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〝どんより雲に愛された男〟の話。

君に逢う日は 不思議なくらい 雨が多くて

ASKA『はじまりはいつも雨』作詞作曲:飛鳥涼より引用

なんて歌い出しの曲がありますが……、

友人のひとりに、それはそれはキョ~レツな〝雨男〟がいます。

小中高と同じ学校で、よく仲良くしていました。

そもそも、彼はどうして〝雨男〟認定をされてしまったのか。それは、あまりに見計らったようなタイミングで雨が降るからです。

僕が家を出るときは晴れているのに……、

彼の家に着いて呼び鈴を鳴らすと、どんよりどよどよ。
玄関から出てくると、しとしとぴっちゃん。
雨粒たちによる、シュプレヒコール。

まあ、そんなことが長い付き合いの中で数え切れないほどあったので、いつしか〝雨男〟と呼ばれるようになったんです。

でも、この程度で「それはそれはキョ~レツ」なんて書けません。実は彼、誰もが納得するような〝伝説〟を持っているんです。

あれは32年前のこと――。

13歳だった彼はえらく浮かれていました。聞けば、夏休みに家族で東京に出掛けて野球観戦するというではありませんか。

これは一大事です。

福島県に住んでいた僕らには、プロ野球を生で観る機会なんて滅多にありませんでしたから。

しかも、場所は東京ドーム。

今でこそドーム球場なんて珍しくありませんが、当時はここだけ。完成して3年目というシーズンでした。

そんな夢のような舞台で戦うのは、巨人と中日。

彼は大の中日ファンでした。のちに披露宴のお色直しで中日のユニフォームをまとうほどのハマりっぷり。

彼はきっと何度も想像したことでしょう。落合さん、宇野さん、立浪さんらが巨人相手に打ちまくる姿を。

さあ、運命の1990年8月10日、彼は東京へと旅立っていきました。

と・こ・ろ・が・!

その日、試合は急きょ中止となったのです。

前代未聞のアクシデントでした。一体、なにが起こったか。

そう、台風で中日が移動できなかったんです。

ドーム球場なのに、史上初めて雨で中止。彼が観戦する日を見計らったかのように。こんな〝雨男〟ほかにいます?

名付けるなら〝どんより雲に愛された男アメンズ〟☔

東京から帰ってきた日のことを、僕は今でもなんとなく覚えています。

心の底からの、苦笑い。

この季節になると思い出す、微笑ましい記憶です。

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