DJ AKi

隔離されたこの世界と時代から学んだ、本来の人間があるべき姿やその重要性を伝えていく。 自分の歩いてきた人生の軌跡を書き残したい。 生業は、プロフェッショナル DJ。 DJ AKi STREAM → https://www.twitch.tv/djaki_06s

DJ AKi

隔離されたこの世界と時代から学んだ、本来の人間があるべき姿やその重要性を伝えていく。 自分の歩いてきた人生の軌跡を書き残したい。 生業は、プロフェッショナル DJ。 DJ AKi STREAM → https://www.twitch.tv/djaki_06s

最近の記事

ここが時代の始まり

DJをアーティストと形容すべきか? いや、音楽を介して自らの意思や趣向を、フロアーに集ってくれる人々に表現し、共感を得る者でなければならないと定義する。26年間、大なり小なり人前に立って、ひたむきに DJをしてきた自分の見解だと、この解釈が1番しっくりくる。そして、根本的に心の奥底で沸き立つ情熱が全てで、その燃え尽きそうな程熱い想いが、どれだけ多くの人に伝えられるかが最も重要だと考える。 人に認めてもらえる DJになりたくて、勢いに任せてターンテーブルと音楽にひたすら向き合

    • おかげさまで DJ 25周年

      情熱以外何も持っていなくて、ハングリー精神の塊でしかなかった、90年代の7年を過ごしたニューヨーク時代の自分。トランク1つで乗り込んだ、911が起こる以前の街は文化が華開いていて、自由とエネルギーに満ち溢れていた。人種のるつぼで多くの人々に出会い刺激を受けながら、日本人として、ニューヨークで生き残るサバイバルゲームに身を置き、心も体も全てを解放して毎日全力で駆け抜けた青春時代。そんな多感な時期にドラムンベースと出会い DJになった。 駆け出しの3年間は、小さなアイリッシュ系

      • 3カメでDJ配信

        自室の押し入れに配信用の機材を組んで11週間が経過した。毎週配信後、アーカイブを何度も見返し、何が足りなくて何が必要か。DJ AKi STREAMのサポーターとして視聴してくれる人達の期待にどう応え進化させるのか。そんな想いを自問自答し繰り返していたら、初回から3ヶ月足らずで DJ配信用のカメラが3台になった。 音楽配信は山のようにある。DJ配信も簡素なものから派手なものまで、果てしない数の番組がオンライン上に存在している。個人的な考え方は、映像と音、配信者と視聴者のコミュ

        • リリースパーティーをオンラインでやる

          現場のフロアーに集まってくれるお客さんの前で DJをやる。イベントをクラブで開催する。現状まだ多くの問題が存在していて簡単ではない。みんな自分の思い通りにならなくて、最善策を模索している。でも、正直正しい答えなんて誰にも分からない。慎重に行動する人もいれば、強行突破する人もいる。ネガティブな話も山積み。そんな状況下で、今まで自分が長年に渡って活動してきたフィールドには、残念ながら縮小しか無くて DJとして生き残れないのは明白。でも誰かの責任に出来ない。文句ばかり言っても何も変

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          押し入れ宇宙 (THE CLOSET UNIVERSE)

