小山田圭吾と「20数年前の和光学園」のインクルーシブ教育 1

オリンピック開会を一週間後に控えた2021年7月15日、僕はあるニュース記事を見て目を疑った。

それはミュージシャンの小山田圭吾(52)が、東京五輪の開会式で楽曲製作を担当する、というもの。

僕は「何かの冗談ではないか」と思った。が、そんなことはない。確かに小山田圭吾が楽曲製作を担当するのだという。

小山田圭吾の名前は知っていた。僕も音楽は好きだ。中でもandymoriというバンドが大好きで、そのボーカルは小山田壮平という。よく名前が似ているからたまに間違えそうになる。それで知っていた。

しかし、小山田圭吾の音楽は全く聴いたことがない。それほど興味が湧かなかったのだろう。

そしてもう一つ。小山田圭吾は僕の中学校の先輩である。小山田は東京都町田市にある私立和光学園の中学、高校を卒業している。

この和光学園は僕の母校である。町田市真光寺のキャンパスで中学生の三年間を過ごした。小山田圭吾は和光学園の著名な同窓生の一人である。もっとも僕よりも遥かに年上なので、期はまったく被っていない。僕が入学したころはすでにミュージシャンとしての名声を世界的に確立していたと思う。

そして僕がなぜ目を疑ったのか。それは小山田圭吾がかねてより、極めて評判が悪いことを知っていたからだ。なぜ評判が悪いのか。それが、和光学園在学中の障がい者いじめ問題だ。

詳細はこれら声明や記事を読んでほしい。

小山田圭吾が自身が和光学園在学中に犯した苛烈な加虐行為と、それを悪びれもせずに雑誌で喋り、自身のキャラクターの色付けに利用していた事実は、音楽ファンの間ではかなり有名である。もちろん小山田の人間性に対する疑問や批判の声はあった。僕もツイッターで批判の声を上げていた一人である。

しかしながら小山田圭吾は世界的なミュージシャンとはいえ、あくまで「いちミュージシャン」であった。NHKなどの楽曲担当はしていても、あくまで準公人であり、大々的に過去の犯罪的な行いが暴露され、批判されるということは無かった。

しかしオリンピックパラリンピックという世界的大舞台は、小山田圭吾をここに公人として引っ張り出したのである。

僕は不可解に思う。なぜ、よりによって小山田圭吾という障がい者いじめの代名詞のような男を、こともあろうにオリンピックパラリンピックに起用するのかと。彼のいじめエピソードは雑誌に掲載されたものであり、前述のとおり音楽ファンの間では有名な話で、インターネットで「小山田圭吾」と検索すればすぐに出てくるほどなのだ。なぜ起用前にその程度の調査もしなかったのだろう?

考えられるのは

1 まったく調査せず名声だけでオファーをかけた。組織委の目は節穴だった。

2 調査はしたが少年期のありふれた軽微ないじめだろうとスルーした(調査不足)。やはり目は節穴だった。

3 いじめの内容も含めて知っていたにも拘わらず問題になることはないと  高をくくり起用した。

そして、もう一つ

4 いじめの内容を知り、敢えて起用した。

である。

このうち3の場合は深刻だ。つまり、この国が「いじめなんて大したことはない」という本音を隠し持っているということだからだ。どうせ過去のことだから今更、だれも怒らないだろうと高をくくり、こともあろうに障碍者との共生、多様性をうたうオリパラに起用したということだ。

もし、そんな考えを組織委員会が持っていたならば、それだけでオリパラ中止ものだろう。この国はいじめ被害者を守らない、障碍者を守らない。加害者でも名前が売れてれば何をやっても良い。そういうメッセージを世界に発信することになる。そういうメッセージを子供たちに発信することになる。これは絶望的なことだ。もはや、僕たちはこの国(政府、社会体制)の存続すら許してはいけない。そういうレベルの話だと思う。

では4はどうか。僕はこれもあり得る話だと思う。つまり、組織委の中に反五輪を信条とする、または今回の中止か延期を切に願う者がいて、大会を混乱に陥れるために敢えて問題のある人物を起用したというもの。または起用されるように「身体検査」結果を捏造するなど工作したというもの。

想像の話をしても仕方がない。とにかく、小山田圭吾は続投を表明している(7月18日現在)。僕は続投を支持する。何故か?この五輪は「そういうもの」だから、障碍者を拷問して楽しみ、朝鮮人をいじめて楽しむ小山田圭吾が音楽を担当することがこの上なく相応しい。それがこの五輪、この国の体制の本質である。この現実を世界と民衆に突きつけるために、小山田圭吾という弱い者いじめを楽しみ、公言して憚らない男が音楽を担当すべきである。僕はそう思う。その結果、どんな報いをこの国の支配者が受けようとも、因果応報というものだ。

