【無職曖昧】02:創作スタンス思い出話。

 どうも。迷昧捺です。

 やっと鬱期に戻ってきたような気配がありますが相変わらず、スクラートのお世話にはなっております。

 いつも長々書きすぎるから更新できない。私はTwitterのような気軽さをnoteでも身に着けた方がいい気がしてきました。

Twitterも140字ギリギリまで書く人間には遠い話な気もします。とほほ。

 今回は思い出話回です。若干暗いのでその点だけご容赦ください、と言ってもいつもそう明るくはないですね。いつも通りの迷昧捺の雑記です。

本日の話題

思い出話

 大前提。この思い出話の頃の迷昧捺は、限界中の限界でした。

 リアル友人関係、ネット友人関係、そしてバイト先の代表的ハラスメント3アウト、サークル活動での自身の小説の書き方やらで大揉めに揉める波乱と激動の時期です。
 ついでに魔王も大暴れ。毎日怒鳴っては物を投げつけ、私は強大なトラウマも負います(これはまたどこか別のところで書きたいな。被害者は増えてほしくないものです……)。

 作業環境と趣味に関わるもの大半を没収、または自分の手でリサイクルショップに売りに行かされる休日。大切にしていた物々をカウンターで出しては「こちらの商品全て値段はつきませんがよろしいですか?」と言われながら宝物を引き渡す。

 自分用の日記は魔王が私を把握するための連絡帳になる。気心のおけない友人すらも接触禁止(魔王の機嫌如何で許される)になりながら、死にものぐるいでスマホを奪われないよう守って勉強とアルバイトをしていた時期です。

 創作活動が今まで唯一のストレス発散だった迷昧捺。なのに文字を見るのが嫌で嫌でどうしようもなくなり、兎に角もう何も考えたくないのでタイムスケジュールをギチギチにする。
 朝の5時起床、朝〜夕まで全ての大学の講義コマを埋め、夕〜晩まで週3でデイサービスと公共施設清掃の無償ボランティア、晩〜深夜はアルバイト、日付変わって家に帰って来たら魔王のご機嫌を取るためだけに晩ご飯を食べては吐いて、ストレスに耐えられず腕を切り、大学の宿題やレポートをやって深夜2時くらいに就寝する。

 そんな限界時代の思い出話です。

 その頃は、作品投稿用の個人HPを簡単に作れるプラットフォーム的なものに登録しておりました。

 作品の投稿頻度はそれこそ1ヶ月に1度あるかないか。交流を図った他のHPさんに(一方的に)迷惑をかけて相手方がHPを閉鎖してしまったり、愉快犯に噛みついたことを匿名の創作掲示板に書き込まれたり、それを叩き返して「キチ乙」「相手に非はない」と流されながらの初めてのHP生活はなかなかの充実っぷりでした。

 思えばこの頃から私は一足飛びにヘラみを超えて、キチで遠巻きに眺められる動物状態かもしれません。
 でも私的にはあの頃の混沌とした活動は楽しかったでまとめてもいいのかもしれません。活動はね。

 今でも割とそうですが、時々「私はネットを辞めた方がネットをやってる皆さん的にはハッピーなんじゃないかな」ってなるのです。

 全く更新ができないのに閲覧数は毎日3〜4アクセスくらいあって「申し訳ないなぁ……作品更新してないのに日常の愚痴ばっかり垂れ流して、それ確認させるのも悪いな、もうネットごと辞めようかな……」と考え、私はHPを休止するお知らせを出しました。

 するとHPのメールボックスにコメントが届いたのです。

 それこそ最初期に他HPと交流したり、愉快犯に噛みついた時くらいは頻繁に使いましたが、大分ご無沙汰していた機能だったもので私はメチャクチャ警戒しました。
 読んでいいものかと悩みました。また愉快犯アンチかもしれない。誰かの気に障って悪口が届いたのかもしれない。これを見てしまったら、今の余裕のない私はこの人に酷い返信をしてしまうかもしれない。
 けれど確認しないで無視するのも相手に悪いし、何より私が不安だ……ということで、コメントを読みました。

