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真夜中の、静かな散歩。

大学1年生の夏休み。実家を離れて一年目の夏に帰省をして、友達の家でお泊まりをした。

夜中に誰かが、「散歩をしよう。」と言い出した。とてもいい案だと思った。10代の僕たちにとって、お泊りで夜に寝るほどもったいないことはなかった。

田舎道をあるき始めた。虫が鳴いている。草が身体にときどきあたる。暗闇の中、どこまでもずっとつづいていくような道。そして、この時間もどこまでも続いていく気がした。

はじめて歩く道だった。電灯もあまりない。人気がない静かな道を、語り合いながらひたすら歩いた。

この時間が終わるのがもったいないと思った。同時に冷静に俯瞰的にそんなことを思う瞬間すらもったいないと思った。今はただ、この道にひたっていたい。

「静かな田舎の静かな夜。何もない静かな道をただた、歩いていく。」

ただ歩き続ける僕たちは、他の何者にもなりようがなかった。進学して何をしているかも、将来どこへ向かっているかも、今どんな生活をしているかも、今の僕たちには関係ない。ただ、僕たちという存在が、ここにある。それだけがある。そこでうまれる会話は、かざりようのない自分のように思えた。

「いつかきっとこういう日を思い出して、青春だったとふりかえる日が来るんだろう。」そんな風に思い、ふとさみしくなった。

夏という季節がにあう温度と空気だった。この時間はまちがいなく青春の一つなんだろうけど、高校生の時に味わったもっと無知で、無垢なそれとはちがうなにかのように思えた。

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あれからもう数年が経つ。みんな今では大人になってはたらいている。あのときはだれも彼氏や彼女もがいなかったけど、今までの間にそれぞれ何人もの人と時間をともにしたり、別れたりした。

もうあんな日をくりかえすことはないのかもしれない。友達というのは環境が異なれば交わることはへっていく。だけどいつか、もう一度おじさんやおばんさんの姿で、ただ道を歩き続ける。そんな時間をかみしめてみたいと思う。そんな日がいつか来るのなら、どんなに辛いことも面倒なことも、話すのが楽しみなお土産話として、やっていける気がする。

みんなどんなことを話すんだろう。全く検討もつかないけれど、いつかそんな日が来ることを信じて、今日もまた生きていく。

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