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映画レビュー 五十本目「アメリカン・ユートピア」

「アメリカン・ユートピア」

雨脚は然程では無いのに、ビル風にビニ傘を破壊されながら向かった金曜日の昼、TOHOシネマズ日本橋にて鑑賞。

なんで音楽映画なのにDOLBY館で上映しない?!とは思ったけど、仕方なく。

本国アメリカでは劇場が閉まっていたから配信スルーだったことを考えると、かなりの好条件だから良いか。



デイヴィッド・バーンを知ったのは、91年に解散したバンド、トーキング・ヘッズの80年発表のアルバム「リメイン・イン・ライト」辺りだったと思う。

多分、当時日本では「サード・ウェイヴ」とかなんとか呼ばれたYMOの後の日本独自のニューウェイヴムーヴメントのリーダー的バンド、プラスチックスとの米国ツアーで名前を知って、ちょうどリリース直後だった件のアルバムを勢いで買って聴いてたように記憶している。

しかし、電子音楽漬けだった自分の耳に入って来た、その単なるロックとは言い難いグルーヴ感は、田舎の子供にはすんなりとは受け入れ難かった。

なのに、アルバム一曲目の「Born Under Punches (The Heat Goes On)」の奇妙で重いビートが、いつまでも頭から離れなかった。

ヘッズには聴き易い曲も沢山あるのだけど、あの重苦しさがクセになってしまった。


そのヘッズもアルバム「Naked」発表の3年後に解散でバーンはソロに転向、舞台音楽や映画監督なども務めマルチな才能を発揮し今に至る。

「ラスト・エンペラー」では坂本龍一などとも組んでアカデミー賞の作曲賞やグラミー賞も獲得。

世界に名だたるビッグネームに。


ライヴ映画は86年に故ジョナサン・デミ監督「ストップ・メイキング・センス」でヘッズのステージを披露しているけど、今回は趣きが全く違う。

先ず、ステージに楽器のセットが全く無い。

メンバーはハーネスや手持ちで各々のパートを演奏し、自由自在に動き回る。

足元はバーンの提案で全員裸足。なので足音もしない。

なのに音の出来があまりにも良いので「本当に演奏しているのか?」と方々から訊かれるので、MCで一旦システムを紹介している。

パーカッショニストだけで6人も配したリズム・セクションが特に圧巻、この音圧でドラマーが居ないのが不思議なぐらいに分厚い。

そして、バンマスのバーンは約100分間のステージに出ずっぱり。御年69歳、撮影時も67歳。この元気さの源は、ラストシーンで判る。


多少難解な歌詞の日本語字幕は、ピーター・バラカンが監修。それでも結構難しいけど、歌詞なんてぼんやり掴めればいい。

その歌詞に込められた、デビュー時からバーンが唄う現代社会への皮肉と激励。

冒頭に紹介した「Born Under Punches」は、「打ちのめされる為に産まれた」世代が上手く生き延びる為に励まし合う姿を謳い、各所で公開されている本編からの一曲「Once in a lifetime」では、大きな時のうねりの中に漂う存在である人類が、たとえ今の生活に疑問を抱いてしまったとしても、それもまた巨大な波の一部に過ぎない(この辺の解釈は大変困難)というように諭している。

かつて、ヘッズの名曲「Heaven」で「天国はちっぽけな場所」と唄ったバーンならではの人生観が、繊細なロジックで繰り広げられるステージの上で宇宙のように展開し、「人間の脳の神経細胞の繋がりは、成長と共に衰える」という語りから始まった舞台は、政治への啓蒙活動やBlack Lives Matter運動へのシンパシーを経て、「Road to nowhere」で「どこでもない場所へ行こう」と会場中を歩き回るラストの大団円へ。


その行進が目指す場所こそが「米国的桃源郷」と解釈するのは簡単だけど、「どこでもない場所」だと歌っているのは実態を持たない世界だからであるという、諦念を超えた境地なのではと考えてみる。

果たしてそこは安堵の地なのか?それはわからないけど、水は流れているだろう。人生を浮かべるための。


観終わる頃に気付いたけど、この作品があまりにも素晴らしいのは、相当数のカメラを用いて撮影している筈なのに、一つの画角に他のカメラの影すらも殆ど写り込んで居ないのも要因だと思う。そこが「他のライヴ映画」と一線を画している。


子供の頃に「ストップ・メイキング・センス」に打ちのめされた自分が、今この映画に出会えた意味は大きいように感じる。

「センスを磨くのは止めろ」と諭された少年期から息巻くオトナを経て辿りついた理想郷で、バーンが訴える語群の重みには心地好さすら覚えられる。


と、ここまで書いていて思い出した曲がある。

ヘッズ解散後の92年に発表されたベスト・アルバムに収録された新曲「Sax And Violins」。

そこで歌われていたのは、性と暴力の衝動に駆られる世代への慰み。

言うまでもなく、タイトルはかつてハードコアパンクバンドExploitedが希望の失われた世代への逃げ道的に訴えた(それにより他のパンクバンドからは敬遠された)「Sex And Violence」のモジリ。

そこでバーンは、「セックスと罪に走るより、サックスとバイオリンを鳴らそう」と訴えた。

時代的にパンクが喚き立てるのが馬鹿馬鹿しく響いて来ていた頃。

ハーメルンよりもブレーメンのように鳴らそうと軽快なリズムで歌うバーンは、その頃からユートピア幻想を抱いていた気がする。

https://youtu.be/fVchTKf0kZ8

とにかく沁みた作品でした。

友人が「泣きっぱなしだった」と言ってた意味がよく解りました。自分も3回泣きました。音楽映画でこんなにも打ちのめされるとは。その為に産まれたんだな。

ちなみに、公開記念DOMMUNE配信にて高木完さんが
「バーンはザ・ビートルズ来日公演の前座で演奏してたドリフターズのズッコケ芸に衝撃を受けて、ステージの動きに取り入れた」と話してて笑ったけど、改めて「ストップ・メイキング・センス」を観てると、冒頭の一人で歌う「サイコ・キラー」でズッコケやってるんだよね。何回も。
本編でも近しい動きをしてるし、あの奇妙な振り付けのルーツはドリフなんだな。
いやマジで。

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