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入れ墨のひとびと

俺は自分と違う意見を持つ他人というのは、常識も何もかも異なる宇宙人のようなものであると思っている。
というよりも、自分自身が宇宙人であるという意識で生きている。
今まで受け入れられず、否定されることが多かったからだ。
そのため様々学習し、表面上「善良な地球人であるふり」をする技能に磨きをかけてきた。故に俺は人モドキ、宇宙人である。

世で生きるためには、常に地球の常識を観察し、最新の善良さを実行せねばならない。さもなくば、やれハラスメントだの蛙化だの言われてしまう。
こうした地球人の欲や常識を知るには、SNSウォッチングが非常に良い。
魑魅魍魎も多く生息するが、見る分には反面教師として有用だ。
実に奥深い世界ではあるが、影響があっては良くないので、あくまで檻の外から眺める姿勢は徹底したいところである。

そんな折、あるSNSにて興味深い特性を発見した。
俺はそのSNSで、誰と繋がりを持っているわけではなかったが、特定の界隈でHOTな語を使った場合などに、関連する者達がこぞって反応を見せ、通りすがりに濃密なお気持ち表明を残して去っていくという性質である。
この特性を利用し、彼らのより深い生態を探れないものかと考え、釣り針を垂らしてみることにした。

入れ墨を入れる人


入れ墨・タトゥー。
この界隈はとりわけHOTであった。
よく議論され、大変よく燃える。

まず前提として、俺はこの文化にやや否定的だ。
日本国においては特にデメリットが大きいからである。まず、歴史的、文化的にアウトローと結びついており、彫ると一部社会生活において障害が生まれてしまうということ。少なくとも温泉には入りにくくなる。損失である。
次に、消すことができないということ。趣味趣向が変わるかもしれないし、加齢によって印象が変わるかもしれない。
総じて、この国でファッション目的として入れるには余りにもリスキーな代物ではないか、と俺は考えている。
それと同時に、この国で、そうまでして入れ墨を入れる選択を取るに至る人達の考えとは?そんな疑問も浮かんでくる。
その絵が今後絶対後悔しないと言い切れる、その人にとって究極のデザインだということだろうか?
また、言い切れるその自信の源流は何なのか?
正直、このカルチャーについて、そこまで興味があるわけではない。
しかし、その人間について知りたくなった、という次第だ。

この議題については、俺の零細アカウントの呟きに対してもかなりの数のご意見が集まり、様々な人の思考パターンが見て取れ実に味わい深かった。

以下、集まったご意見に対する宇宙人的感想文である。

①マジで何も考えてないヤツ

まず初めに現れたのは「マジで何も考えていないヤツ」であった。
本当に何も考えていないので、彼らの思考は実にシンプルだ。

だってカッコいいじゃん!

以上である。ああ素晴らしい。本当に雑念がない。
犬の純粋さ、純朴な子供に心惹かれるような気持ちである。
彼らは誰に何を思われようと、カッコ良ければ構わないのだ。
何年たとうが、年を取ろうが、その時その瞬間、カッコいいと思ったものはいつまでも変わらずカッコいいままであろうという、無知ゆえ、考えていない故の確信があるのだ。
対して俺は無駄に考え、今この瞬間の自分の感性、将来の自分の感性に対して自信も、信頼も、一貫性もない。
だから、すべては「リスク」として映ってしまうのかもしれない。
実のところ彼らは考えていないのではなく、自らの感性に対する、揺るがない自信の表れなのかもしれない。
おそらく、彼らの人生はすごく楽しいものだろう。
ある意味健全な形の一つだろうと思ってしまった。

あくまで彼らが断言するように、今後本当に迷うことがないのならば。

②様々な覚悟の証として

覚悟の証として。
しっくりくる「入れ墨」の理由なのではないだろうか。
日本におけるイメージとしては、やはり極道である。
堅気には戻らない、という覚悟と意志の表明として彫るもの、という文化的なイメージが先行するためだと思われる。
あくまで極道のようなネガティブなイメージではなく、その人にとって生涯重要になるであろう場面、考え、人、大切なイメージを彫っている、という人がかなり多かった。

一例では、子供が生まれた際、その心電図をタトゥーとして彫ったという人がいた。とりわけ流行や年齢に左右されない、大変良いモチーフであると思う。
子供の誕生は、その後の生涯に渡り、大きな責任と覚悟が伴う。
子供という存在について、俺としては刹那的な快楽が先行し、覚悟もない生半可な気持ちでこさえるものでは絶対にない、と主張したい側であるから、覚悟の表明としての証、という捉え方については安心感を覚え、非常にしっくりくるものがあった。
愛を知らない独り身の捻くれ男の分際で、生命の誕生の深い感動や覚悟を語るべきではないような気もするが、長い人生の中で、気持ちが揺らいだり、弱気になったりもするであろう。そんな時、覚悟の証は折に触れて感動を思い起こさせ、奮起させるよう機能するのかもしれない。
一生背負うに値する、究極のデザインの一つであるようにも思える。