さて、もう一つ彼の障碍者にたいする暴行、傷害にかかわる重大な要素がある。彼の犯罪の舞台である和光学園は、それを把握していたのか。対処はしていたのか。という疑問が湧いてくる。

これは僕のツイートだ。思わぬ多数の反応があり、少々驚いている。

反応の中には、和光OBを名乗るものもあり、やはり障がい者ネグレクトやいじめの横行を嘆いていた。少数だが居心地の良い学校であったという人もいるが、感じ方は人それぞれだろう。僕の見た限りでは、圧倒的に学校の対応に疑問を抱くOBが多いのだ。

僕の和光での経験を書こう。僕自身、広い意味での「障がい者(精神障碍者)」である。発達障害の診断を受け、通院治療中。手帳の交付は受けていないから厳密には障碍者とは言えないだろうが、日常生活には支障が出ている(そのため自立支援医療という制度を使っている)。しかし診断が出たのはここ数年のことで、小学生時代は「変わり者、そそっかしい、落ち着きがない、友達付き合いが絶望的に苦手、他多数」という特性があり、また数字が極めて苦手で特殊学級への編入を勧められたほど(公文式に通い、なんとか改善した)だが、診断は受けていなかった。

両親はこの特性をよく承知だから、公立の中学校に進ませることに不安があったらしい。通っていた国語専門の塾の先生に相談したところ、多様性を尊重する教育で名高い私立和光中学校を勧められたのだ。ちなみにこの塾講師は作曲家の小林亜星の子息で、かつて俳優として戦隊ものに出演し有名な人であった。現在は塾講師をやめてしまい、プライベートでの逮捕が報じられるなど心配な状況であるが、僕にとってはこの塾で国語の学力が飛躍的に向上(学校のテストで70点が精いっぱいだったのが100点が当たり前になり、小6の時点で都立高校入試問題を解いて満点をとれるまでになった)したので、恩師である。

そうして僕は和光中学校を受験して、入学した。倍率は5倍程度あったらしく、僕の学力でよく入れたものだと思うが、面接で何か面白いことを言ったようで試験員の先生が大ウケしていたから、その点数が高かったのかもしれない。

希望に胸を膨らませて和光に入学した僕であるが、段々と失望を感じるようになる。和光のパンフレットや見学したときにみた状況とのギャップを身をもって体験する。

まず和光は自由と自主性を何よりも重んじる校風である。それは行事の時に遺憾なく発揮される。入学早々に行われる「日本一早い」運動会や、7月の全校生徒、教職員に同窓生も参加する五泊六日の館山水泳合宿、文化祭、学芸会、3年生で行われた秋田学習旅行など。もちろん宿泊や交通機関の手配など実務的な計画は教員団がやるのだが、実際の運営はほとんど生徒に任せられる。館山水泳合宿などはその典型で、全校生徒による選挙(選挙運動期間があり、選挙管理委員があり、立会演説会もある)によって「総務」と呼ばれる運営委員を選び、総務を中心に生徒の話し合いで合宿が運営される。これが形式に流れず、毎年毎年、個性的に、しかも総務が主体的に運営してしまうのだから、今考えてもすごいことだと思う。ほかの学校の生徒にはまず出来ないだろうと思う。まさに和光生の本領発揮である。

このように和光教育の素晴らしい面はもちろんあり、僕もその中で育ってきたし、和光で身についた「和光生らしさ」が今も生きていると思う。

ところが矛盾もある。それがツイートに書いた「障碍者ネグレクト」と「いじめ」だ。そしてもう一つ、和光生は日常生活においてきわめてだらしなく、学級崩壊状態なのに、それに対する教員の指導がほぼ無いのである。

長くなってしまったので、これら和光学園で感じた矛盾は次回書くことにする。

追記 2021年7月19日

>面接で何か面白いことを言ったようで試験員の先生が大ウケしていたから、その点数が高かったのかもしれない。

この段について、試験員が発達障害的な言動を笑ったかのように誤解させかねない書き方なので、補足します。

この面接では僕も気合が入っていて、面白いことを言おうと意識していました。何を言ってウケたのかは覚えていませんが、こちらの意図通りに試験員がウケたことに間違いありません。従って、発達障害的な特性を教員が笑ったり、バカにしということではありません。

また私の特性を教員が揶揄するようなことは、3年間を通して皆無でした。もちろん他の生徒の障がいに対しても同様だと思います。




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