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【挫折とキッカケ】まずは恩師を作ること

今回は私に訪れた「キッカケ」について残したいと思います。

【その1】大学全落ちと卒業式

人生で一番の挫折は?と聞かれたら迷わず「大学受験」と言います。
結論から言うと志望校どころか
手当たり次第受けた有名大学&学科に全て落ちました。
あげくの果て受験料がもう払えませんと親に宣告せれ
バイトで溜めた貯金も底をつき(むしろマイナス)
最後の砦で受けた短期大学さえ落ちました。
今振り返ると「母親の期待に応えたいという過度な意識」「自分に対する奢り」これが大きな原因だと反省しています。

私の高校は女子生徒ばかりで校則が緩く、制服着用が必須ではなかったので卒業式も袴やドレスで迎えるのが普通だったのですが
周りとは違い私だけ進路が決まっておらず、そして母親がかき集めて払ってくれていた受験料を全て無駄にした罪悪感もあり、「卒業式は袴が当たり前なんだよ」なんて口が裂けても言えない状況でした。

というわけでクラスで私だけが制服で卒業式を迎えました

周りの友人はとても綺麗で、皆で写真を撮ってキャッキャする姿を見て
自分の劣等感や情けなさ、羨ましさで胸が張り裂けそうな1日でした。
1人取り残されたような、この場から消えたい、そんな感覚。

最初は何も気にしてないフリをして私も写真を撮っていたのですが
1人の友人から
「写真撮ってよ!制服だし別に映らなくてもいいでしょ?」
という何とも強烈な一言を言われてから
あまりのショックに自分の机に向かって一人俯き、涙をこらえながら
ただその時が過ぎるのを待つことにしました。
と同時にその一言で、みんな上辺だけで私と接していた事も気づきました。(立ち直れない)

教室の外では保護者が笑いながらこっちを見ているのに、
状況を察した私の母親は口元を押さえながら隅っこで泣いていました。

そして卒業式が終了して速攻教室を出たわけですが
親が「気づいてあげられなくてごめん」「よく堪えたね」と私の背中をさすり、一緒に泣いて校舎を後にしたのが高校生活の最後でした。

クラスの集合写真に私はいません


そんな苦い苦い経験がありました。


今現在、高校で友達と呼べる人物は一人もいません。

【その2】行くつもりのなかった無名大学に進学

苦い思い出と共に高校を卒業し、
高卒で就職を考えていた頃、母親からある1本の電話がきました

「今から大学に行くから、筆記用具を持って、すぐに支度しなさい。」

えっどういう事?と思いながら連れて行かれた場所は願書締め切り当日の無名大学でした。
母親には自分が大学に行きたくても行けなかった過去があり、娘にはどうしても大学に通って欲しいという思いがあったそうで
母親が勝手に願書を提出していました。笑

今思えば私の大きな「キッカケ」は母親のおかげです。
一応試験は受けたのですが反抗心があったので名前だけ書いて白紙のまま提出しようと思っていました。が、母親の熱意を思い出し、もう一度チャンスがあるのかもしれないと考えしっかり試験に臨むことに。

高卒で就職すると思っていた私の人生
志望校ではありませんが大学生になる為の切符を得ました。

今の私がいること、全ては娘を見放さず
最後まで諦めなかった母親がいたからだと心から感謝しています。


ありがとう、お母さん

【その3】恩師と出会う

そして大学生として新たなステージに立った訳ですが
周りを見渡すとヤンキーばかり、義務教育期間中に不登校だった、英語に関してはアルファベットの並びしかわからないEtc...など
なぜ大学に来たの?というか今まで何して来たの?
と聞きたくなる程とにかくレベルが低すぎる学生ばかり。(今は彼らも各々尊敬するほど活き活きと社会人しています)
私自身ことごとく受験に失敗してここに来た分際なのに、正直見下した目で同級生を見ていました。私はあなた達とは違う!てな感じのハリネズミ状態。
(補足:卒業してから何年も経っておりますが、同級生とは未だに仲良しです)
そして入学して数か月間は、こんな所で何の得にもならない4年間を過ごすなら働けばよかった。と絶望すら感じていたのでとにかく荒みに荒みまくっておりました。

母親に散々迷惑をかけた罪悪感から少しでも解放されたいと思い、とにかく大学生活で何かしら得て卒業する事だけは決めていた訳ですが
ここで、また突然人生の転機が訪れました。

「恩師が出現」

何気なく受けたエアラインセミナーでいらっしゃった元CAの大先輩。
とても美しく、凛としていて、とてつもないオーラを放つその先生を初めて見た時、当時荒んでいた私の頭で何かが走りました。
と同時に、セミナーを受けて初めてCAがどんな仕事なのかを知る事になり、興味を持ちます。(そもそも自分がなれると思っていなかったのでCAという発想すらありませんでした)
セミナー後、個別で声をかけ
「どうやったら先生みたいな女性になれますか?」と聞いた所
先生はたった一言。


「CAになりなさい」

この一言だけ私に伝えてその場を去っていきました。

強烈なインパクトを与えて去った先生。

私もCAになれば、この荒んだ生活が変わるかもしれない。
CAになれば、お母さんの期待に応えられるかもしれない。
CAになれば、バカにした人を見返せるかもしれない・・・

率直にそう思いました。

後日先生の記憶が新しいうちにすぐ連絡をし、CAになる為に努力したい事を伝え、それから4年間先生のような人間になる為に努力する事を決意。

当時、離れて暮らす父親に相談をした時には
「受かるわけないし、努力するだけ時間と金の無駄」と突き放され
周りにCAになりたいと言っても「無理でしょ」「突然どうしたの?」「頭おかしくなった?」等と散々言われましたが笑
既に”今に見ておけよ”と、自分の中で留めていた野心が芽生えておりました。

「まずは模範となる人物を探す」

ここまでザックリと私のエピソードをお話しました。追々その当時どう行動したのか細かく残したいなと考えておりますが、ここで伝えたい事はなにか。

「まずは目標を見つける」

これは学生にも伝えています。目標とする人物も見つかるとよりリアルに考えていけるのではないかと経験上思っています。

私は恩師が弁護士だったらきっと弁護士を目指していました。
CAになりたいのでは無く、私の荒んだ日常を一気に吹き飛ばす程インパクトの強い恩師のような人間になりたいと思っていました。

まず何をしたいかわからない、何から手を付けたらいいのか不明。
そんな時は尊敬する人のどこに尊敬して、どんな行動を取っているのかを一度観察し、「良い部分を模範する」これが一番手っ取り早いと考えています。時間が限られている学生に対しても、常に何かしら模範になるような、ヒントを与えてあげられる先生でいたいと強く思っています。

そしてただ目標となる人物を見つけるだけでなく
「その方に出来るだけしがみつく」
これも大切だと考えています。

人は自分に興味を持たれると、やはり何か教えてあげたくなる。熱心に添削や質問をお願いしてくる学生には応援したいと思う。
そして私の恩師は、それはそれは厳しい方でしたが(何度も怒られ、泣かされました)諦めずにしがみついて結果がついてきました。

そして恩師になり得る立場として今に至り、思うこと。

講師という職業は少なからず誰かの模範になる職。
自分が担当している科目の中だけでも構わない。生徒に対しては
キッカケを作り、見放す事なく、愛情を与え続けるべきだと考えています。

「夢は大きく、目標は細かく」


私のモットーが学生に上手く伝わってくれている事を願って
今日も教鞭をとる生活を送っています。



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