見出し画像

多様性と共生:日本の伝統から学ぶAI時代のダイバーシティ

【奥井奈南】:今月のテーマは「日本人らしさ」ってなんだろうという、ちょっと今までのテーマとは少し変わったテーマでお届けしたいと思います。まずはリスナーの皆さんからのお便りをご紹介して行きます。

最初は小豆あんこさんからです。
日本人に対して魂が宿っているように扱うことだと思います。例えば、人形供養とか。北米でのリサイクルという考えは使用済みのという考えは、不要になったものを材料として新しいものを作るという意味ですね。日本人が尊重するのは新聞紙で箱を作ったり、何かを作ったりとか、魂を再び注ぎ込むことだと思います。

続いてうさぎさんからのお便りです。
うさぎさんは、日本人の以心伝心と考えています。先日たまたまお庭に案内いただいたのですが、昔から日本人は人間ながら水の存在に敬意を示す意識を持っていて、それが日本人らしさなのかもしれません。もちろんこれが過剰に出たら、空気を読めないという意味になると思います。

ありがとうございます。伊藤さん、小豆あんこさんやうさぎさんのお便りから感じたことは何でしょうか? たとえば、物に対して魂が宿るという考え方や、西洋とは異なる独自の考え方についてどう思いますか?

【伊藤穣一】:全然違和感がないと思います。今回のケースでも話しているように、物にも魂が宿るという考え方は、人間だけでなく、物にも魂があるというのは、現代の日本にも残る重要な思想だと思います。例えば、新聞紙で箱を作ったり何かを作る時にも、魂を注ぎ込むという感覚があるわけですね。そういう視点から見ると、物に魂が宿るという観念は、日本人らしさを象徴するものかもしれません。

また、水に敬意を表すという点も非常に日本人らしいと思います。特に、自然との関わり方については、日本の文化や哲学に深く根差しています。それは、何も形のないものにも価値があるという考え方や、一つ一つの行為を大切にするという日本人の精神性を反映していると思います。

また、資本主義経済やベンチャーキャピタルの世界では、拡大や成長が求められますが、日本人らしさという観点からは、その逆の価値観があると感じます。例えば、職人やシェフなど、一つの技術を何年も続け、それを深めていくことに価値を見いだす姿勢も、日本人らしさの一面ではないでしょうか。それは、拡大や成長に対する西洋の価値観とは異なるものですが、それぞれが重要な意味を持っていると思います。

伊藤穣一:伊勢神宮の森について話しましたが、全体としては伸びていなくて、決まった枠の中で一生懸命に行っています。この概念は、プレイヤーの一つ一つの競争にはそのような要素があるかもしれません。しかし、今の日本の問題は資本主義が上位システムとして存在しているので、それが単純化されるリスクがあると考えます。だから、国が拡大しようとすると、地球のリソースが限られているので、地球全体が無理に拡大する結果になるのです。会社で一生懸命進めることは良いのですが、国家レベルで強くなると、消費しきってしまうかもしれません。それが普通になると、他のものを潰したりするシステムが続くと、それは持続不可能です。この必要以上のものはいらない、という概念は英語で "too much" という意味です。もっと一人一人が持続可能な生活を心掛け、過剰消費を避けることが重要だと思います。

伊藤穣一:現在、私たちは資本主義社会に生きていますが、持続可能なビジネスや経済が本当に必要です。最近記事で読んだのですが、日本はGDPランキングで現在3位ですが、2075年には12位まで落ちると予想されています。上位は中国で、これはGoogleの情報です。新聞の記事で、日本経済が深刻な状況にあると言われていますが、高齢化により新しいビジネスが生まれにくい状況にあります。

でも、健康や幸せに関しては、日本は世界一であると考えています。例えば、ミシュランスターのレストランがたくさんあるなど、一人一人が満足できる環境が整っています。そして、日本の文化や価値観が世界中から羨ましがられています。私たちがすべきことは、この良さを維持し、海外の人たちにも理解してもらうことです。それにより、さらに外国人観光客が増えると思います。

