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生きようと、試みねばならない


お気に入りの喫茶店で
コーヒー片手にボケっと考え事をする。
最高の週末の過ごし方である。

デカいスピーカーが置いてあって、
絶え間なく大音量でジャズが流れている。

おひとり様用シートが沢山用意してあって、
1人で行くと、そこに通される。
この感じが大変お気に入りである。

おじさん達が、互いに干渉することなく、
椅子と音楽に身を委ね、
リズムに合わせて揺れている。
そんな光景を見るのも好きだ。

どんなことを考えて、
どんな風に生きているのだろう。
そんなことに思いを馳せながら、
私も真似して揺れてみる。

ジャズ全然分からんけど。


生きるとは、どうにも複雑である。

私のような凡夫でさえ、
ただ生きるためだけに、
これ程まで考えねばならない。

皆、色々な視点で、価値観で、銘々考える。
時に希望を見出し、時に絶望し、
活動的に、あるいは静かに考えている。

これに強く執着することもあれば、
すぐにでも手放したいと思うこともある。

私、もとい生き物の一生なんてものは、
何か絶対な存在に定められたのかもしれないし、
偶発的に生じただけなのかもしれない。

意味や価値があるのかいね?
そんなふうに思えてくるし、
そんなことばかり考えている。

人はその最後に、走馬灯を見ると言うが、
個人的に大変興味深いと思っている。

こんな一生の答え合わせとして
プログラムされたものだろうか。
ゲームのリザルト画面みたいなもんだろうか。

或いは死の淵でも尚、生存するために
最後の火花を散らすのだろうか。
ただの生物としての本能なのか。

まぁこればっかりは
死んで実際に見てみないとわからない。

ただ、現段階でリザルトを見たとて、
おそらくこんなもんかと納得する反面、
やっちまったなぁと後悔するのだろう。

私に価値があったのかは、
私の人生が終わり、私の全てが決定した瞬間、
他人によって観測される。

だが、観測されるを知れない以上、
自身のリザルトを眺めた時、
気持ちよく受け入れられるかどうかだ。

人生は一瞬一瞬の積分である。
一瞬一瞬は微々たるものだが、
これを高めるには、一瞬の風速を
より早く吹かせないとならない。

私がいつ終わるかも分からない。

私が死の到来をその瞬間まで
認識できないのだから、
積分値、己の限界などは
意識するべきでないのかも知れない。

私はただ、より良くなるように、
できる限りをしなければならない。

他ならない、自分のためにである。
そんな生き方を成せば、
自ずと周囲もついてくるはずだと信じたい。

気持ちよく、人生のリザルトを見る。
気持ちよく死ぬのである。
死の淵で、それを惜しまれる。
それだけが私の目標である。

簡単に言えば、
私はいい爺さんになりたいのよ。
終わりなき目標である。

ほんと死んでみるまで分からない。

とある詩人の一節、
或いは私の大好きなジブリ映画、
ここから少々お言葉を拝借しよう。

この一瞬、この風が強くなるよう、
生きようと、試みなければならない。


今日もコーヒーがうまい。

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