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【映画紹介】人生は無意味。だからこそ…『イレブン・ミニッツ』【ネタバレあり】

はじめに

私事かつ余談になるが、筆者は映画監督になりたいと思っていた時期があった。どうやってなるのか分からなかったので、とりあえず大学を中退し、映像の専門学校に入学し、そこを卒業した。その頃には映画監督って簡単にはなれないようだ、と気付いていたが、そこからズルズルとTV関係の仕事をして挫折し、約1年のニート期間を経てバイトをはじめ、就職活動を経て会社員となった。会社員となった今、別に生活に特段大きな不満があるわけじゃないが、お世辞にも子供の頃に思い描いていた自分の将来の姿とは程遠い。

例えば欲望とか野心というものは、人間にはなかなか制御しづらいものなのではないかと思う。しかし制御できないからといって悪いものであるとは限らない。性欲や食欲などの本能もそうだが、それが無いと人間味が無くなってしまうだろう。
だからといって欲望丸出しでも他人からは敬遠されてしまうと思う。従って普通の人はある程度、理性によって欲望を管理する。利益と不利益、快楽の度合い、楽しいか苦しいか、を推測し、そこで下卑るのはやめておけと、理性によって欲望を諭す。僧侶や宗教者のように完全に欲を断ち切るわけではない、時と場所と人を選び、上手く調整して押すところは押し、引くところは引く。人間は動物と違い、脳髄が極端に発達した生物なのでそれが可能となる。そうやって人は社会生活を営んでいるのだ。
誰しも一度は考えたことがあると思うが、3億円簡単に手に入らねぇかなぁとか、あの有名女優とヤリてぇなぁとか、白馬の王子様来ねぇかなぁとか、自分には才能があって圧倒的な能力で周りを黙らせて楽勝で夢を叶えて人生順風満帆に行かねぇかなぁとか、ギチギチに縛られてぇなぁとか、イケメンに壁ドンされてぇなぁとか、そういった他愛もない夢想をしたことがあると思う。その発露を間違えると黒歴史とか言われるのだろうが、別にそうした願望を持つこと自体が悪なわけではない。みな誰しも持っているものだと思う。野心や下心が人を向上させることもあるだろう。多くの人は、そうした秘めたる欲望を胸に留めておいて、学校や職場に通ったり、あくせく仕事をしたり、部活で大会に向けて頑張ったり、誰かと出会って恋愛をしたり、勉強をしたり、友人と酒に酔ったりして、社会生活を営んでいるわけだ。

安定した収入と生活を手に入れたければ、夢を捨てて就職するのが手っ取り早い。モテたければ運命の人などいないと理解して、格好や髪形などを整え異性を口説くスキルを磨く。売れたければプライドを捨てて、偉い人にぺこぺこ従順なフリをする。“何かを得るためには何かを捨てなければならない”というテーマは、繰り返し物語の世界で描かれてきたことだ。妥協と獲得、戦略と奪取、我慢と解放、そうした世渡りのコツを人は生きていく中で自然と身に着けていくものだと思う。そのような世知辛くも愛おしい“人生”の中で、幸せになる人もいれば不幸せになる人もいる。成功する人もいれば失敗する人もいる。楽しむ人もいれば楽しまない人もいる。あくまでも生きる意味を追求する人もいれば、流れに身を任せる人もいる。

そして、今回紹介する『イレブン・ミニッツ』という映画は、「人生に意味なんてない。完全に無意味なものだ」ということを高らかに謳いあげている映画なのだ。つまり、ここまで筆者が長々と書いた文章にも何の意味もないことになる。筆者の夢も挫折も全く無意味だとこの映画は言っている。ちょっと他にはない、なかなか凄い映画なので今回紹介させていただきたい。
以下あらすじ。