輸出量に比べて、自動車などに比べるとそれほど大きなものではないかもしれませんが、日本が提供できる文化やサービスは、トラブルが少なく、幸せを感じられるものです。それが評価され、より多くの人々が日本を好きになると思います。

奥井奈南:日本は人材こそが鍵なのにそれを無駄にしているということをしてきました。

伊藤穣一:確かに、僕はIT人材について話していて、特になごみの話をしたとき、人々は保守的になるんだよね。人間関係が保守的になると、社会はあまり変わらず、年寄りを大事にするような社会になりがちだ。それは、人間関係や権力を集める人たちが社会をコントロールするようになり、変わらない社会が生まれる可能性がある。だからこそ、ITやサイエンスの力を使って、変わるべきところは変えていくべきだと思っている。日本はそのような変革期にあると思っているし、そのためにはベンチャー企業が重要だと思っている。それに、日本の良さ、例えば治安の良さや失業率の低さなどを活用することも大切だと思っている。

ただ、そのような良さを持つ日本も、新しい技術の導入には爆発的に追いつかなければならない。吉田松陰のようなカリスマがいたら、今の日本も変わっていたと思う。だからこそ、今の日本はどうすれば良い方向に変えることができるのか、それは難しい問題だ。

僕は、これからの10年、20年は経済が一度リセットされるかもしれないと感じている。ただ、その過程で良いものを残しながら変革を起こさなければならないと思っている。2003年のダボス会議や2013年の会議、2020年の会議を見てきて、日本の状況は段々と悪くなっていると感じている。それを見て、海外の人たちも、日本の状況を理解しようとしている。

日本らしい伝統のあり方や、古典的な日本の良さ、例えば物を大切にするというサステイナブルな部分を保ちつつ、資本主義の限界を乗り越え、新しいメモを作り出すことが大切だと思っている。それがうまくいっているところもあれば、うまくいかないところもある。それは小さなことから始まるかもしれない。例えば教育の分野や政治の人々、市町村が新しい取り組みを始めることも大切だと思っている。

それと同時に、若い人たちが「こんなやり方はダメだよね」と新しい考えを提案してくれることも重要だと思っている。日本の経済について考えるとき、日本人らしいバランスを保ちながら、地方に集中せずに全員が幸せになるような方向に進むべきだと思っている。そして、失われた40年を繰り返さないように、新たなWeb3の技術が連携する体制を日本は作るべきだと思っている。

伊藤穣一:今、実際に理解したのですが、渋沢栄一は複式簿記を明治維新時代に取り入れ、全てをお金に換算する形で適応させているように感じました。何でもかんでも株式会社で修正しようとすると難しいのかもしれません。ブロックチェーンや福祉機器のような新しい関係性が段階的に展開され、その体系の中で何か新しいものが出来上がるのかもしれません。そして、それがただの市町村の機能だけでなく、新たな可能性を持つコミュニティやカルチャーを生む可能性があると思います。私はこれが大きな変革であり、次のステップと考えています。

Webスリーの時代には、新しいテクノロジー、AIなどが生まれ、それを共有しながら新しい世界を見ていくことが重要だと思います。私たちは新しい世界を見る視点を学び、日常的にそのシステムに参加することが重要だと思います。人間は日本からなくならないと思いますし、人間同士のコラボレーションが重要だと思います。そして、それが一つ一つの体験を通じて日本がそれを作り出す未来が重要だと思います。

奥井奈南:ジョイさんの今までの話を聞いていると、日本はこうもともとあったものに対して魂が宿るとか以心伝心とかみたいな、そういった概念、日本古来の概念がこれからのテクノロジーで活かせるようにも思うんですけれども、この辺、この今後、日本はテクノロジーの部分で、日本人らしさを活かしつつ、どういう風なリーダーシップをとるべきだと思いますか?

