ボリビアでも高山病は無縁。(南米放浪記⑨)
一旦ブラジル国外へ出て、カーニヴァル直前に再入国するまでの旅行の期間中、パラグアイから少し足を延ばしてボリビアにも入国した。
日本を発つ前、学移連(日本学生海外移住連盟)の事務所に出入りしている頃に知り合った、海外実習生のOB…つまり学移連からの実習生として1年間の南米体験を終えて帰国している先輩の一人にサクライさんという方がいて、いろいろ相談に乗ってもらったり仲良くしてもらった。
そのサクライさんがブラジル滞在中に仲良くなった日系人の友人が日本に出稼ぎに来ているというので紹介してもらったことがあった。
ボリビアでもやや南東部に位置するサンタクルスという街は、日本からの移民も多く住むところで、オキナワ移住地にはその名の通り主に農業移民として入植した沖縄出身の方々が多く暮らしていた。
そこで育った日系2世・3世になると、今度は逆に賃金の高い日本にやってきて、一定期間働いて帰って行くという現象が起きる。
彼らもその出稼ぎ者として日本に来ていて、ブラジルで知り合いになったサクライさんを訪ねて東京に出てくることがあったというわけだ。
彼ら…というのは、(たしか)タマシロさん…?だったと思う。オキナワの人だったから。そして名前をすっかり失念しているのだが、ここは仮名として「カズ」と呼ばれていたとする…そのサクライさんと知り合いだったのは「カズ」のほうだったのだが、弟も一緒に来日していて、たしか「トシ」と呼ばれていたと思う…宴席を共にする機会があったのは、その兄弟2人だったから。
そして、なぜか自分が意気投合したのは弟の「トシ」のほうだった。
その後、サクライさんを介さずに二人で会って出かけることもあったりして、「来年自分南米行くんで、その時はボリビアにも訪ねて行きます!」という約束までするようになった。
その時のトシの「ぜひ来てください。サンタクルスを案内します。」という言葉を真に受けて、1年後に本当にボリビアまで会いに行ったわけだ。
ボリビアというと、アンデス山脈の標高3600mにある主要都市ラパスを思い浮かべる人が多いだろう。
民族衣装を身にまとったインディオの人々がパンフルートを吹いてフォルクローレを演奏する、そんなイメージ。
「主にブラジルですけど、旅行中パラグアイとボリビアにも行きましたよ。」と言うと、「ボリビア?…高山病とか大丈夫だったんですか?」と問われることも多い。
結論から言うと、ボリビアっつってもサンタクルスしか行かなかったので、高山病全然関係無かったっス。
ブラジル・アルゼンチンという大国に比べると、小さな内国のように思われがちだが、意外と国土は広くて、山脈側と東側では気候も変われば、住んでいる民族も異なり、生活文化も大きく違う。
先住民の血を濃く残す高地の人々とは明らかに違う、スペイン系混血の人が多く住むサンタクルスの街を訪れた時、最初の感想は「美男美女が多いところだな〜。」という驚き。
街も結構、都会。1994年の時点でそういう印象を持ったのだから、いわゆる「高山・インディオ・フォルクローレ」のイメージから大きくかけ離れて現代的な生活圏だったことは間違いない。
言っちゃなんだけど、むしろパラグアイがすごい田舎だったんだな。国土のほとんどが農地のパラグアイから国境をまたいでボリビアに来てみれば、大都会だったもんで。
例によってまた経緯はほとんど思い出せないのだが、とにかくタマシロさんとなんとか連絡がついて、しばらくご厄介になることになった。
わざわざ日本からやって来たから…とはいえ、日系移民の方々はみな親切だ。駅までご家族で迎えに来てくれて、オキナワ移住地の自宅に招いてくださった。
しかし…あれ? 当の本人…トシの姿がない。
タマシロ家で夕食をご馳走になった時に、「はるばる日本から来てもらったのにごめんなさいね。カズはまだ出稼ぎで日本から帰って来ていないのよ。」とお母様がおっしゃる。
