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海が好きだ

海は自分の心の内側を大きく形作っている一部だ。自宅から小さな森を数分歩いて抜けると、穏やかで何も無い、至って普通な海があり、そんな環境で 0歳から20歳まで育った。毎晩海のさざ波が聞こえてくる部屋で深く眠りに落ちていた幼少期。でも、海の近くで育つと穏やかな波だけで無く、一旦荒れると、何もかもを破壊する、とても恐ろしい形相を見せる、強風波浪の一面も知っていた。

20歳で小さな海がある街を出て、ニューヨーク、東京と25年間大都会で暮らしていた。都会での暮らしは血気盛んだった若かりし日の頃の自分にとって刺激的で、触れ合った様々な人々や身の周りで起こる出来事から多くを学び吸収して大人になった。そして、自然な流れで辿り着いたのは、自分が育った海のある街で、再び同じ景色を見つめながら人生を送っている。

そんな生活の中で、コロナ禍になり自分の人生を振り返る時間が沢山訪れた。今でも脳裏に残っている最初の記憶が何だったのかを問いかけてみる。やんわりと思い出すのは、やはり海だ。

台風明けの風がとても強い日で、多分5歳くらいだった。砂浜に掘られた穴で眠ってしまっていて目を覚まし、起きて海を見つめると、波打ち際で沖から流れて来たワカメを、家に遊びに来ていた親戚と親が楽しそうに取っている光景が何故か鮮明に浮かんで来る。本当にどうでも良いような記憶なのに、その時の強い風による音や、薄暗い雲の隙間から光が刺している光景、潮風の匂い、1つ1つが映画のシーンのように残っている。

最初の記憶から、順を追って辿って行くと、自分の10代の頃の記憶には全て海がある。学校帰りにそのまま海に飛び込んで遊んだ記憶や、高校もろくに行かずに海で何をする訳でも無く、何時間も友人達と下らない話をして過ごした。もちろん海で恋愛も失恋もした。

波が穏やかでのんびり出来る晴れた日もあれば、強風に煽られて立っていられない日もある。そして、高い波に連れ去れて沖に流されてしまう事だってある。所詮人間なんて自然には逆らえない生き物。

都会で暮らしていた時には全く頭の片隅に無かった記憶が、自分の育った自然豊かな環境に戻ると蘇ってくる。地元に戻って本来の自分の人間性を見つめ直せる良い時代が来たんだと今は前向きに思える。人生とは波のように、永遠に寄せては返すものだから。

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