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【吉田の火祭り】『君たちはどう生きるか』ヒミのモデルはコノハナサクヤヒメ?

恥ずかしながら、日本三大奇祭の存在を初めて知った。諏訪の御柱祭、秋田のなまはげ紫灯まつりに、今回行った「吉田の火祭り」。

私はどうも「吉田火祭りとは重要無形文化財で、江戸時代には云々」みたいな概要の説明から入りたくなってしまう性分なのだが、今回は思い切ってそこはすっ飛ばし、個人の感想として祭りの魅力を伝えたいと思う。

『君たちはどう生きるか』に触れるのは記事の最後にした。今回のメインはあくまで祭りである。


吉田の火祭り

さて、「吉田の火祭り」は富士山のふもと、富士吉田市で毎年8月26日と27日に開催されている。日付が固定なので平日開催の年もあるが、2023年はありがたいことに週末にぶつかった。

北口本宮冨士浅間神社から街中にある大きな鳥居までの約1kmほどの沿道に、高さ3mもある大きな松明が並び、順に燃やしていく。Wikipediaには70~80本と書いてあるが、今年の松明は100本らしい。街中で100本も燃えている様は、さぞすごい光景だろう。

夜には屋台が出そうだが、今のうちにしっかりメシを食べておきたい。富士山駅の地下にあるお店で「吉田のうどん」をいただいた。味噌スープに太くてコシのある麺、ご当地グルメではあるが、近所に一軒あって欲しいと思ったほど美味い。

腹も満たしたところで、神事が行われるという諏訪神社へ行ってみる。雲が晴れて、少し富士山が見えるようになってきた。

道中には夜に燃やす予定の大松明が寝かされていて、企業や個人、お店の名前や自治体からの奉納であることが書かれた立て札も置いてある。名前を見ていくと、どれも地元にゆかりのある人や企業のものらしい。これが100本もあるということは、火祭りは地元からとても大切にされているのだろう。


雨宿り

長いメインストリートの途中にて、割と強めのにわか雨が降ってきたので、雨宿りをさせてもらおうと近隣の民家の軒下へ避難した。ちょうどそのお宅に住んでいるご高齢の夫婦が雨音に気付き、様子を見に外へ出てきたところだった。

おばあさんは忙しそうにバタバタしており、おじいさんは片耳にイヤホンを付けて何かを聴いている。X JAPANの手ぬぐいを頭に巻いていたので「紅」でも聴いているのかと思ったが、繋いでいるスマホの画面が交通情報の画面だったので、それ関連の案内を聴いているらしい。

就職で東京へ出ていった息子さんが、コロナが落ち着いてきたので久しぶりにお孫さんを連れて車で帰郷してくるのかもしれない、そんなドラマを1人で勝手に想像した。

道端に置かれた松明は、シートをかけるでもなく雨風に曝されるままとなっている。「松明が濡れてしまうとちゃんと燃えないんじゃないですか?」とおばあさんに聞いてみたところ「火はつきにくくなるけど、大丈夫。ちゃんと燃えるよ。燃えないときは油をかけたりすることもあるし、ちゃんと燃やしきることが大切なんだ。」と教えてくれた。

「今は火をつけて大体23時くらいまで。でも昔は朝まで燃やしてたんだよ。大きい松明は色んな人からの奉納だけど、各家庭でも薪を用意してて、家の前で燃やすんだ。」

確かにそれぞれの家には、大松明とは別に薪が用意されている。これも一斉に燃やすのなら、あたり一面が火の海になりそうだ。ナウシカの「火の七日間」ばりの光景はまるで想像がつかないが、それよりも「熱さに耐えられるだろうか」の方が心配になってきた。

雨宿りさせてもらった家の薪


浅間神社

北口本宮冨士浅間神社の入り口につくと、普段は口にしたこともないくせに「霊験あらたか」などとつい言いたくなってしまう、そんな雰囲気を醸していた。

この木に囲まれている山道でも松明を燃やすらしい。道の脇に松明が準備されている。街中もそうだが、ここでは一層、火事の危険性を感じてしまう。しかしこの火祭りが始まって約400年、松明の火を元とする火災は一度も起きたことがないとのことだ。

