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東京縁側暮らし

現代においては家々に縁側が必ずあるわけではないのだが、何かの端を指し示すときにはその縁側ということに変わりはないように思えるので、いま私が暮らすこの街はおそらく東京23区の縁側といっても差し支えない気がしている。引っ越してくるまでのイメージにおいて、東京という街は常にやかましく実際訪れてみると酒によって大変尿意を強く感じても立ち小便をする隙すら与えられない程の人通りが裏路地にもあり、はたまた、インターネットからは毎時毎秒面白おかしい出来事が起こっているように見ることができた。しかしながらいざ移り住むことを考えてみたとき、縁のなかった私にも相応に自分らしい暮らしを形成するだけのキャパシティがあるように数字上は思えていたのだが、蓋を開けてみると陽がほとんど当たらない監獄のようなワンルームアパートで無限に湧き続けるカビにうんざりしたり、そのくせに手取り収入の25%を毎月キッチリ引き落としてくる家賃にげんなりし、数字上の物事と実質享受できる恩恵を比べると貧しい暮らしをしているように思えて仕方なく、それは5年の月日が経った今も相違ない。しかしながら数度の引越しと転職、生活スタイルの変化を経て、渋谷駅南改札でキャリーケース片手にスポーンしたときよりは豊かになったと感じられる。感じられると言い聞かせている。

公団住宅のベランダから見える丘陵はほとんど埼玉のもので、生い茂る緑の多さは他の都市圏とさほど変わらないのだが、歩いて10分の何故か高架の上にある地下鉄駅から電車で30分も揺られれば誰がどう見ても都心と言える大手町のオフィスビルに辿り着くことができる。なお職場は大手町ではないので通勤において何のメリットも享受していない。それでもたとえば何かの機会で上京した誰かと集まって食事なんかしようとすると、やはり便利なのは上野から品川にかけての東京都心部であり、渋谷新宿池袋などは現代でこそ都心のツラをしているがあくまで「副」都心とされるところなのだと言い張っておく。なぜかと言うとこちらからは非常に微妙なアクセスをしており、それが故に、こちらの評価は必要以上に下げられているのだと思うが、実際どこに住む上で何かしらのデメリットに折り合いをつけることがほとんどである以上、その分家賃が安ければ何も言えなくなる。

江戸から東京へと時代の移り変わりに伴って街が出来ていくにあたって、特徴的なのはいわゆる「副」都心が開発されて機能していることだろう。国土の70%は森林山陵が占めるそうだが、その中で類稀なる広さを持った関東平野にあることでそもそも市街化できる範囲が広いわけだ。聞くところによると関東平野は四国全体より広いそうである。私の故郷の神戸市が山から削った土砂をベルトコンベアで運び、大阪湾に埋めることで必死こいて街を作っていたのに対し、関東平野では長い年月の中でたくさんの河川が水の力で山を削り海を浅くしているのだ。

河川は山を削るだけでなく削った土砂で海を浅くしており、東京の平地のほとんどは江戸築城まで海であったといわれているほど、埋立地が多いところも特徴と言って良い。日本の工業地帯のほとんどは海を埋め立て、その上に大規模な工場を作り、船で運んできた外国産の原料を加工してまた輸出する加工貿易で発展してきたことは小学生でも知っているはずだ。その埋立コストは当たり前のことだが海が浅ければ浅いほど低く抑えることができる。

話を戻すと平たい陸地と浅い海によって形成されたこの街に人が集まるのは当たり前な話であり、折り合いをつけるといってもその縁の多少内側なのか外側なのかを選ぶ程度のことだ。たとえばその境目は私鉄の急行停車駅ひとつ分だったり、環状道路だったりするわけだけど、私の場合は結果的に特別区という行政区分と地下鉄の始発という区切りだった。この街に暮らして初対面で「家どの辺?」と聞き合うことが圧倒的に増えたし「なんでその辺住んでるの?」と尋ねられることも従って増えた。あれだこれだを繰り返した成れの果てと自分の中では考えているが、それだと何も伝わらないので「やっぱ静かなところが好きで」と適当なことを言っている。

久しぶりに上のようなやりとりをしたので記録として書きました。

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