伊藤穣一:そうですね。あと、多分日本人らしさはコンテンツには出てたと思うんだよね。アニメだとかゲームとか。それでプロダクト開発にもデザインとかにも出てきてると思うので、そこは今なくはないと思うんだけども。でもやっぱりもっと、もっとこう。Webスリーとか、金融とかテクノロジーの違うレイヤーでも、日本人らしさを出してくるのとか、あとこの教育システムの変革というのも、このAI時代に必要になってくると思うので、こういうAIっていうこうassistiveなものが出てきたり、そのAIとどうやって向かい合うかとか。

それとあとは、このDAOとか、こういうガバナンスの問題、今スキャンも多いし。結構短期になって登記目的も多いので、やっぱりこれがすごく単純な資本主義じゃない。こう目的で参加したほうが、あのうちの変革のコミュニティなんかも少しあるんだけど、そういうこと。こうガバナンスのレイヤーで、今まで日本人のガバナンスで儲からないから、日本の会社はだめだよね、みたいな感じでけっこう批判されてる、と思うんですよね。

日本のトヨタが、お客さんより会社員を大事にしてるんじゃないかなという批判だったんだけども、そういう経営学とか、そういうところにもこうちょっと日本人の資産を見て、多分海外のことは全部学ばなきゃ、そのまま日本でやってしまうのは良くないと思うんですよね。それで、もしかしたらそこに武士道が入ってくるのは、やっぱりこう武士道の中とか、そのお茶もそうだけど、無駄遣いもよくないけど、無駄な動きも良くなくて。

やっぱり日本の保守的な官僚的なシステムの中では結構無駄な、こう儀式と活動もたくさんあると思うので、これからそういう意味で言うと、そのこう、色んな意味で無駄を無くすっていうのもすごく重要だと思うので、だからなんとなくこうちょっとフニャッとこうはいっちゃってるところ、もうちょっとこうピッと仕切り直す必要があってで、英語でいうと何かというと、ぐちゃぐちゃになっても複雑なものをシンプルにする。

だからソフトウェアを無駄を削るというのがあってで、こう法律とかソフトウェアとかプロセスっていうのは、リーダーシップがいないと無駄ってなくならないんだよね。例えばソフトウェアってフィーチャーを足すのは簡単だけど、はさっと着るのってすごくエネルギーかかるし、誰もインセンティブがないから、だからどんどんフィーチャーが増えてOSが複雑になってくるんだけども。それで、それをスティーブ・ジョブズのような人がスッと減らしてシンプルにする、それができる人が日本にあまりいないんだよね。

だからその、で、あのちょっと前にいうと、そのこう、明治維新とか戦争でスッとこうシンプルになった経験とかもあるけど、それと同じようにこの武士道の美学とかその茶道とか、そういう美学の中にも何かヒントがあるかなと思うんだけど、それを経営学とかそういうところでどうやって実現してくかっていうのが問題だと思うので。

奥井奈南:でも、その無駄なものを減らすっていうのはすごく重要だと思うし、それのためにそのシンプリシティっていうのは学ぶべきだと思うので。だからジョブズがカリグラフィーを学んだように、こういうシンプリシティのヒントを得るために何か勉強をしたほうがいいと思うんだけど。でも、その点についてジョイさんはどう思いますか?

伊藤穣一:わかんないけど、お茶ってシンプルなんですよね、お茶は。だからお茶って無駄がないんですよね。ちゃんとした茶道っていうのは無駄な動きが一ミリもないというのと同じで、あとお茶するのに無駄なものは一切持ち込まない。だからお茶室には持ち込んだものしかストーリーがなくて、お茶室っていうのは自然があるんだけど、そこにはアートとかはかけないんですよ。自分が持ち込んだ掛け軸だけがあって、それ以外は何もない。

それと例えば、長次郎の茶碗っていうのは極限までシンプルで、極限まで無に近づいてるんですよね。で、この前楽時給さんと話した時も、その弔辞の茶碗には自分の存在が全くなくて。だから薄暗い部屋で見ても、その茶碗としての存在がほとんどないのが、その長次郎の茶碗だったんですよね。それはやっぱりこの無駄なエネルギーをどんどん取り去ると、その茶人とその茶碗が直接繋がって、一瞬だけの「一期一会」になるんですよね。

