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絶望が慢性化するまで。
「幼少の頃、虐待を受けた。」「少年時代、いつも貧乏だった。」「母の愛というものを知らずに育ってきた。」「ヤクザな父のようにはなるまいと努力してきた。」…そんな人はこの世の中、ほかにもたくさんいるだろう。
いつまでも自分だけが悲劇の主人公ぶってるんじゃない。
それはもう自分自身に何度も言い聞かせてきましたよ。
「子供の頃は親のことが大嫌いだった。」「早く親元を離れて自分だけの力で生きていけるようになりたかった。」…そういう人だってごまんといる。
そして「いずれ自分が親になった時に、あの頃の親の気持ちが理解できるようになった。」「昔は憎んでいた両親のことを、自分が大人になって許せるようになった。」…そうなった人だって少なくなくないはずだ。
なのに、なぜ。いつまでも自分は呪いの中にいる?
我が子でもない自分のことを高校卒業するまで育ててくれた人に対して、「ありがとう。苦労させました。僕も大人になりました。これからは僕が恩を返す番です。心配はいりません。」…と、なぜ言えないのか。
それは、その人が早々に俺の未来を奪ったからだ。
肉体的な痛みはすぐに忘れる。刻まれた傷もいずれ癒える。貧しかった時も過ぎ去ってしまえば笑い話になる。
そんな不遇の少年時代を思い出して、もっと幸福であるべきだったと呪っているわけではない。
陰険な性格の育ての母親は、自分の一挙手一投足にいちいちケチをつけ、言葉でなじり、罰を与えて追い込んでくる。幼い頃はその理不尽さに耐え切れず、ただ泣きわめくだけだった。
「誰のおかげで飯が食えてると思うんだ?」そう問われるたびに、「育ててくれなんて頼んでない!」という怒りが湧き上がっていた。で、成長して反抗期になってくると、実際にそのセリフを口に出したりもした。
…育ての母親にしてみれば、「こんなに苦労して育てているのに、この恩知らずは言うに事欠いて『頼んだわけじゃない!』だと?」と、失望と怒りでつい口を吐いて出た言葉だったのかもしれない。
「ただ(無料)で育ててるわけじゃないからね! 大人になったら返して貰うんだからね。」
…は?
「育てるのに幾ら掛かると思ってるのね。今まで買い与えた服や物、学校に行くのに掛かる費用、毎日の食費…全部計算して請求するからね。あんたのお父さんからは1円も貰ってないんだからね。あんたが働くようになったら全部返しなさいよ!」
これが実の親、生みの母親が言った台詞なら、「本気で言ってるわけじゃないんだ。ついカッとなって言った憎まれ口にすぎないんだ。」と思えたかもしれないけれど、この育ての親は小学校入学前に「初めまして。」で出会って、「今日から『お母さん』と呼びなさい。」と言われて、探り探り関係性を築いていった人なのだ。
ましてや、自分の父の後妻ですらない。
その言葉を真に受けた…というのもあるけど、はっきりと断絶を感じた瞬間だったかもしれない。
そして、「…こんな状況俺が望んでこうなったわけじゃない。だから早く大人になって働いて自分一人でやっていけるようになって、さっさとここから出て行きたい。そうすればその後は俺は自由だ。」と思っていた、自分の唯一の希望を打ち砕く言葉だった。
うんざりするほどの小言を耳にしながら、毎日渋々口に押し込んでいる不味い飯…でもこのメシ代もあとで払わなきゃいけない。
周りの友人たちのように少しはオシャレな格好もしてみたいが、買い与えられた服を仕方なく着続けている…この安物の服代もいずれ請求されるのか。
毎月の給食費、入らなくなって買い替えざるを得なくなった制服代、教科書代、ノート・鉛筆代、その他諸々諸経費…ざっと計算しても幾らになる?
高校出てすぐ働き始めたとして、月に幾ら稼げる?…鹿児島なんてとっとと出て行って東京で暮らしたいんだが、東京で一人暮らしするには幾らあればいい?…幾ら稼いで、その中の何割をこの返済に充てればいい?
そもそも、この貸借関係がある限り、この女と縁を切ることはできないのか。
はい、絶望。
まだ小学生のうちに、先回りして未来を闇で閉ざされたこと、これを水に流して感謝できるほど人間できちゃいないのだった。
自分にできる唯一の自己防衛策、それは思い詰めない事。
いろいろ考えたけれど、やっぱりダメだ〜。もうどうにもなんねえ〜。と落ち込んだ時のその落差に耐えかねて、自暴自棄になったり、他人を攻撃したりしないようにするためには、とにかくこの絶望を薄めて日常に溶け込ませるしかない。
結論は先延ばし。現実逃避の妄想力と自己憐憫に浸れる自己愛の強さが、ここで生きてくる。
とにかく気を紛らす。あれこれ余計な事も考える。
その代わり、何をやっても何を考えても、常に「(どうせ)」が入ってくる。
独りでいるのは割と苦にしない(どうせ)から、なんとか独りで生きていけるんじゃないかな(どうせ)。(無駄だろうけど)
自意識過剰な自問自答の合間合間に、細かく刻んだ「どうせ」や「無駄」、「不毛」を混ぜ込み混ぜ込みして、ごまかしごまかしやってきた。
やっぱり冷笑的になった気がする。諦めが先に立って、物事に心底熱中できない。常に無力感に囚われているのは、もう子供の頃からだから。
周りの環境のせいにしたり、自分に負の影響を与えた他の誰かのせいにしたりするのはみっともないと自分でも思う。なんとかそこから脱却して、「誰のせいでもない!」と思うように努めてきたつもりではいる。
絶望が慢性化した状態。それは哀しいことではある。
だが、ここから何か始められるだろうか。今さら何をやっても遅いんじゃないかという諦念に打ち勝つことはできるだろうか。
文章を書く。音楽を作る。
今までの経験が無駄じゃなかったと自分で実感できるような振り返りを行う。
センチメンタリストとして、ささやかな抵抗を試み始めた49歳の春である。
(…うん、なんかまとめようとしたけど、まとめられなかった。未だに自分はこの育ての母親に対する感情については整理がついていないのだということがよくわかった。でも、一番思い出したくない事を思い出して書いてみるという試みがようやくできただけでもよしとしよう。)
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