているようなマネをして)
上岡「そうそう。ほな左折してみよか」
鶴瓶(ハンドルを左に切るマネ)
上岡「ウィンカーぐらい出しなはれ」
鶴瓶「細かいこと言いな」(ウィンカーを出すマネをして)
上岡「はい、ウィンカー戻して」(無理やり鶴瓶の手をつかんで)
鶴瓶「バキューン!って撃ってもうたやないかい!」
上岡「次、右折して」
鶴瓶「バキューン!」
上岡「ウィンカー!」
鶴瓶「バキューン!」
上岡「ウィンカー戻す!」
鶴瓶「バキューン!って何人殺す気やー!!」
上岡「せやからクルマは人殺しの道具て言うたやんか」

まあ、これはネタなんでしょうけどね。
30年も前にこんなネタでフリートークしてた上岡龍太郎ってすごい芸人さんだったんだなあ、と思います。
ただのお笑いネタじゃないですよ。社会問題に鋭く切り込みながら笑いにもっていく(鶴瓶の面白さを引き出す)、まさに天才のなせる芸。
しかもその社会問題は、当時言ってはいけないタブーみたいなもの。
クルマが大量殺人やテロの道具となったのはそれよりずっと後のことです。
そして近年では、高齢者の運転による死亡事故が社会問題化しています。

喫煙者が叩かれるのは自業自得

煙草を吸う人に対する世間の風当たりが強くなったのはいつ頃からでしょう。
日本では 1990年代後半あたりだと思います。今から 20年ちょっと前です。

今や喫煙者は “加害者” のレッテルを貼られ、迷惑者扱いされ、就活や婚活で差別を受けるまでになりました。
個々の喫煙者のことを思うと、ちょっと可哀想ではあります。
しかし、マクロのレベルで見れば、当然の成り行きだと思います。

喫煙者がデカい態度でいた時代の世の中がヒドすぎたのです。
個人としての喫煙者を批判する気はありません。
ただ、集団としての ”喫煙者” が周囲の迷惑を考えず、マナーも思いやりもなく、そんなクレイジーな状況を野放しにしてきた業界、メディア、その他の大人たちの責任は重大だと思います。
その陰でずーっと我慢してきた人たち(とくに嫌煙の方々)がたくさんいて、積もり積もった恨みと怒りを今の喫煙者にぶつけているのです。

だから、喫煙者の方々は彼らの気持ちを理解してあげないといけません。
一方、嫌煙を叫ぶ方々は、当時の喫煙天国社会を批判するのは尤もですが、今の喫煙者を攻撃するべきではないと思います。彼らも被害者なんです。

スモーカーと同じ運命を辿りたくないのなら

私の言いたいことはもうおわかりでしょう。
かつてタバコ天国で調子に乗っていたスモーカーと、クルマ天国で調子に乗っているドライバーがダブって見えるのです。

1980年代の喫煙者は、まさか数十年後こんな肩身の狭い世の中になっているとは想像できなかったでしょうね。
ドライバーは、今はまだ気づいていないかもしれませんが、街中で虐げられている歩行者の恨みと怒りを買っているんですよ。
歩行者は、今は我慢しているかもしれませんが、いつか気づきます。

なぜ街中を安心して歩けないんだろう?
なぜ歩行者がクルマに道を譲らなければならないんだろう?
交通事故、排気ガス、騒音、迷惑駐車・・・クルマがまき散らすコストを、なぜ関係ない私たちが負担しなければならないんだろう?

世の中というのは、いったん潮目が変わると社会全体が一気に逆のベクトルに向かうものです。
かつて少数派だった嫌煙家が今社会の声を代表しているように、アンチクルマ派が多数を占めるようになる可能性は十分あると思います。

私は基本的には自動車が好きです。
(自動車が嫌いな男子はあまりいないのではないでしょうか)
だから、クルマが叩かれる社会にはなってほしくないのです。

ではどうしたらいいでしょうか。
理想を言えば、街の中心部を車両禁止・歩行者専用エリアにすることですが、今さら街の構造を変えるのは無理ですよね。
中心街から駐車場を撤廃して、クルマで来る気が失せるようにするとか。
中心街に入ってくるクルマに高~い税金をかけるか。
街に警官を増やして、マナーの悪いドライバーを取り締まるか。
どれもスマートなやり方ではありませんね。

やはり、国と都が一大キャンペーンでもして、ドライバーの意識を変えてもらうのがいいんでしょうか。

歩行者最優先。歩行者がいたら止まる。(横断歩道でなくても)
横断歩道に近づいたら必ず徐行。
通学路や公園付近など子供の多いエリアは、そもそも走るな。
クラクションの使用は最小限に・・・

やめましょ。
たった一言でいいんです。

「人にやさしく」

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