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お金はたいがい無い

「上野発の夜行列車 降りたときから…」と有名なフレーズがあるが、残念ながら今の時代に上野発の夜行列車はほとんど存在しない。あるとするなら最低でも2、30万の乗車料を必要とするクルーズ列車で、それはそれでいいものの、石川さゆりが歌うような夜行列車による切ない旅情は感じられないかもしれない。私が大学にいた、もはや10年ほど前はまだ札幌から青函トンネルを渡って青森に至る夜行の急行列車が設定されており、上野発の夜行列車もしっかり走っていた。そこからさほど時間も経っていないはずなのに、ただあったものがなくなっていると言うだけで、喪失感もあって物悲しさや時間の長さを感じてしまうのは何故だろうか。

朝6時の大阪駅前第4ビル前でバスを降りた。夜遅くに梅田を歩くことはあっても、人影少ない早朝を行くことは初めてで少し新鮮な感じ。加えて連休中日の日曜日ということもあり、わくわくしていた自分に気付く。来るたびに何かが増えて、減って、新しい風景が作られていくのを見ると、街は生き物だと思えてならない。

友人の住む篠山を訪れて、耕している畑なり市街の中心部を見させてもらった。友人の帰省に乗っかり実家まで帰ったのだが、この篠山でのことは別に書きたいと思う(昨日書き上げたかったが気付いたら今日になっていた)。

年末年始の退屈をたいがい戸田競艇場でやり過ごしてきたせいで舟券を買わねば休日を感じられず、そんな話を母としていたら興味を持ち始めたので一緒に行ってみた。レディースのタイトル戦だったのと天気も良かったので比較的オッズが低いレースが多く、初心者向きの展開が多かった。勝ったがさほど儲からなかったので3レースだけ見て帰った。

レーブドゥシェフというケーキ屋が垂水にはある。幼い頃から何か祝い事のたびにここでケーキを買って食べた。何かがあったときの菓子折りも大抵ここで買っていくし、私も何度か手土産に持って行ったりする。書いていて久しぶりに名物のシュークリームが食べたくなった。

どこかの知事経験者が集団移住をすべきだと被災者に言い放った記事がネットで燃えていた。個人的に地域社会をリストラクチャリングすることには賛成である。計画的に役所が介入して地域を維持する仕組みは必要で、なぜかというと都市での快適な暮らしは安定的に様々な産出が地域でされていなければ維持できないからである。労働力にしろ、食物にしろ、なんにしろである。

IQが20違うと話が通じないらしい、という話の流れ。たまに自分の投げかける考えが全く何も理解されない場面があり、(おそらく周囲の方が自分より能力が高いと思われるので)自分のIQというか頭の悪さに絶望してこう考えるわけです。そういうとき、ないですか?最近割としょっちゅうありまして大変生きづらさを感じている。なお、大学辞める前くらいまで自分の方がたいがい能力高いと思っていたので、非常に傲慢な屈折の仕方をしていましたが、まあ、いろいろ思い知るわけですね。

今の会社に入ってから給料日にまともに明細を見なくなったのは、自分が給与計算に絡まなくなったからなのか、はたまた収入が上がって人並みとされる金額をもらえるようになったからか、いずれもだとは思うのだが、確定申告のこともあるので源泉徴収票を眺めていた。20代後半にしては普通くらいの金額が書いてあって、バカみたいに働かされた一昨年と比べると数十万下がっていたものの、まあこんなもんか、という感じだ。多くもなく少なくもない。しかし財布の中には今日明日を食っていくだけの金しか入っておらず、預金残高もさほど多くなく、給料日に定額抜いて証券口座にほったらかしにしているせいで毎月給料日前になるとデビットカードの決済エラーをすることがたまにある。つまるところ学生の頃から何も変わらず自転車操業なのである。他方目をやるとやれ家だの車だの家庭を持っただのいいホテル泊まって旅行に行くだの書いてあり、みんなそんな金脈をどこに持っているのだろうと不思議な気持ちになるのである。でもなんとなくスーパーへ行って卵の高さにいちいち驚いて、買う買うまいと迷うのも好きかもしれないし、そうやっていたい。

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