③忘れないように

死別した両親の好きだったものを、見えないところに彫っているという方がいた。
これに対して、心無い人は「彫らないと忘れてしまうぐらいの記憶なら忘れてしまえ!」などとも言っていた。
その人にとってどれほど大切な存在であったかは、当人にしか分からないことである。忘れやすいか、忘れにくいかも人によって違う。
ただ共通して、人間は考えないと、時間経過とともに忘れる生き物である。
俺はこの時、昔実家で飼っていた犬のハルちゃんのことを思い出した。
彼女が虹の橋を渡ってから久しいが、一家にとって本当に大事な存在だった。しかし、未だに悲しくなるほどつらい別れだった筈なのに、不意にどんな顔をしていたか、どんな声で吠えていたか、忘れてしまいそうになる。その都度とても情けなくなる。
鮮明に思い出したい、忘れたくない、一緒に生きていきたい。
そう思うと、俺としては全然ありな選択なんじゃないかと感じた。
仮に俺が彫るとするならば、やはりハルちゃんであろうか。
背中は自分で見えないので、案外自分で見えるところがいいかもしれない。
本当に大事だったのなら、迷うことは無いようにも思う。

④威嚇するために

攻撃的で動物的な、しょうもない連中である。
考えていない人に類するが、その目的は異なる。
自分が強い、怖いものであるというアピールである。
ただの威嚇で、カマキリがポーズを取るのと同じだ。
つまりは一般的に毛嫌いされる、ステレオタイプのアウトローである。
彼らは俺の質問の意図などは目もくれず、ハナから対話の意志を持たない。
自分と違うものをまず攻撃することから入る。
自分がいかに強くて立場が上か、それだけを阿保らしく主張する。
入れ墨によってもたらされた威嚇効果を、自分の強さだと勘違いする。
どこまでも浅く、下らない。
おそらく、彼らのような人間が、この文化的な品位を下げている。
しょうもない獣である。
全く共感できない。

⑤苦しさの表現をする

ある種、威嚇に近い立ち位置なのかもしれない。
突飛な行動をすることによって、一部の関心を引こうとするのだ。
この世は苦しさに溢れている。
マイノリティであったり、他人との違いを認識する、目の当りにするたび、苦しさは募り、生きづらさが生まれる。
同志で集団を作り、身を守る、あるいは別の何かで発散するなどして、苦しさを薄めて生きる宿命にあるわけだが、万人が器用にこなせるわけではない。
どうにもならない、発散もできない苦しみを理解されたいアピールとして、時に自分自身を傷つけ、周囲の関心を引こうとすることがある。
またそんな自分を許されないと否定して、そんな自分に対する罰として、その体を痛めつけ、許されようとする。
人によっては、この役割を入れ墨が果たす様子である。
どことなく深い、どうしようもない絶望感を臭わせる文面が特徴的である。
彼らは彫り物が生涯消えないことも、社会的に影響があり、リスクがあることも分かっている。
ただ、それほどに苦しいということを主張するにはうってつけなのであろう。
自力ではあまりに弱く、誰の関心も引けないことに絶望し、入れ墨という外殻に頼るのだ。
一時的な救いになるのかもしれないが、おそらく健全とは言い難い。
仮に自ら考え、苦難を乗り越えることができた時、きっと彼らは後悔するのではないか?

⑥どうにか正当化しようとする

以下、一部要約しているが、こんなメッセージがあった。

「最初は軽い気持で入れ、今では全身に広がっています。
 嫌悪感を持たれることも、威圧感を与えることも分かっています。
 それでもよい職場を見つけ、好きな仕事をして働いています。
 自分の好きな作品に囲まれた、自分の体が好きです。」

一見すると、自分の選択を肯定し、好きなものに誇りを持っているという発言にも思えるのだが、どこか違和感を感じる。
自分自信を全て肯定しているなら、こういった場合、他人の視線や理解など気にすることはなく、まずその素晴らしさを語るのではないか?
他人の俺に対して、肯定と理解を求める投稿をする必要があるのだろうか?
他の方とは異なり、この方から絶対的な自信を感じることはできなかった。
自分の選択の正しさを肯定して欲しいがため、SNSに縋っているような印象だ。自分の体が好きであることについて疑う余地はないが、やはり社会的な風当りというのは思う以上に激しいものがあるに違いない。
文章を見る限り繊細な感性を持つ方であると感じたし、どうしても信念が揺らぐことがあるのだろう。この方はこれからも、肯定を求め悩むのではないだろうか。
おそらく、自分が入れ墨を彫る選択を取った場合も近い状態になると思う。
もうその選択をした以上、向き合わなければならないのである。


感想

やはり万人、様々な考え方があって見る分には興味深い。

入れ墨に限らず、何か重要な、後には退けぬ選択を取るといった場合、これらの考え方は非常に参考になると感じた。
総じて、迷わず、後悔しない選択とするためには、何事も自分の中に絶対的な信念と自信が必要なのであろう。
他人を納得させるという観点からしても、だ。

俺も宇宙人であることを誇りに、自信をもって胸を張り生きられるのが理想的ではあるが、いささか難しそうである。
まだまだ多くを学ばねばなるまい。

次は宗教観とかそんなところを聞いてみたら学びが多そうである。
宇宙人仲間を探してみるのも楽しいかもしれない。

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