そのミニマリズムの世界で、そこは本当に無駄を消して行く。まあ、もちろんお茶にも色々な流派があって、少し派手になったり、ちょっとガチャガチャした表現もあっていいと思うんですけども。ただそのリーダーシップとしては、やっぱりその利休や長次郎の原点っていうのは本当に無駄がないんですよね。

小さな部屋で薄暗い所で、あまり美しいとは言えないような茶碗でお茶を体験するところから、なんかそのルーツがあるのはやっぱり重要だと思うんですよね。だからガチャガチャしてたお茶をすっきりとシンプルにする、それがリーダーシップだと思うんですよ。

でも、そんなに簡単にはいかないんですよね。だからこういうシンプリシティを保つためには、すごくエネルギーを使うし、すごくリーダーシップが必要だと思うんですよね。それがスティーブ・ジョブズだったり、その他の成功したビジョネアたちがやったことだと思うんですよね。でも、それが日本にはあまりいないんだよね、だからその部分をどうにかする必要があると思うんですよね。

奥井奈南:最後のお便りは田中さんからいただきました。

私が考えるところの、世界に広めたいポジティブな日本人らしさというのは、昔の子供たちの遊びに見られるものだと思います。例えば、遊びの中で自分がちょっと発達が遅れている子でも、みんなで特別なルールを作り出し、一緒に遊べるようにしたこと。これは、公平で平和な日本の風景の象徴であると感じます。AIを社会に導入するためには、私たちがダイバーシティの力を結びつけて引き立たせ、生活者としてみんながいろいろな方向から行動を始めることが必要ではないでしょうか。そのためには、さまざまな立場の人々が垣根を越えて社会実験をしながら互いに学び合うコミュニティがもっと増えるべきだと思います。そして、それを可能にする手段が日本にはあると思っています。では、伊藤さん、この話題についてどう思いますか?

伊藤穣一:はい、とても面白い問いだと思います。車座という形で多様な人々が集まりディスカッションをする場があったと話していました。そのような状況が、江戸時代の日本でもあったということですね。私たちの歴史の中には、常に多様性が存在し、それが大きな波紋を作ってきたと思います。しかし、現代の日本は、障害者を特別扱いするなど、標準化された人間と文化が強く推奨される社会となっています。それは、いじめの問題も含めて見て取れます。

私たちは、人々の違いを補うAIの可能性と、AIによって人々が少し違うことをすることで人間の価値が引き立つという考え方を探求していると思います。フェアネスの問題でもそうですが、ダイバーシティ、インクルージョン、そしてAIがどのように関わり合うかを考えることは重要です。そういった考え方は、このお便りの中で取り上げられた、みそっかすという古い言葉からも学ぶことができます。

日本は今、高齢化社会に向かっています。若者が減少する一方で、女性やLGBTQ+の人々が社会にもっと参加するようになるでしょう。私たちは、それをただの面倒なタスクではなく、祝賀すべきこととして扱うべきだと思います。

また、私たちが障害者とどのように接すべきかについては、一緒に生活する経験がないと理解しにくいという問題があります。しかし、自閉症の兄弟と一緒に生活してきた友人の話によると、一緒に生まれ育つと、障害のある人々との交流が自然になるようです。一方で、日本では学校に障害者を受け入れることが難しいため、どのように付き合ったら良いのか、何が楽しいのかといったことを理解するのは難しいです。しかし、それに慣れると、多様性は実は楽しいと感じることができます。

だからこそ、多様性に慣れて、それを社会全体として活用することが重要だと思います。私は、それが可能であると確信していますし、そのためにはAIを上手に利用することが役立つと考えています。

奥井奈南: そうですね、そう思います。本日もありがとうございました。


伊藤 穰一:千葉工業大学学長。日本のベンチャーキャピタリスト、実業家。 元マサチューセッツ工科大学教授・元MITメディアラボ所長、元ハーバード・ロースクール客員教授。

奥井奈南:1993年淡路島出身。2018年にNewsPicks番組オーディションで選抜され、ビジネス番組を中心に番組キャスター、Podcastパーソナリティ、企業やブランドのスポークスパーソンとしても活動。一児の母。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?