あらすじ

人物ごとの出来事

A.女優と夫

右が女優で、左が夫。
夫は美しい妻に嫉妬している描写がある。
つい先日も妻を誘惑した男と喧嘩したらしい。

大都会。若く美しい女とその夫が何やら言い争いをしている。夫の目の周りは赤く腫れており、どうやら誰かと喧嘩した後のようだ。話を聞いていくと、女の方は映画女優で、これからオーディションに行くらしい。しかし嫉妬深い夫は行ってほしくない(女優も辞めてほしいのかもしれない)。で、言い争っているようだ。女は夫の飲み物に睡眠薬を混ぜて眠らせ、そのままオーディションに行ってしまう。

B.強盗青年

作中を通して訳のわからないことをぶつぶつ呟き続ける青年。
ややパラノイアめいているが、最終的にこの青年の不安が真実っぽいことが明かされる。

一方、ある青年は外を眺めていて、何やら未確認の物体を見つける。母親を呼ぶが、その時にはもう消えてなくなっている。青年は一念発起し、外へ出ていく。かねてより仲間から強盗の誘いを受けており、ターゲットの店へと出向かうが、店主が自殺していることを発見する。ハメられたと思った青年は手引きした仲間に電話し、「もし捕まったら洗いざらい警察にぶちまけるからな!」と言ってそそくさとバスに乗る。

C.ホットドック売り

話術のあるホットドック売りの親父。
後に出るバイク男とは親子関係。
未成年となんかあったっぽい感じ。血は抗えない。

一方、ホットドック売りの親父は少しイライラしている。この人物はホットドック売りを始めて1か月だが、なかなか堂に入った商売をしており、色々な種類のホットドックを把握し、注文も間違えず、温めている最中の待ち時間にはホットドックに関する雑学かなんかを披露しながら、客を飽きさせずに商売するため人気であり、基本的に就業時間中にホットドックを売り切る。穏やかな風情だが、何やら暗い過去を持っているようであり、一度店じまいの際、過去にひと悶着あったであろう女性が近づいてきて、「先生…出所したのね」と声をかけるや否や唾を吐きかけられたこともある(ちなみに保護観察官から「学校には近づくなよ」と言われていることから、元々は教師で、生徒に手を出して未成年淫行の罪でぶち込まれたのかもしれない)。親父はホットドックのリヤカーを引きながら交差点を渡るが、少し苦しそうだ。ある女性が現れて「大丈夫ですか?」と聞く。「心臓に持病があって、でも大丈夫」と親父は応える。

D.モヒカン女

謎の女。
描写が少ないので謎なのだが、最終的にこの女が一番被害が少ないのだ。
(というよりどうなったかの描写がない)

このホットドック売りに声をかけた女性も一癖ある感じで、茶髪モヒカンに犬を連れている。この犬は元々恋人のものだったようだが、今は彼女のものだ。元恋人から犬を受け取る際、「二度と会いたくない」と言われていることから、何やらあったようだ。別れ際に、家が火事で全焼しており、モヒカン女の元に多額の保険金が入った旨の話をしているので、もしかしたら元恋人をハメてお金&犬をゲットしたのかもしれない。モヒカン女はホットドック売りの症状が治まったのを確認して、去っていく。

E.ビル外壁の男とスワッピング女

右がビル外壁の男。左がスワッピング女。
実際スワッピングしているかどうか分からないが、何かそれっぽい感じなのだ。
外壁男は休憩時間らしい。

一方、ホテルの一室でイチャイチャしながら謎の映像を見る男女がいる。詳しいことは分からないので推測になるが、女がスワッピング行為に励む映像を男に見せているようだ。なかなかアブノーマルな二人だが、男は休憩時間が終わった、と言って仕事に戻る。男の仕事はビルの外壁の高所作業で、ゴンドラに乗って外壁(?)のメンテナンスをする。ふと振り返ると、女が交差点付近で手を振っているが、バイクに乗ったナンパ男に絡まれてウザそうだ。ナンパ男を無視してバスに乗る女。

F.バイク男(ナンパ男)