          自宅からの DJ配信を始めて早くも2ヶ月が経った。本当に自分1人だけで、DJ、VJ、MCを同時進行で無事に配信出来るのか、疑心暗鬼な状態からのスタートだったけど、あっと言う間に先週土曜日に第8回目を終了した。 毎回自分が配信したアーカイブは何度も見返す。DJのMIXの甘さや選曲の並び順、動画の選択や並べ方、カメラのスイッチのタイミング。ミスや反省点を自分自身で確認し消化して、次の配信に繋げる繰り返しの日々。24年前にDJを始めて日中問わずターンテーブルに向き合っていた頃の自分と全く同じで、競技は変われど何年経っても人の根本は変わらないと改めて自己を知る機会になっている。 そんな状況の中、この押し入れスタジオが世界へと繋がったし、次々と作品を産み出す瞬間とクリエイティブが心底楽しくて、不眠不休で時間を費やし、この2ヶ月間充実感に満たされながら、新しい自分を探求している。 今回は初めて配信にテーマを掲げてみた。"押し入れ宇宙 (THE CLOSET UNIVERSE)"。アポロ11号が月面に着陸したのが1969年。60年、70年代生まれの人達なら少なからず宇宙に対する幻想を抱いて生きてきたはず。自分も漏れ無く宇宙に対する壮大な想いを感じて育った。そんな自分のバックグランドもあって、お一人様 DJ配信のコツが掴めてきたから、自室の押し入れで宇宙を表現してみようと考えた。 もう1つの裏テーマもあった。今までの配信では、過去に自分のイベントでVJをしてくれて共に成長してくれた、複数の映像作家達から映像提供をしてもらった。これはかなり特殊なようで、VJ間で自分が製作した映像を共有する事例がなく、自分はかなり恵まれた環境の中、配信を成立させてきた。その反面、VJ達から映像を提供してもらえていなかったら配信出来無いのか?と考え始めた。そこで、この第8回目はオンライン上で公開されているフリー映像素材を集めまくり、それらの映像をメインに配信の挑戦をしてみた。要は自分で見つけた映像だけでも上手に料理すれば、それなりの形で自己表現ができる可能性があると、配信をしてみたいDJ達に提案したかった。 DJ配信はつまらないと言う人も沢山存在する。そもそもダンスミュージックは、フロアーで爆音を浴びる音楽。家のスピーカーやヘッドフォンで音楽を聴きながら、オンライン上の1つのカメラの前で淡々とDJをする姿を見せて、視聴者に退屈だと思われても仕方がない。でも、コロナ禍が全く解決していない今、現場でDJをする機会は少なくとも年内は絶望的だし、新しい活動の場所は此処だと信じている自分にとって、DJ配信はつまらないと言われる概念を破壊したい気持ちが強く高まっている。 そして、DJと言う行為自体、プレイヤーが最も楽しんでいないと、フロアーのお客さんを楽しませる事が出来ないのと同様で、DJ配信も配信側の自分が最も楽しんでこそ、視聴してくれるみんなに音楽の魅力と自分の創造力が電波すると確信している。 それと同時に、与えられた機材を駆使して配信に挑んでいる現状。天気が良ければ森や山に出掛け昆虫採集する自分。デジタルと自然の狭間で生活している、現在の自分のリアルな生活と自分自身を配信を通じて表現して行きたいと考えている。訳も分からず押し入れに機材を組んでから2ヶ月経って、DJという殻を破り、少しアーティストとして成長したのかも知れない。 こんな気持ちになれるのは、いつも視聴してくれる皆さん。サポートし続けてくれる皆さんのおかげです。自分の創造力の限界がくるまで、毎週必ず配信を繰り返し、成長しながら期待に応えていきたい。たかだかDJ配信、されどDJ配信。DJ配信は音楽を垂れ流すだけでは無く、1つの作品作りであると証明していきたいから。 次回の配信は、7月18日(土) 18:00-20:00 #09 DJ AKi STREAM _ A JOURNEY TO EXPLORE THE BRAIN https://www.twitch.tv/djaki_06s

          押し入れ宇宙 (THE CLOSET UNIVERSE)

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          こんな時代でも世界に行ける

          一人っ子の自分に両親が残してくれた木造の2階建一軒家で5年ほど暮らしている。横須賀の小高い山の上にある住宅街で田舎ではあるが、3LDKでそれなりの広さのリビングや庭も確保されている家。でも、もう30年近く前に両親が購入した家だからおもいっきり和で古民家に近い。 東京に住んでいた時は、常に渋谷区富ヶ谷近辺に住んで、1フロアーが丸々1部屋の鉄筋コンクリートの高級賃貸マンションに住んでいたこともある。友人達と常に時間と空間を共有出来て本当に楽しかった上、職場や遊び場が近くて利便性

          こんな時代でも世界に行ける

          海が好きだ

          海は自分の心の内側を大きく形作っている一部だ。自宅から小さな森を数分歩いて抜けると、穏やかで何も無い、至って普通な海があり、そんな環境で 0歳から20歳まで育った。毎晩海のさざ波が聞こえてくる部屋で深く眠りに落ちていた幼少期。でも、海の近くで育つと穏やかな波だけで無く、一旦荒れると、何もかもを破壊する、とても恐ろしい形相を見せる、強風波浪の一面も知っていた。 20歳で小さな海がある街を出て、ニューヨーク、東京と25年間大都会で暮らしていた。都会での暮らしは血気盛んだった若か

          海が好きだ

          DJ配信機材セットアップ Ver.01

          知恵や有効な情報をみんなで平等に分かち合い、この困難な世界を乗り越えていくのが、これからの正しい社会を作る。テレビやインターネットから流れて来るフェイクニュースに耳や目を傾けながら右往左往するのは止めた。自分が本当にやりたい事を探求する為に、毎晩朝まで時間を費やし、作品と呼べるDJ配信になるように実験を繰り返している。毎日気付きがあり結果が産まれる。これからその手法を公開し、少しづつ伝え共有したい。 自宅の押入れから2回DJ配信をした。パソコン以外何も持っていなかった自分に