万が一があっては、伝統あるこの祭りも続けられなくなるか、やり方を変えなくてはならない、今はそういう時代になってしまった。運営側もそこは特に注意しているだろう。メインの通りの脇には消防車が待機していたし、至る所に「鎮火」と書かれた水入りバケツが用意されていた。


点火

神事を終えた後に、神社からは2台の神輿が出発。一般的な形をしたもの(明神神輿)と、富士山の形を模した神輿(御山神輿)だ。

私の写真があまりに下手なので、
公式サイトから写真を拝借

神輿が街中をまわって、18時半ごろに御旅所と呼ばれる場所に到着した。そして「世話人」と呼ばれる人たちによって、いよいよ松明に火がつけられる。

先ほどのX JAPANのおじいさんの説明によると、祭りで重要な役割を担う「世話人」は厄年の男性が担うのだという。火の祭りだから「やく(焼く)年」にかかっているらしい。しかし身内に不幸があった方は、厄年であってもそもそも祭りへ参加することはできないそうだ。

火は神社の松明を最初に、聖火リレーのように同じ火を使って順番につけられていく。神社から鳥居まではなだらかな坂になっており、点火時に坂の下の方にいた私からは、上の方から徐々に火が近付いてくるのが見えていて、否応なくテンションが上がってくる。

松明ではない、民家で準備している薪も積み上げられていたが、これもかなりの高さだ。

点火する際には、世話人から「〇〇さんより奉納いただきました!」という前口上がある。松明のスポンサーのほとんどが、地元の企業や個人・商店のものなので、街全体で祭りを盛り上げようとする姿勢が窺える。

松明は、下からではなく上から燃やす。にわか雨で湿ってしまった影響もあってか火がつきづらく、最初の点火後から暫くして消えてしまったものもいくつかあったが、世話人が何度も巡回しては、何度でも火をつけていく。おばあさんが言っていた通り、燃やしきることが大切なのだ。

熱い。

暑いというよりも、熱い。

特に仕切りもなく、すぐ側で炎が上がっているし、民家の薪は目線の高さで燃えているし、火の粉が飛び交っていて容赦なく降り注いでくる。冗談ではなく、”燃えても良い服”で行った方が良い。髪や服からも、炭火焼きの良い匂いがする。

この火を間近に感じられるというのが火祭りの最大の魅力だと思う。にわか雨で濡れていた服が乾いてしまった、そのぐらい火が近いのだ。

小さい火を眺めていて心が落ち着いた、という経験がある人は少なくないだろう。しかしここまで大きく、圧倒的な数の火はその正反対で、アドレナリンが出るというか、興奮作用があるのではないだろうか。江戸時代の人達も、この火を見てきっと高揚していたに違いない。


コノハナサクヤヒメ

「吉田の火祭り」は木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)の故事に由来する祭りであると、神社の近くで弾き語りをしていたシンガーが言っていた。なるほど、公式サイトにもちゃんとそう書いてある。

コノハナサクヤヒメは、お姉さんのイワナガヒメと一緒にニニギノミコトのもとへ嫁ぎ(お姉さんはその後送り返されてしまうけど)、「火」と名の付く3人の神様を、火の中で産んだ女神である。


※ここから『君たちはどう生きるか』の内容に触れるので、未見の方はご注意を。

(C)2023 Studio Ghibli

コノハナサクヤヒメから真っ先に連想されたのが『君たちはどう生きるか』のヒミだ。彼女は主人公の眞人のお母さんで、火を操ることができる少女として登場する。

全部が一致しているわけではないが、コノハナサクヤヒメとヒミの物語上の共通点は主に以下のような点である。

・「火」と深い繋がりがあること
・「母」であること
・姉妹であること
・姉妹どちらもが同じ男性に嫁ぐこと

あくまで想像の域を出ないが、今までも様々な神話を作品のモチーフとしてきた宮崎駿監督なら、ありそうな話だと思う。




三大奇祭というなかなかない機会を得て、たまにはオシャレに「旅エッセイ」なんて書いてみようと思ったが、結局は映画の話になってしまった。

映画は、歴史も文化も社会性も内包できる性質を持っている。そのせいだ。これに懲りず、引き続き映画から見える現実と、現実から見える映画を観ていきたいと思う。

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