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わずかな抵抗

過去にフットサルをした時に怪我をしてしまい、一週間程足を引きずっていた。その経験から自分を過信しすぎないように注意し、年齢を重ねた現在では運動だけに限らず、無理をしないようにしている。後先を考えずに、全力で走れていた学生時代とは違うのだ。衰えを自覚し、ペース配分に気を配らなければならない。それらのことを強く意識していたはずなのに、コンディションが良いとついついペースを上げて、はしゃいでしまう。事故というのは、そういう時に起こるのだ。
近所の子どもたちと公園で鬼ごっこをしていた時のこと。張り切りすぎて派手に転倒してしまい、肩を地面に強打。勢いにのったまま転んだため、凄まじい衝撃を受けた。瞬間的にこれはまずい、と焦った。肩に激痛が走り、遊んでいる場合ではなかったが、子どもたちを見守っている立場上、「保護者の僕が怪我をしました。てへ」なんて言えない。僕は必死になって豪快にすっ転んだ愉快なおじさんを演じたが、勘の良い子は見抜く。ダメージに耐えきれず、わずかに歪んだ表情に違和感を覚えたのだろう。
「おじさん、大丈夫?」
なんだろう、この情けない状況は。大人が子どもを心配するのは当然だが、逆の現象が起きている。
「おう。ただの擦り傷よ。おじさんちょっと休むわ」
なんとかその場は誤魔化したが、肩の痛みは激しくなるばかりであった。
帰宅後に鏡で自分の体を見て、血の気が引いた。左肩から胸にかけて、どす黒く変色しているのだ。少しでも手を動かすと鋭い痛みに襲われ、着替えることすらまともにできない。翌朝、仕事を早退して病院に向かった。
「鎖骨の端が折れてますね」
鬼ごっこで転んで骨折……。そんなことで自分が骨折するわけがない。これが、過信だ。レントゲンを確認すると、きれいに骨が折れていた。
「腫れがひどいですけど、なにされてたんですか?」
「えー、ランニングです。トレーニングで追い込みすぎて」
鬼ごっこをしていて、足がもつれて転びました。と、正直に言えなかった。咄嗟にアスリート感を滲ませ、カッコつけてしまった。
“オーバートレーニングですね”という、アスリートならではの言葉をかけられると期待していたが、実際に言われたのは「全治一ヶ月です」だけであった。僕のわずかな抵抗は音もなく静かに消滅し、虚しさだけが診察室に漂った。人間が粋がるのは生理現象だとしても、なんと惨めな嘘か。
それ以来、体力を温存しながら運動をするようになった。

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