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ふんわり希死念慮

本日もお疲れ様でございます。
皆々様におかれましては、良い一日をお過ごしになられましたでしょうか。

こちらはというもの、

今日も生きるのめんどくせぇ!

これに尽きる。
毎日こうである。一生寝て二度と起きたくない。

とりわけハッピーの最中にある人には縁遠い思考かもしれないが、私はとんでもなく卑屈な人間であり、絶えずそんなことを考えている。

この世はあまりにも考えることが多い。無駄な悩みも多い。
考えると疲れる。でも考えないと生きていけない。

実にめんどくさい。故にさっさと消えてなくなりたい。
これを勝手に「ふんわり希死念慮」と呼んでいる。
死にたいわけではないが、チャンスがあれば消えたいのである。

そもそも私が死のうと望むなど、大変烏滸がましい様な気がする。
ちょっと物理的に悩まされた時期こそあったものの、私はツキ周りとしては大変ラッキーな方である。

人より若干個性的な容姿をしていることを除けば、あらゆる点で平々凡々、視点によっては元気いっぱい言うことなしである。
本気で死を望む人、本当に死に直面した人、あるいはそれを強く意識しなければならない人がいるというのに、もう烏滸がましいったらない。
私は間違いなく、のんのんと生きる浅い思考の阿呆である。

加えて安易に死ねば、僅かでも私に関わったモノや人に対し、大なり小なり迷惑をかけてしまうのも非常に気になるところだ。
仮に私がサクリと死んでハッピーになれたとて、何となく配慮に欠く気がして個人的にはイヤだ。

第一にではあるが、死ぬこと自体はまず間違いなく、痛くて怖くて恐ろしいものであろう。実をして穏やかなものかもしれないが、私は死んだことはないので評価できない。

1度試しにベルトを首に巻き、ドアノブにぶら下がってみたことがあるのだが、まぁ〜なんと苦しいこと。
脱世を成した人の根性と信念たるや、もはや尊敬にすら値する。その気さえあれば容易くいつでも死ねるのかもしれないが、ハードルはかなり高そうである。

故に、私は自分などハナから何もなかったことにして、跡形もなく消えたいと思う。これぞ「ふんわり希死念慮」である。

そんな散り様をいかに実現するかについては、万々考えた所であるが、私は残念ながら泡でもないので、儚く消えるのは無理だし、知人の脳みその私に関連する部分だけ、次々にもぎ取って回るのも現実的ではないし、現代においては中々に難しい試みだとみている。

やはり死については、いずれそれなりに向き合わねばならんだろう。

いやしかし、こうして息して生きるだけで、何かしらの影響を次々発生させてしまうのかと思うと、さながら「俺ウイルス」といった具合だ。

聖書で言うところの「原罪」ってはこんなニュアンスなんだろうか。
勝手にそう解釈したが、一度有識者に話を聞いてみたい。

おそらく感染したとて症状の程度は大したことないかもしれないが、
しつこい私のことだ、多分根絶は難しかろう。皆々様に極力害のない形で、こいつを共生させていく道を考える必要がありそうだ。

検討の十分でない現在において、決意表明が限度ではあるが、
感染者を半笑いにするとか、そんな感じの愉快なウイルスに改良して参りたい所存である。

実にめんどくさいが、ふんわり頑張っていくことにする。


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