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ウォーターベッドに落ちる春

わたしこのままでいいんだろうかってずっと思っている気がする。

今月に入ってからずっと。今の家に引っ越してからずっと。前の仕事がなくなるとわかって、でも正社員の仕事を探さずにいたときからずっと。いや、もっと、もっとずっと前からなのかもしれない。

2月はいけない。気圧も気温も気分もぜんぶ。つい3、4日前まで元気ハツラツとしていたはずなのだけれど、それこそ、主催イベントが終わった日からなんだか気が重くて、すーっと沈み込んだまま帰ってこない。うーん。


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ウォーターベッドってあるでしょう。あれ、包み込まれる感じがすごい気持ちいいよね。たゆん、ぽよん、ふわふわ。耳元でちゃぽんと水音が聞こえるのも心地よかったりする。

心地いいけれども、うまく寝返りがうてなくて苦手。寝返りうてないと腰ばっっきばきになっちゃうし気持ち悪い。基本的に、自分の身をある程度自由に動かせる状態じゃないと落ち着かないらしい。

そう。知らない人とはパーソナルスペースも広めにとりたい。電車の座席とかでも、人の膝とか服とかに触れたくない。ただ知ってる人にはむしろスペース詰めていっちゃうので、そこは気を付けてる、最近。


ウォーターベッド、あれに背中からぽとりと落ちていったような感じ。今。たゆん、ぽよん、ふわふわ、沈んで、水が波打って少し体が持ち上がって、また沈んで、水はわたしの隣へ逃げていく。

ベッドの表面より自分の体の方が沈んでいるのがわかる。天井しか見えない。体を動かしてみようと力を入れるけれども、ちゃぽちゃぽと水たちが笑ってうまくいかない。

沈んで包まれて、これはこれで心地よい堕落なのだけれど、いや、堕落って言うとなんだか失礼かも、とにかくこのまま動かないでいるといけない。気持ち悪くなっちゃうのが自分でわかる。でもうまく動けない。


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今年を「のんびり行き先を決める」1年としたけれど、本当にこれでいいのだろうか。答えはたぶん誰にも分からないし、正解にするのも間違いにするのもこれからの自分次第なんだろうな。

少しずつ仕事もやってみたりして、でも全力で頑張れなかったりして、手っ取り早くバイトでも探すかと思ったり、いやもうちょいやってみるかと思ったり。何を。何を、もうちょいやってみるの。それ、できるの?

世間的に見ても今までのわたしから見ても、それはそれはもう「のんびり」過ごしている。疲れたからってぬるま湯に浸りきっている。下手すると他人まで巻き込んでいる。引きずり込んでごめんなさいと思う。


去年からずっとシェアハウス暮らしをしていて、その方が家事とか「ちゃんとしよう」と思えてQOL上がる。ただ、ひとりの時間に弱くなったような気もする。寂しいとまでは言わないけれど、静かだなあと思うことは増えた。

結局のところ、人が好きらしい。人には好かれなくとも、わたしは人と同じ空間にいることを好むらしい。尖っていて、どこにいてもだいたい一匹狼だけれど、本当はひとりが苦手。それでも馴れ合いたくはない。

フリーでいろいろやってみようと思った理由のひとつに、この先どこへ行っても自力で暮らしていけるように、という目標が無いわけではなかった。人・もの・場所。生きたいところへ、いつでもすっ飛んで行きたい。


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安定は、手放すときにリスクが伴う。もう仕事も家も人も一気に失くしたくないと思うんだよ。わたしが思いついたのは、石橋をぶっ叩きにいくことよりも、自分だけの小舟を手に入れることだった。下手くそに生きている。

春はいけない。本当は好きな季節だったはずなのだけれど、すっかりトラウマの多い季節になってしまったなあ。だからかなあ。また何かあるんじゃないかって、無意識のうちに身構えているのかもしれない。

もういい加減に、大丈夫な春を迎えてしまいたい。



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