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エナジーワーク探究記①~エナジーワークと祈り~

最近『祈りの研究』(中村雅彦著)という本を読みました。
偶然手に取ったのですが、思いのほかエナジーワークとの関連が感じられたので、エナジーワークの中での気づきと合わせてまとめてみることにしました。

毎回の紹介になりますが、
ここで初めてエナジーワークに触れる方もいると思うので、念のため。

エナジーワークに興味のある方はこの動画が最初の一歩としてお勧めです。デルフィナ(Delphina Energywork and Medicine)創始者のメリナさんがエナジーワークをコンパクトに解説しています。誤解されがちなエナジーワーク、サイキック、リーディングへの理解が深まります。

なぜ祈る?なぜエナジーワークをするのか?

●精神修養の究極結果は「悟り」などの高次の意識状態に到達することですが、それは宗教の道を極めようとする人々にとって意味のあることだろうと思います

●私は、むしろ、世俗的な世界に生きる人々にとって重要なことは「祈りに生きること」であると考えています。(『祈りの研究』より引用。以下同)

僕がエナジーワークをする目的も「祈りに生きること」にあると言っても過言ではありません。

正確には「祈りに生きる」プロセスを通じて「魂を成長させること」がエナジーワークを続けている目的です。
エナジーワークの原理③:エナジーワークは魂を成長させる
※エナジーワークの原理①~②についてはこちらを参照

では「魂を成長させてどうしたいの?」と聞かれると、そこへの解はありません。「何が起こるかわからないが、やる」という感覚です。

この「精神修養」の成果や結果に触れている部分もあったので、僕の考えと共にシェアしてみます。

●そういういままでとは違う感覚というのは、修行している最中って何も出てこないんです。急にがんと出てくる時期があるんですよ。

●だから、何も求めずにずっと学習している期間が必要です。
潜在学習という概念もあるけれども、なかなかトレーニングというか修行中には結果がでない

これはどのトレーニングにも言えることかもしれませんが、エナジーワークについても当てはまります。

ついついトレーニングをしていると、お金が手に入るようになりたいとか、モテるようになりたいとか、現世利益を求めてしまい、それが手に入っていないと成果とは言えないと考えてしまいがちです。

このような頭の使い方をエナジーワークの観点では「ジャッジメント」と言います。時間とエネルギーを使っているのに、それに見合った成果が出ていないと「ジャッジ」しているということです。

例によって「ジャッジメント」の明確な定義があるわけではないのだが、敢えて表現してみると「不快さから逃れるために思考を使って区分け・意味づけをする行為」と言えるのかもしれません。
エナジーワークの原理④:ジャッジメントは魂の成長に寄与しない

ちなみに、僕は「修行中には結果が出ない」を「生きているうちには結果が出ない」ぐらいに捉えています。(結果が出るに越したことはないと思いますが)

「人として、肉体としての生を終えた後に、成果として実感できるのだろう。生きているうちに得られる成果は「お釣り」のようなもの」ぐらいに考えて、日々エナジーワークしています。

エナジーワークと頭を使うこと

さて、「頭の使い方」についても記述されている箇所があります。

その感覚が鋭くなったからといって、一方で学者としての論理的な思考というか、そういうものとトレードオフ(二律背反)になるというか、そっちのほうがやっていられなくなるとかいうことはありませんでした

この手のトレーニング(エナジーワーク)を続けていくと、思考が弱まってきます。自分の中での重要度も落ちるし、使う頻度が下がっていくので、筋肉が落ちていく感覚に近いです。

ただ、思考はすべて悪なわけではなく、直感を使った上でも思考は使えるし、必要に応じて使えばいいと思っています。

さて、先ほども触れた「ジャッジメント」とはいったい何なのでしょうか?


自分のエネルギー以外のものはすべて流す

ただ「ジャッジメント」はわかっていてもやってしまいます。

この点にも本書は触れていて、やはりエナジーワークにおけるポイントと共通しています。

祈祷というのは、拝むこと自体に集中しなければいけない行為で、何かを考えたり、判断したりしながらやるものじゃないからです。目の前で起きている出来事でさえも、感覚の外にやって流してしまわないと、祈祷の効果は出てきません。極度に高い精神集中が必要なのです。

この記述はエナジーワークをしている時とかなり近い感覚です。

エナジーワーク中は、見えるものをどんどん言葉にしながら、もう一方で要らないエネルギーをどんどん流したり、爆破(⁉)しています。

ただ、これはいわゆる集中とはちょっと違った状態で、言うならば「力を抜いた集中」みたいな感覚です。

力が入った集中は、やはりジャッジメントのエネルギーが強くなっています。力が入っている時は、集中している状態=OK、集中していない感覚=NGという前提に支配されていることが多いからです。
エナジーワークの原理⑤:自分本来のエネルギーではないものはジャッジメント(解釈・意味づけ)せずにただ流す

続けてもう一つ引用です。

結局、水に流せるかどうかという問題なのです。それは執着するということにもつながっているのですが、執着が強すぎると執着心自体が色々なネガティブなものを引き寄せてしまうのです