          DJ配信機材セットアップ Ver.01

          時代の終わりは時代の始まり

          自分のライフワークとして、19年間毎月継続してきたイベント"06S"を、2020年1月11日にファイナルと銘打って開催した。その時のコンセプトとして掲げたメッセージが、 THE END OF AN ERA IS THE BEGINNING OF A NEW. ー 時代の終わりは時代の始まり。 まるで、すぐ目の前で起こる未来を予言したかのようなメッセージを発していたけど、当たり前だった既存の価値観を崩壊させる時代が、地球レベルで起こるとは、あの時点で 1mmも想像していなか

          時代の終わりは時代の始まり

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          DJ AKi STREAM 自宅押入れから生配信

          それは長年の友人から送られてきた1通のメールで始まった。AKi君の家からの配信が観たい。DJとしてこの時代を生き抜いて欲しいので、必要な機材を送りますと... 正直自分はプロフェッショナルDJでありながら、この20年間自宅にDJブースを組んだ事が無い。明確に言うと組む必要が無かった。何故なら2000年から渋谷のクラブWOMBに身を置き、そこから10年近く当時WOMBの3階に常設されていたDJブースが自分の道場だったから。 相当マニアックな話になるけど、そこに搭載されていたサウンドシステム "PHAZON"は、90年代に世界一だった伝説的なニューヨークのクラブ "TWILO"のサウンドエンジニアであった神様 STEVE DASHが設計した、唯一無二の神の領域である日本最高峰の DJブースが存在した。 平日深夜の営業がまだ無かった無人のWOMBに週3、4日通い続け、振動でも針飛びしない様にゴムで吊るされていたターンテーブルとUREIのロータリーミキサー。渋谷のど真ん中でありながら深夜にあり得ない爆音を浴びてDJの鍛錬を続けられた日々。今考えるとこれ以上無い最強な環境があったDJキャリアの裏側は、幸運にも程が有ったと思う。 その後もニューヨーク時代からの親友が、代々木上原にあった完全防音のスタジオに籠っていたので、その場所で楽曲を制作し、当然DJもしまくっていた。丁度そんな時期に、自分達が愛して止まない音楽をストリーミングと言う新しい媒体を使って配信すれば少なからず誰かに電波して、日本のシーンを拡大出来るのでは無いか?と言う話になり、DJ AKi STREAMを開始した。 そして現在まで112回、およそ10年に渡って毎月番組を継続してきた。USTREAM → FACEBOOK → TWITCHとプラットフォームを変えながら、イベント前の2日前は公開スパーリングをするぞ!と言う意気込みで10年。 しかし、このコロナ禍到来で身動きが取れなくなり、家にDJ機材も無いし配信も終わりかなと思いかけていた矢先に、冒頭のメッセージが届いた。そして、スピーカー、マイク、カメラ、ミキサーと追随された愛が自宅に届き、あっという間に配信用の機材が揃った。 こんなにありがたい話も滅多に無いけど、自分は配信をする上で、今まで基本的に DJをするだけの人任せで、配信に必要なOBSと言うソフトウェアを触った事すら無い... でも、届いた愛に応え無い訳にはいかない。OBSなる初めての未知なる相手と格闘しながらこの3日間弄くり回してみると仕組みを理解し始め、久々にDJ以外のクリエイティブ脳が起動し始めた。30秒弱とはいえ、自分にもこんなティザー動画が作れるようになるなんて考えもしなかった。 奇しくも20年前に帰国して間も無く、ニューヨークから持ち帰ったDJ機材を組んだのも、今このブログを書いている目の前にある押入れ。当時まだ健在だった父親にうるさい!と怒られた記憶も蘇る。今回愛に満ち溢れ届いた機材達を同じ場所に20年後に設置するんだよと、まだ血気盛んだった30歳の自分に言ってもお前何言ってんだ?となるだろう。 同じ場所で運命は繰り返され、新しい形で自分を表現出来る可能性を探求し、実験する時がきた。 長年の活動で形成された大切なコミュニティーを守り、音楽を通して多くの人々とコミュニケーションが取れる場所として、DJ AKi STREAMをリニューアルする。1人だけでも表現出来る、オンライン越しに見える遠隔された本来の人間性をTwitchにて伝えたい。2020年5月22日金曜日19時より配信開始。 https://www.twitch.tv/djaki_06s

          DJ AKi STREAM 自宅押入れから生配信

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          ISOLATED HUMANISM

          焼夷弾が雨のように降り注ぐ中、死体まみれの街を必死に家族と逃げ生き残った母。ヘリコプターから機関銃の乱れ打ちにあい、爆弾工場に学徒として駆り出され、誤まって手榴弾が爆破し親友が死んでしまった父。今はもう両親共に他界してしまったが、戦争の恐ろしさは子供の頃からすり込まれ、何があっても戦争はしてはいけない。平和である意味を心におきながら生きなさいと言われ続け育った。特に人生の強制的なレールを引かなかった両親からの唯一の大切な教えは世界平和だったのかも知れない。 そんな教育によっ

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