キメセク中に帰ってきた主人に対して、適当な言い訳をかますバイク男。
ホットドック売りの男とは親子関係。
欲望に忠実な遺伝子を持っているらしい。

このナンパ男は薬物中毒で、バイク便を職業としている。今日も配達先の奥さんとキメセク不倫をかまし、気付いた時には次の配達時間がギリギリに迫っており、慌てて飛び出したところだ。スピード違反の常習者だが、特殊なフィルターをナンバープレートに装着しており、警察の追跡を免れるような小悪党だ。彼は人と待ち合わせをしており、そそくさと荷物を届けると待ち合わせ場所へと向かう。上記のスワッピング女に軽ナンパをかまし、ホットドック売りの親父のところへ行く。この二人、実は親子なのだった。ホットドック売りは息子のバイクにまたがり、嫌味を言う。「向こうの親御さんが待ってるぞ」と。ナンパ男の婚約者のところへ、親子二人で行く段取りだったようだ。しかし、息子のバイクは中々エンジンがかからない。

G.レスキュー隊員たち

訳の分からないところに派遣されるレスキュー隊員たち。
この左のハゲは、この後彼らに殴りかかる。
筆者も意味不明だったが、隊員たちも意味不明だっただろう。
やっとこさバリケードを破壊して室内に入ったら、
妊婦は早産の兆候を示し、夫は戯言を言いながら寝ていた。
タフな仕事である。

一方、某所ではレスキュー隊員たちが悪戦苦闘していた。早産の通報を受けてアパートに駆け付けたはいいが、妊婦のいる階がなぜかバリケードで埋まっているのだ。どうも妊婦の旦那(?)がラリッており、このようなことをしたらしい。旦那を鎮痛剤で眠らし、バリケードを破壊してやっとこさ妊婦の元へ向かう。担架に乗せて運び、救急車に乗せてぶっ飛ばすレスキュー隊員ら。

H.絵描きの老人

水彩画を描いていた老人。
映画撮影中とは知らずに、橋から身投げする人を目撃して立ち上がってしまう。
身投げがフェイクだったと知った後の、この憮然とした表情よ。

一方、河川敷で水彩画を描いている老人は少し不機嫌だ。気分よく絵を描いているところに、橋から飛び降りる女性を目撃したからだ。あっと思ったが、実はそれは映画の撮影だったことが判明する。その時に、インクが一滴だけ水彩画に垂れてしまい、せっかく描いていた絵が台無しになったのだ。憮然として画材をまとめ、バスに乗る老人。しばらくすると、先ほどの強盗未遂の青年に話しかけられる。青年は老人の描いた水彩画に垂れたインクを見て、自分と同じ空に浮かぶ未確認の物体を老人も見たと思い込んでいた。「いや、これは書くつもりじゃなかったんだ」と言って絵をしまう老人。青年はバスから降りようとするが、老人と話していてタイミングを逸する。「頼むから降ろしてくれ!」と運転手に呼びかけるが、無視される。

I.映画監督

左が映画監督、右がAの女優。
映画監督は枕営業的なものを匂わせつつ、女優を懐柔しようとする。

一方、ホテルにてアメリカの映画監督は冒頭の映画女優を迎え入れる。ゴリゴリに下心丸出しで、「タイトルは娼婦の生活」だとか、「誰とでもヤルと聞いてるぞ」とか言って女に揺さぶりをかける。要は枕営業をさせようとしている。そもそも観客はこいつが本当に映画監督なのかどうかも分からないのだが、女優の方は始めは真剣に、しばらくして下心を察してからもなるべく誠意をもって男との駆け引きに応じる。冒頭の喧嘩した夫とは、昨日籍を入れたばかりなのだ。その夫は妻を探して連れ戻そうと躍起になっている。ホテルまで行き、部屋の前まで来るが入れない。ホテルの客や授業員から怪しまれるが、携帯で電話をしている風を装ってやり過ごす。
部屋の中では映画監督が女をベランダへと呼ぶ。「今日変なものを見たんだ。空に浮かんでて、黒くて…もう消えちゃったけど」。女はベランダへと行くが、気分が悪くなりへたり込んでしまう。映画監督は水を飲ませるが、回復しない。こりゃマズイと彼女を抱えて風呂場へと運ぼうとしたとき、業を煮やした夫が扉を消火器でぶち破って突入してくる。驚く映画監督。夫は怒り狂い、妻を抱えた男に掴みかかろうとするが、足を滑らせて突き飛ばしてしまう。映画監督は女を抱えたままベランダの手すりまで突き飛ばされる。折しも、手すりの金具が緩んでおり、ぶつかった衝撃で手すりごと外れてしまう。地上十数階の高さから落下する映画監督、女も落下しかけるが、夫は辛うじて妻の手を掴む。

