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LGBT+は殺されても笑ってろ

LGBT+の人権問題には、軽いものと重いものがある。
制服・トイレ・結婚の問題みたいに、比較的表面に見えていて、解決方法がありそうなもの。
自殺率や貧困率が高いとか、精神疾患を抱えやすいといった、もっと深刻で重いもの。

この2つの問題を一緒くたに語ることはできないだろう。

残念ながら、現代日本社会にセクシャルマイノリティとして生まれたら、心の健康を保つことは難しい。
周囲の人と気軽に恋愛話ができなかったり、腫物扱いされたりして孤立しやすい。
セクシャリティがバレることを恐れて、できるだけ人と関わらないように身を隠すようにして生きている人も多い。
「恋愛話を振られるのが怖いから、同級生や同僚との飲み会に行けない」と悩むLGBT+当事者の声を頻繁に耳にする。
また、日々の生活の中で異性愛を正しいとする価値観に自尊心を傷つけられ、精神的に追い詰められる。
そういった圧は想像以上に重く、当事者の心をジワジワと、確実にむしばんでいく。
メンタルにかなり大きなダメージを受け、基本的な自己肯定感が脆弱になる。
いじめ被害や虐待被害と同じぐらい深刻なトラウマになっていたりするケースもしばしば見かける。
セクシャルマイノリティの約半数がセクシャリティを苦にして死んでしまいたいと思ったことがある、という事実も当然のことだろう。

想像してみてほしい。
もしあなたが今、中国に住んでいて、日本人であることを隠さなくちゃいけないとしたら。
日本人であると知られたら白い目で見られたり仕事をクビになったりする可能性があるとしたら。
言葉や仕草に日本人っぽさが出てしまわないように、細心の注意を払ってビクビクしながら暮らすだろう。
毎日
「日本人? 理解はできないけど本人がいいならいいんじゃない」
「日本人って生物学的に生産性がないよね」
「日本人なんて自分の身近にはいないから分からない」
という言葉にチクチクと傷つきながら過ごすだろう。
そしてそのことを誰にも相談できずに一人で黙って耐えるだろう。
日本人であることがバレないように、友達との飲み会や旅行を断るだろう。
まるでナチスドイツ下のユダヤ人のような状況。
それが現代日本社会に暮らすLGBT+当事者の環境だ。

もちろん、社会の取り組みは10年前に比べたらかなり進んだ。

LGBT+という言葉の認知度が上がって、制服・トイレ・結婚の問題について人々が関心を持つようになった。そのこと自体は喜ばしいことだと思っている。

でも、そこで終わっちゃいけない。
まだまだ根深い問題があるということ。
セクシャルマイノリティと言うだけで、社会から追いやられ孤立して、その結果命を落としてしまう人がたくさんいるということを、忘れてはいけない。

LGBT+は自殺率が高いし、精神疾患や貧困も多い。
身を隠すように周囲の人々から距離をとって生活しているせいで、ウツ、対人恐怖症、不安障害になりやすい。
そして孤立しているから深刻化しやすい。
周囲が気づいたときにはすでに薬物依存、借金、ホームレスなどの問題に陥って抜け出せなくなっている。
それが典型的なパターンだ。
LGBT+でこういう問題を抱えている人が、あまりにも多すぎる。
わたし自身も、セクシャリティのことで死んでしまいたいと思ったことがあるし、実際に何人かの友達を亡くした。
そしてこれからも大切な友達を唐突に亡くしたりするだろう。
ただセクシャルマイノリティだというだけで。

LGBT+の人権活動はまだまだ始まったばかりだ、分かってる。
10年前に比べたらすごい前進だ、それも分かってる。

「市がLGBT+についてのパンフレットを作ってくれるなんてすごいね」
「アライって言葉を知ってくれてるの、うれしい」
「アセクシャルをドラマで取り上げてもらえるようになっただけでもすごい」
「驚くべき前進だよ」
「10年前に比べたら考えられないぐらい素晴らしい時代になったよ」

素直にそう思う一方で、どこかモヤモヤする。
そんな軽い問題じゃないって。
命に関わる問題なんだって。

「LGBT+当事者はどんなことに困ってるのでしょうか」
どんなことって…。
そもそも死んでしまいたくなるような気持ちで毎日を過ごしてるのに、何言ってるの?
大事なお友達を社会に殺されたって思ってるよ。
LGBT+は殺されても笑ってろとでも言うの?

「アライになりたい」
そうなんだ、よかったね。
まるで観光気分だね。
異文化交流をして楽しんでるんだね、よかったね。
わたしはセクシャリティのことで死にたい気持ちになったこともいっぱいあったけど、そんな軽いノリなんだね。
自殺しようとしてる人に向かってそんなこと気軽に言えるの?

「アセクシャルについてコメディとして取り上げました」
コメディ…?
アセクシャルであることで絶望して死にそうな気持の人だっているのにコメディ…?
いじめや災害でコメディ作ったりしないのに、なんでアセクシャルはコメディにしていいの?
当事者の心の傷はそんな軽いものじゃないんじゃないの?

そんな思いがあふれて止まらない時があるのも確かだ。
人前では前向きなフリをして見せるけど、やりきれない時がある。
深刻さが伝わらないことに一人絶望する。

この苦しみと絶望に誰かがそっと寄り添ってくれたら、きっとそれだけでもいいのにね。

「そこまで深刻なことだなんて知らなかったよ」
「そんなにツラかったんだね」

せめて誰かがそう言ってくれたら、それでいいのに。

今日もわたしはわたしの傷をそっと慰める。

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