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パラグアイで牧師にスカウトされた話。(南米放浪記⑥)

ブラジルへは6ヵ月の観光ビザで入国したため、一旦国外に出て、直前にビザを再発行してもらってカルナヴァルに臨むという予定でした。

1993年…今から27年前の話なので、何がどうしてそうなったという過程をほとんど忘れてしまっている。ちゃんと日誌とか付けておくんだった。

おそらくサンパウロ新聞社関係で紹介された人に教えてもらって、とりあえずブラジル・アルゼンチン国境付近のイグアス移住地に向かったんだと思う。日本からの移民が多くいる地域があるということで。

イグアスというと世界最大の滝として有名なイグアスの滝があるところだが、自分は「イグアスまで行って滝を見ないで帰ってきた男」という不名誉な称号を持つ。

なんでそうなったのかなあ。確かイグアス移住地のどこかで一泊させてもらって、夜のあいだも「ゴーッ」という滝の音が聞こえてきて、なかなか眠れなかった記憶があるから、付近までは行っているはずなんだが。

結局バスの時間か何かで都合が付かなくて、イグアスのホドヴィアリア(バスターミナル)からバスに乗って、国境をまたいでパラグアイに入国したのだった。

パラグアイにも日本からの農業移民の方がたくさんいて、ある程度固まって暮らしている集落が点在しているということで、ここでも「学移連(日本学生海外移住連盟)」の人脈を大いに活用させてもらった。


首都アスンシオンで日本人学校の校長先生をやっているというA田先生を紹介してもらい、そちらで居候させてもらった。

牧師さんでした、その方。学校はたしか三育学院系列のパラグアイ校みたいな位置付けだと聞いていたから、その流れを組む教会がご自宅の近くにあったと記憶している。日曜日のミサにも参加させてもらったこともあったはず。

聖職者だから、日本からはるばる来ましたという若者を邪険には扱わないだろうという下心はあったが、これも人からの紹介&紹介で流れ流れて偶然訪ねて行ったところ。

ひと月ぐらいお世話になったのかなあ。

校長先生をやられている日本人学校にも見学に行かせてもらい、何度かお手伝いのようなこともさせてもらっただろうか。

文化祭…じゃないな、あれはクリスマスなのか。年末か正月かのパーティーのような学校行事の場にもいた憶えがある。

なぜか教室で、テレ東の年末大型時代劇6時間「豊臣秀吉」みたいな番組の録画を観ていたとか、そういう瑣末な事は憶えているんだが。


牧師さんというだけあってか、自分のこれまでの生い立ちの話などを聞いて、親身になってアドヴァイスしてくださった。

「日本に帰ったらどうするんだ?」という話になって、「さぁ…何も考えてないっす。」みたいな感じでいたら、自分が牧師をやっているその母体となる教会が大学もやっているから、そこの神学科に通ったらどうだ、と熱心に薦められた。

「牧師に?…なるんすか、自分が?」と、その話を聞いた時は全然ピンとこなかったが、寄付とかでまかなっている部分もあるから学費とかはかなり安く済むし、寮のような所もあるぞと。お前みたいな根無し草みたいな奴にはピッタリだ…とまでは仰らなかったけど、おそらくそういう身の上ならその学校が合ってるんじゃないかと。

「ぶっちゃけた話、牧師になったら結構食いっぱぐれないぞ。」というような正直な話もうかがったので、「悪くないかも…。」とグラついたのは事実でした。


ただ、牧師への道を思いとどまらせた出来事というのもあって。

そのA田先生の弟さんという方も日本人学校で働いていらして、その方も牧師の資格はあったのかな?…教頭先生という位置付けでした。

少し年の離れた弟さんだったのか、当時初老の佇まいだったA田校長と比べて、40代くらいか…まだまだ血気盛んな感じの教頭先生。

ある時、その教頭先生にブチ切れられて、めちゃめちゃ説教くらった事がありました。

おそらく次に入国する予定のボリビアのビザの手続きを、A田校長の奥様が代わりにしてくださっていて、その帰りを待っている間に、「じゃ、僕その間にその辺ぷらっと行って来まーす。」みたいなことを言ったか何かで、「おい、オマエ!それは違うだろーが!(怒)」と。

まあ、そりゃそうですよね。恩知らずも甚だしい、と。怒られるのも仕方ありません。

ただ、どえらい剣幕で怒鳴りつけられたもんで、「いや、そこまで悪いことしたかねオレ。ちょっと好意に甘え過ぎてたとこはあったけど。」と反発心が芽生えてしまった。

ちょうどその時、その教頭先生にお子さんが生まれたばかりだったのですが、その生まれたばかりの赤ちゃんを抱いている女性がずいぶん若くてきれいな人だったので…。

聞けば、その教頭先生の奥様は元・教え子だそうで。

「うーん…。牧師か。聖職者ですよね。教え子ですか。しかも一番きれいどころを狙って、その子が成長するのを待ってたわけですよね。」という邪推が働いたのでした。

ぶっちゃけ…「牧師さんっつったって、結構『なまぐさ』じゃねえか!」と思いました。


教育者として多くの人から慕われていたのは確かですが、やはり日系移民社会という狭い世界で、実質いろんな権力を持たれていた御兄弟のようでしたから、そんな綺麗事ばかりではないのだろうな…ということが薄々感じられて、「せっかくですが牧師にはなりません。」という結論に至ったのでした。

それにしてもパラグアイでまさか牧師を薦められるとはな。(ブラマヨ吉田風に)


(※タイトル画像は本文とは関係ありません。パラグアイ滞在中の写真がほとんど残っていなかったので。確かパラグアイ特産のキルティングのお店を覗かせてもらった時に、たまたま撮ってもらった一枚。)

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