いきなりドエライことになる登場人物たち。
夫は妻である女優を何とか掴むが、映画監督はそのまま落下していく…。
落下先には、ビル外壁の男が作業するゴンドラがあって…。


そして大事故へ

映画監督が落ちた先には、ビル外壁の男がゴンドラの上で、バーナーを使ってメンテナンス作業をしていた。映画監督の体重をまともに受け止め、ぶっ倒れる高所作業の男。落下の衝撃でゴンドラが傾き、バーナーのボンベが落下する。

ホテルの下では、バイク男とホットドック売りの男がエンジンのかからないバイクにやきもきしていたが、頭上の異音に気付くと上を見上げる。

救急車を飛ばしているレスキュー隊員たちもホテル付近の異変を察知するが、時すでに遅しで、落下したバーナーのボンベが地面に激突し、その爆発のあおりを受けて制御を失い、救急車は近くを走っていたバスをかすめてしまう。それでも勢いが止まらない救急車は、ナンパ男とホットドック売りの男に突っ込んで横転する。驚くモヒカン女。
救急車にかすめられたバスもまた、制御を失って大横転してしまう。

救急隊員たちが乗る救急車に、引火したボンベが突っ込み制御不能へ。
その救急車にどてっ腹をかすめられて、強盗少年・スワッピング女・絵描きの老人が
乗るバスが制御不能へ。負のスパイラルなのだ。

映画監督と高所作業の男が乗るゴンドラは、高所作業の男の命綱が切れて二人とも落下する。落下した先には燃える救急車があり、二人はそこに激突する。そのまま救急車の燃える車体に、バーナーのガスが引火して大爆発を起こす。

救急車の下敷きになるバイク男と、ホットドック売りの親父。
この後、ビル外壁の男と映画監督が落下してきて、さらに凄惨な事態となる。

ベランダで必死に妻の手を握る夫。妻も目を覚まし、事態に驚愕する。夫は何とか引き上げようとするが、そこにホテルの警備員が殺到し、室内に夫を引きずりこもうとする。その時の衝撃で手を放してしまう夫。落下する妻の断末魔の叫びを聞きながら、また自分も叫びながら、夫は警備員に連れて行かれる。

落下していく女優に向かって叫び続ける夫。
多分この映画で一番報われない奴なのだ。

外は大惨事であった。バスが横転し、救急車が民間人に突っ込んで爆発し、死傷者数十人を出した。大事故の様相を呈している。

エンディング

と、ここでカメラがズームアウトしていき、街中にある監視カメラがずらりと並んだモニター室へと移行していく。この大事故もこの数千~数万はあるモニターの中の出来事の一つなのだ。
さらにズームバックしていく。モニターの数が多すぎて映像どころかモニターの輪郭すらも捉えられないくらいまでバックする。次第に無数のモニター映像は(数が多すぎて)テレビ画面のノイズのような状態になるが、先ほどの大事故を映しているカメラだけは爆発の黒煙で画面が真っ黒になっており、ノイズの中にさらにノイズがあるように見える。強盗青年や映画監督が見たという上空の未確認飛行物体はこれだったのか、と啓示のようなものを示して映画は終わる。以上があらすじになる。

