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アイルランド抵抗歌 Mandela(Tha Legend) マンデラ(伝説)

南アフリカ共和国は多民族国家で、約8割を占める黒人、1割を占める白人、残り1割のアジア系、混血のカラードで構成されている。

白人は、オランダ系移民を中心としたボーア人、宗主国であったイギリス等が住み着いたが、イギリスは支配の実務を二級国民として見下されていたボーア人に担わせ、人種隔離政策「アパルトヘイト」を実行させた。そうして有色人種と二級国民ボーア人とをいがみ合わせ、分断し、イギリスによる支配を盤石なものとした。

日本でも有名なネルソン・マンデラは1918年生まれ。部族の首長の子として育ち、大学での高等教育を受け、1944年にアフリカ民族会議(ANC)に加盟する。

政府によるANCへの弾圧は激しさを増し、マンデラは非暴力の限界を悟り、1961年、「民族の槍」という軍事組織を設立し、武装闘争を指揮する。そして1962年に逮捕され、長い獄中生活が始まった。

Mandela(The Legend)

Written by Daniel Hannon
Copyright 1990

1
I went to see a legend
Just the other night
Down in Yankee Stadium
Underneath the lights
I heard an old man speak there
After years and years in jail
his name it was Mandela
and he came to tell his tale

2
Well the crowd cheered him loudly
Ah but then the silence fell
When he spoke of the hard years
In a South African cell
And although he was free now
His heart was still in pain
Because his country and his people
Still wore apartheids chains

3
He said he hoped that we would join him
As he walked down freedoms path
And that these miles would be the hardest
But they would be the last
And to join our hands together
So that we might be as one
try to find ourselves the courage
That this battle could be won

4
I went home that same evening
I fell a asleep and had a dream
I was standing in a cold rain
In a Irish field of green
And all around me headstones
Of the martyrs from the past
I was standing there in silence
When they spoke to me at last

5
Kevin Barry is my name
And I died in the hangmans noose
They wanted the names of my comrades
But this I would not do
And I am Roger Casement
And I died by Englands hand
For bringing German rifles
To the lonely Banna Strand

6
James Connolly is my name
The working people were my life
When they shot me down in Killmainham Jail
It brought great civil strife
And I am Padraig Pearse
I was murdered by the foe
Because I read the Proclamation
From the steps of the GPO

7
Well the last voice that I heard
Said my name is Bobby Sands
He said it good to hear Mandela words
Ringing through the land
I hope they hear him up in Belfast
In Derry and Tyrone
Maybe then those English soldiers
Will know its time to go home

8
I awoke in the morning
I remembered them all
And who would believe
That theyd knock down the Berlin Wall
And I said Mandela,
Oh could this really be?
Maybe now we will see Ireland
Reunited and free  Maybe now we will see Ireland
Reunited and free

マンデラ

1 この前の夜、私は伝説を見にいった 

  ヤンキースタジアムの光の下で

  何年もの獄中生活を経た老人が話すのを聞いた

  彼の名はマンデラ 彼の足跡を話すために来た

2 ああ、歓声に沸く民衆たちも静まり返る 彼の話を聞くときに

  南アフリカの独房での長く過酷な年月を

  そして自由になった今も彼の心は痛んでいる

  彼の祖国の人々は今もアパルトヘイトの鎖に繋がれている

3 彼は言う、ともに自由への道に加わってほしい

  道のりは困難でも、それが最後になるのだ

  共に手をとろう、私たちが一つになるために

  私たち自身を大義に導こう、戦いに勝つために

4 私は家に帰り、眠りに落ちて夢を見た

  降り注ぐ雨の中、アイルランドの緑の大地の立っていた

  墓石の周りに、過去の殉教者たちが立っていた

  黙って立っている私に、ついに彼らが語りかけてきた

5 俺の名はケヴィンバリー 独房で死んだ

  奴らは同志の名前を聞き出そうとしたけど、俺は口を割らなかったぜ

  私はロジャーケースメント ロンドンの街で撃たれた

  孤立したバンナストランドにドイツのライフルを持っていこうとした

6 ジェームズコノリー、それがわしの名 労働者こそ我が人生じゃ

  キルメイナム刑務所で射たれたとき 市民が戦いに立ち上がっていた

  私はパトリックピアース 敵に射ち殺された

  私は建国宣言を読み上げたのだ 中央郵便局の階段でね

7 そして最後の声が聞こえた 僕の名はボビーサンズ

  マンデラの声が全土に鳴り響くのは素晴らしい

  ベルファスト、デリー、タイロンで聞きたいものです

  英兵たちは撤退の時が来たと悟るでしょう

8 朝、目が覚めて、私はすべてを思い出した

       そして誰が信じるだろうか、彼らの手でベルリンの壁が壊されたと

  私は語りかける「マンデラ、これは本当なのだろうか?」

  きっと、私たちはアイルランドの統一と解放を目撃するだろう


1990年2月11日、マンデラは釈放される。当時のデクラーク大統領による融和政策と、国際的な南アフリカと獄中のマンデラへの動向への関心の高まりが影響しただろう。

しかしマンデラの闘いは終わっていなかった。分断され対立が続く国内の勢力をまとめ、アパルトヘイトを撤廃し、全人種参加の選挙ができるようになるまでは、まだ時間がかかったのだ。

その後、マンデラはノーベル平和賞を受賞、南アフリカ共和国大統領となる。引退後の2013年12月5日、95歳で死去。


釈放後の1990年6月21日、マンデラはアメリカ合衆国のヤンキースタジアムを訪れ、8万人の聴衆を集めて演説。

この曲はその時の様子をニューヨーク在住のダン・ハノン(同名のイギリスの議員とは別人)が描いたもの。歌詞にはいくつかのバージョンがあるが、僕が一番好きなのは、スコットランドのアイルランド系バンド、Charlie and The Bhoysによるバージョンだ。

数多いアイルランド抵抗歌の中でも、最も好きな曲の一つである。

マンデラはゴルゴ13の「力は我々にあり」でも描かれた。日本人にも名の知れた政治家である。しかし、自由を平等のために武装闘争に身を投じた若き日のことは、日本ではあまり意識されていないかもしれない。

アイルランドの共和主義者の間でも、イギリスをはじめ白人による帝国主義、圧政と戦い、膝を屈することなく勝利したマンデラは希望の星なのだろう、ベルファストの壁画にもマンデラが題材として描かれている(らしい)。





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