「あれ?…あ、いや自分はお兄さんのほうじゃなくて、弟のトシのほうを訪ねて来たんですが。」
と言った瞬間、急に家族一同の顔が曇った。「ああ、そう…。トシのほうね。」
ん?…何かオレ、まずいこと言ったかしら。
「トシはここじゃなくて、ちょっと離れたところに住んでるのよ。明日にでも彼のところに案内するから。」
その後、よくよく聞いてみて分かったことなんだが、どうもタマシロ家では兄のカズはよく出来た自慢の息子で、それに比べると弟のトシは家族内であまり立場がよろしくなかったらしい。
翌日、トシが住む家に案内されて、無事再会を果たしたわけだが。
「僕、結婚して子どももいるのね。」
へー、びっくり。まだ若いのに。
で、いろいろ事情を聞くと…。
なんでも相手が現地民で年上で離婚歴があって連れ子もいて、両親は同じ日系人の娘さんと結婚して欲しかったのに、その反対を押し切って一緒になったから、ちょっと家族と折り合いが悪いんだとか。
そういうことだったのか。なんか微妙な空気が流れたと思ったら。
そこでふと気が付いた。
となると、出来のいい兄のほうの友達だっていうから歓迎ムードだったのに、世間体があまり良くない弟のほうの友達だったとは…と知って、こりゃオレの扱いもどうしたものかってなってるぞ、と。
さらに後日、ますます微妙な立場に立たされることになった。
トシのお父さんが、車でサンタクルスの街を案内してくれるということで、どこに行くかも知らずに出掛けることになったのだが。
行ったところは市の中心の役所的な建物。
たしかお父さんは建築関係の仕事をしていて、その組合だかなんかの理事だかをしていて、そこのお偉いさん…サンタクルス市の議員だったかの「なんとかさん」に、「日本から学生さんが、ボリビアの日系社会について学びに来ましたよ。」かなんかで紹介しようとしていたのだった。
立派な応接室に通されて、いかにも地元の名士みたいなおじさんが、最初は愛想よく「そうですか、はるばる日本から。ようこそ。」みたいな感じで接していてくれたのだが、「それで…サンタクルスでは、どういった事をお勉強に?」と質問された。
おそらく自分もその時、咄嗟に話を合わせることができず、「いや…正規の留学生ではないんですけどブラジルで生活してみたいと思って来て、観光ビザが切れるもんですから、一旦国外に出る必要があって、ついでにボリビアにも寄ってみようかと…。」みたいなことを馬鹿正直に言っちゃったんだと思う。
おそらくその地元の名士は、「いかにしてこのサンタクルスの日系移民社会が発展してきたか。その中で自分がいかに重要な役割を果たしてきたか。」というようなインタビューを受け、自慢話のひとつでもしてやろうというつもりだったのだと思う。
ほんとにみるみるうちに顔を真っ赤にして怒り出した。
「なんだ!…そういうことなら私には全く関係がない話じゃないか。私も忙しいのに…全く時間の無駄だ!」
みたいなことを言って、席を立って去ってしまわれた。
部屋に残された自分は唖然として、横にいるタマシロさんの方を向くと、笑顔が引きつっていた。
お世話になっているタマシロさんの顔を潰した感じになって、「しまった!」と思ったがもう遅い。
でもさ〜…「これから偉い人に会ってもらうから、『日系社会について勉強しに来ました!』とでも言っといてよ。」とか、ある程度根回ししといてくんなくちゃだわよ。
何にも知らずに、ただ連れて来られたんだもん。
とはいえ、それですっかり肩身が狭くなった自分は、予定を早目に切り上げてタマシロ家からおいとますることにした。
「サンタクルスを拠点にして、ラパスとかにも足を延ばしてみようかな〜。」と甘いことを目論んでいたんだが、他にボリビアに伝手もないので、早々に退散。
なので、ボリビアまで行くには行ったけど、高山病とは全く無縁の滞在だったわけです。
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