街中の監視カメラの映像の中で、ひときわ黒い画面が映画内での事故現場の映像。
この後、さらにズームバックしていき、映像はTVのノイズのようになっていく。


解説:人生に意味などない

この映画は群像劇(のような形式)なのだが、全く群像劇のセオリーにはまっていない。普通なら様々な事情を抱えた人たちがいて、それが一カ所に会して大団円を迎えたり、ある出来事が起きて(或いは連鎖して)それぞれの抱える問題が一気に噴出した上で、解決したりするのだが、この映画ではそれがない。悩みや葛藤はあるんだろうが、描かれたり描かれなかったりして、それがどうなるのかまでは描かれない。全て最後の事故でうやむやにされてしまう。 “間男に掴みかかろうとして、滑って突き飛ばした”という一人の行動が連鎖して大事故を起こすが、それによって生じるはずの作劇上のダイナミズムというか、飛躍がない。事故がきっかけで誰と誰が知り合って恋に落ちたとか、悪さをした奴がむごい死に方をしたとか、少し前の嫌な出来事が原因で事故を回避できたとか、そういう物語的な因果律がない。死んだ人もいれば、特に何の影響もなく生きている人もいる。これは一体なんなのか?

つまり、この映画は劇的なことではなく、その対極にある偶然というものを描こうとしているのだ。偶然は偶然であって、そこに有益な意味を見出すことは難しいだろう(バタフライ・エフェクトとか、カオス理論に結び付けようと思えばできるのかもしれないが)。
冒頭から言及されていた空の未確認飛行物体の正体も、実際それが何なのかは明確な答えを出さないまま終わる。色々と意味深な伏線を張っておきながら、最終的に回収したりしなかったりする。では、物語的には尻切れトンボなこの作品は駄作、或いは失敗作なのかというと、決してそんなことはない。むしろ凄まじい傑作だと筆者は思っている。では、監督のイエジー・スコリモフスキさんは一体何を考えているのか?

映画監督の青山真治さんが書いた『われ映画を発見せり』という本の中で、“イエジー・スコリモフスキという映画監督は意味のない映画を撮ることに血道を上げていて素晴らしい”という旨の記述があった。筆者が『われ~』を読んだのは20代前半の学生時代の頃で、その当時は意味のない映画ってなんかかっこいいな、くらいにしか思っていなかった。その後、スコリモフスキ監督の『シャウト』を借りてみて、マジで意味が分からなかったのを記憶している。当時は「あ、本当に意味のない映画を撮る人なんだ」と思ったものだったが、その精神は『イレブン・ミニッツ』に至っても全く衰えていないように思える(監督時、スコリモフスキ監督は78歳)。

 『イレブン・ミニッツ』は意味のない偶然を描いているが、映画として意味がないかと問われると、そんなことはない。タイトルにも書いたが、この映画は意味のない出来事を描くことによって、“人の人生なんて無意味だよ”ということを伝えようとしているのだと思う。どんなに悩んでいようが、策略を巡らそうが、急ごうが、仕事をしていようが、楽しんでいようが、覚悟できてようができてなかろうが、死ぬときは死ぬぜ、と伝えようとしている。俺たちの人生なんて無数にあるモニターのノイズと一緒さ、と。
えらくニヒルな視点だが、映画自体に暗さはないように思える。少なくとも『イレブン・ミニッツ』をみて、「そっかぁ、俺の人生って無意味なんだぁ…」と諦念や厭世感を抱く人は少ないと思う。それは、この映画の真のテーマが逆説的に語られているからだと思われる。

つまり、“人生は無意味だからこそ、自由に生きることができる”という主張が通ると思うのだ。人生で確定していることは、産まれたらいずれ必ず死ぬ、ということだけで、後は別に決まっていない。悩み続けるのも自由、気にしないで楽しむのも自由、妻に嫉妬するのも自由、ホットドックを食うのも自由、強盗するのも自由、人をぶん殴るのも自由、人を助けるのも自由なのだ。しょせん水彩画に落ちた一滴のインク、モニターの中のノイズと同様、意味などないのだから。
老齢に達してもこのような感覚を持ち、それを映画で表現できるイエジー・スコリモフスキ監督を筆者は尊敬する。
ただし、筆者の賛辞や、筆者が『イレブン・ミニッツ』によって得た感動にも何の意味もないのだが。



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