これも「流す」感覚を表現していると言えます。

問題そのものに対処することも悪くはない時もあるとは思いますが、問題に対処する=そのネガティブなエネルギーがある前提、になるので、まずはエネルギーを流して、それでなお、対処が必要であれば、淡々と対処すればいい。(エネルギーを流すと問題が問題でなくなることも多いのですが)

引き続き「流す」について。

●目指しているものは自分で自分のことが祈祷できる状態になること

●自分が手にした財産なら、 その何パーセントかを社会に還元するといったことは積極的に行って行った方が、また回ってくるということにもつながるし、 良い循環が起きるのです。

●「回ってくるとはどういうことでしょうか?」
手にしたものというのは何によって与えられたかということですね。それをすべて自力と考えるのか、他力がそこに入っているかと考えるかです。

エナジーワークでは「とにかくあらゆるものを流すべし」と習います。
(詳しくは以下参照)

全てを流してしまって大丈夫なのか?という疑問もありますが、実は同時に働く原理として「流したもので必要なものは戻ってくる」があります。だから、安心して流せばいいのです。これが「回ってくる」に近い感覚だと捉えています。

とにかくエネルギーは流す。そして、必要なものは自ずと戻ってきます。
エナジーワークの原理⑥:流しても必要なものは戻ってくる

エナジーワークと情報場(意識場)の関係

エナジーワークにはリーディングとヒーリングの2種類があります。
リーディングはエネルギーを読むこと、ヒーリングはエネルギーを変えることです。

本書でヒーリングについて触れている箇所があります。

●特に拝み屋の世界でやっていることというのは、神そのものと交信して何かを解決していくというよりは、眷属(けんぞく)とか式神とかと呼ばれる、人と神との中間にあるもの、つまりそれらの意識場との交流がメインになります。

なぜかというと、眷属(けんぞく)とか式神といっているものは、ある意味人間が作り出したイメージ体なのです。そういうもののほうが個別具体的な要求に応えやすく、願望を実現する効果があります

エナジーワークにおいても、この記述に近い世界観でヒーリングを行っていて、さすがに式神とは呼ばないが、原理的にはかなり近いことをおそらくやっています。

意識場と直接つながるという方法論もあることにはあるであると思いますが、個別の目的や役割があることに関しては、式神的な存在を使った方がお互い(自分と式神的存在)にとってクリアにエネルギー交流ができるように体験を通じて、感じています

祈り、エナジーワークは意識・情報レベルのやり取りなので、当たり前ですが目には見えないものです。この点についても参考になる箇所があるので引用してみます。

自動的、無意識的に出てくる音=バイブレーションになって神に通じたと感じた時に言霊になるのです。

エナジーワークでは言葉はあまり重要視されていませんが、バイブレーションになった時に通じる・言霊になるという考え方に関しては共感できるところがあります。

言葉そのものが影響を与えるというよりはバイブレーションや言霊が影響を与えている(影響が大きい)原理が共通しているからだと思っています。

エナジーワークにおいても「言葉は多くなくとも伝わっているので、すべてを伝えなくともOK」と習います。むしろあれこれ話しているとフィードバックされることもあります。
エナジーワークの原理⑦:言葉そのものではなく、言葉のエネルギー(言霊・バイブレーション)が影響を与える)

いかにしてエナジーワークは魂の成長をもたらすのか?

最後にエナジーワークが魂の成長にどのように影響するのか?です。

「自分自身を(根本的に)変える方法はありますか?」

まず自分にとって心地よくなる場所とか安らげる人など、人、場所、物に対して安らぎ、心地よさを感じられるものを日ごろから見つけておくといいでしょう。

自分が変わることによって、周りも変わるということもあります。それは内界と外界がつながっているからで、シンクロニシティという考え方に基づきますけれどもね。

ここでいう「自分にとって心地よくなる状態」が、エナジーワークにおいては「自分本来の波動」です。

ここでの注意点は、「肉体的に快適な状態を目指す」わけではないことです。

多くの場合は、一致するものですが、ただ肉体的に快適な状態を目指しても、それは肉体の自分が喜ぶだけで、魂の自分が喜ぶわけではありません。そしてエナジーワーク的には肉体の自分は、自分ではありません。

ただ、これも下手に区別をすると「ジャッジメント」になるので、「魂の自分として心地が良いとはどういう感覚か?」に忠実になればそれで大丈夫です。(エナジーワークの原理⑧:自分本来の波動が魂を成長させる)

この心地が良い=自分本来の波動になる、は組織においても同じことが言えると思っています。

社運が上がるとか下がるとか言いますが、そこに集まって組織の人々の集合的な無意識の波が来ているんですね

「社運が下がる」を、エナジーワーク的な観点で捉えると、組織の波動が重くなること、その組織以外のエネルギーが入っていること、だと言えます。

その組織本来の波動でないと、何かとトラブルを引き寄せたり、それに反応的になったりする、そうすると現実的にもおかしなことが起こる、というわけです。

組織に関わる仕事をしている中で、僕が本質的にやっていることも「その組織本来の波動が何か?ということを伝えたり、その組織以外のエネルギーを取り除くお手伝い」なのだと、エナジーワークをやっていく中で腑に落ちてきました。

こんな風に日々過ごす中で出現するインスピレーションと、エナジーワークでの気づきを統合する中で現れたものを、今後も振り返りがてら書いていきます。

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