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【感想】マチネの終わりに - まるで音楽のような人生を ※ネタバレあり

「マチネの終わりに」を観てきた。普段は感動したりドンピシャで良いと思った映画しか感想を書かないのだけれど、賛否両論で色んな意見がある映画なので自分なりに思ったことを書くと面白そうだなと思い感想を書いてみることにした。

書き終えてみて。咀嚼すると色んな味が出てくる映画だった。とても音楽的な映画だった。

「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。」

本作のキーのメッセージだ。このメッセージが良いなって思ったのが映画を観に行ったきっかけでもある。これは本当にそうだなーって思う。過去は変えられないと思われがちだけど「今」の生き方次第で過去の解釈がどんどん変わっていくことを日々実感しているし、その変わった過去がまた今に影響をしていくことも感じている。だから生きるって面白いなとも思うし迷宮のようだ。

自分が今持っている記憶のどれが正確な事実かは神しか知らない。洋子の父の離別の事実を洋子は大人になってやっと知る。もし母がそれを伝えないまま逝っていたら知ることはなかったし、それが本当だったのかもわからない。母の解釈かもしれないし母の嘘かもしれない。そんなことが人生には実はたくさん散りばめらているのかもしれない。

今が過去を変え、過去が今を変え、その結果未来が変わりまっすぐの道を歩いているようで自分にとっての世界は目まぐるしく円環しながら変化し続けていく。そんな人間たちが様々なタイミングで交錯したりすれ違ったりする。人と人との出会いはまるで複雑に絡み合う糸のようだ。

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大人の恋愛

薪野が洋子さんに猛烈に引かれたのはティーンにとっての「一目惚れ」とは訳が違っていて、大人の恋愛って感じがした、2人はいくつかの言葉を交わしただけで、少ない言葉や所作からお互いの人間性を敏感に感じ取り、しかもそれがお互いにドンピシャでフィットしたから惹かれあったんだと思う。

自分に合う人というものは歳を重ねるほどおそらく狭くなっていくし、それを見分ける目のようなものも研ぎ澄まされていくのだと思う。たったひとつのやりとりもお互いの人生の全てが乗っているかのようだった。

きっと大人の恋愛になるほど端から見るとなぜ2人が惹かれ合っているのかは見えにくいものなのかもしれない。

早苗さん

早苗さんという存在についてとても考えさせられる。この映画を観た多くの人が彼女を恨み憎んだことだろう。僕もあの行為をしている彼女にモヤモヤした。でも彼女は根っからの悪人じゃないしその行為の時だってずーっと葛藤し続けながら自分を攻め続けながらあの行動を取ったように見えた。そしてその業をずっと背負いながら生きている。

汚い手を使ってでも自分の幸せのために走る彼女の姿は清々しくもある。しかも彼女は「私の人生の目的は薪野なんです。」と言っているように本当に薪野ありきで人生を生きている。だからこそ彼女は普通ならしないような事実を打ち明ける行為に出たのだと思う。

重要なのは薪野が早苗さんとその子供を愛しているということだと思う。恋ではないかもしれない。だけど愛している。だから真実を知っても薪野は彼女を捨てはしない。薪野が早苗さんにすごく支えられてきて今も支えられているのは揺るぎない事実なのだ。徹底して名脇役として生きるという幸せ。自分のその夢と志に一直線で生きる早苗さんはどこかかっこよくも見えた。狂気的で怖いけど。笑

2人はどうなるか

ラストの後2人はどうなるのか。色んなことがあってもお互いに惹かれ合う気持ちはきっと変わらないのだと思う。だけど僕はなんとなくあの2人がまたやり直す未来を歩むわけではないような気がしている。

子供という存在はキーな気がしていて、2人とも子供がいてその子供を愛している。自分よりも大切かもしれない存在を、恋人や愛する人以外の形でそれぞれこの世の中に持ってしまった。だから2人は無鉄砲に再び繋がったりはしないのかもしれない。

きっとお互いに永遠に相手を大切な人だと想い続けるのだろう。それぞれの道を生きながら、何度か会ったりはするかもしれないけどくっつきはしない。だけど相手の影響で形成された今の自分がいる喜びを噛み締めながら生きていく。もし仮にくっつくとしたらお互いに子供が大きくなった後とか、早苗さんが先に亡くなった時とか、そういう時かなあ。

極めて音楽的な映画

薪野さんが最後の演奏の時のMCで洋子の存在があってたから、今の演奏があることについて触れていた。すごく音楽的だなあと思った。「マチネの終わりに」は大人の恋愛を描き、その他の色んな要素を描きながらと、終始一貫してるのはとても音楽的な映画であることだと思う。

はじめから終わりまでで1曲の曲を聴いているようだった。そう思うと映画の中で起きた全てのできごとがとても音楽的に感じる。劇中歌の幸福の硬貨が本当にこの映画そのものだと思わされる。この曲は何度も劇中でrepriseされる。

そして、聴くたびに聴こえ方が変わる。その様は正に冒頭に書いた今が過去を変え、過去が今を変え、その結果未来が変わりまっすぐの道を歩いているようで自分にとっての世界は目まぐるしく円環しながら変化し続けていくことそのものだなあとも思う。正にこれは自分にとっての音楽だ。同じ曲でも聴こえ方が生きる度に変わっていくし、自分自身も変化し続ける。repriseを繰り返しながらうねるように過去も未来も記憶も変わっていく。

そんな人生はどこか音楽のようで、この映画で描かれる人生もまた音楽のようだった。

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