 肝心の内容ですが……正直よう覚えていません。台無しです。

 なので、ここについては完全に私の妄想説を捨てきれません。その辺、ご了承ください。

 過去のコメントとは比にもならない長文コメントでした。断片的にしか覚えていないのが何とも惜しいです。

 『あなたの作品が好きで、続きが気になって、いつも楽しみに見に来てます』

 『日記を見ればあなたがいつも頑張っていることが分かるから、私も頑張ろうと思えます。あなたが作っている作品を読むのが私の生き甲斐なんです』

 『更新はマイペースに、あなたのやりたい時にやってください。いつか元気になって帰ってきてください。応援しています』

 のような感じだったと思います。うろ覚え……。

 今の迷昧捺マインドなら好意的に取りますが、当時の迷昧捺マインドはそれはもうあまりに儚い、触れたら割れる、化学や生物の実験でしか見ないカバーガラスだったため。

 パリーンッて、砕けます。

 軽率に作品を世に投稿したことが間違いだった、と泣きました。学校帰りの公共交通機関の中で。周りからジロジロ見られるくらい。

 ついでに自分の握っているものがスマホではなく他人の心臓に見えてしまう。

 いつもスマホを持つ左手に、すっぽりとデフォルメされた心臓が収まっているように見えるのです。拍動していて、生温かくて、ヌメヌメしている。投げ捨てたくて仕方がない、でも自分ではない誰かの心臓を捨てるなんて酷いことはできない。

 その時の気持ちを罪悪感という表現にするとあまりに安っぽいというか、的外れな気もするのですが、とにかく後悔はしていたと思います。

 作品を誰かに読んでほしいなんて思わなきゃよかった。誰にも読まれなくていいと思うなら掲載なんて止めておけばよかった。 
 この人は、私の作品なんて見つけなければもっと楽しく有意義に生きていけるはずだったのに。私のせいで人生も感情も無駄にして、このまま待たせたら不快に思うに違いない。
 この人は私の作品を読むことを有意義と思ってくれるかもしれないけれど、そんなものは間違ってる。

 なぜなら、私に他人が人生を委ねるほどの価値はないから。

 もっと面白いものを作る人はこの世にたくさんいる。もっとすごいクリエイターは山ほどいる。私じゃなくていいのに、この人は私が承認欲求を断ち切れなかったばかりに私に行き着いてしまった、可哀想な人なんだ。
 違う、私なんかがこの人を可哀想だと思うのも失礼で、とても迷惑だ。だからこの人の人生がもっと良くなるように私は早く消えよう。忘れてもらおう。
 私はいなかった、この人の人生には関わらなかった。それでこの人は幸せになるはずなんだ。

 一瞬でブワァってそういうことを考えては忘れての濁流が頭の中で起きて、思考を整理することもできずにキャパシティを超えてしまったんです。

 そこからHPを消すまでは、結構早かったのではないかと思います。HPに復帰する予定も気持ちもまっさらにして、私はこの人のために創作をここに出さない! と決めてしまったのです。

 じゃあ何で今Twitter、カクヨム、くるっぷにnoteと大量に手を付けてるんですか、となりますが。
 この後のエピソードが、そこに理由があるから待ってくれ。順番に聞いてくれ。

 当時の私はコメントにろくな返事もしないで(何か日記で、ちょろっと、届いてるよってだけ返事したような気もする、けど下書きで書いて清書で消したかもしれない。確証がないし、コメントした人が見てくれているとも限らない……)、結局その後1度も作品を更新することなくHPを削除した、と思います。あんまり覚えてないです、いつの間にか消してました。
 そして自分のHPがもうないことに凄く安心していたんですね。

 それで終われば今の私はいなかったでしょう。

 時は過ぎて大体3、4年くらい前、一人暮らしを始めてまた創作物を世に出す余裕を得た迷昧捺。絵を描くのは楽しいな、小説自由に書けて嬉しいな、と少し調子に乗り始めます。

 けれどまあ新卒採用先がウルトラファッキンカンパニーであり、人生初のストレスによる救急搬送、検査結果からほぼ確定のうつ病と摂食障害、そして会社からの自主退職という名の事実上のクビを言い渡されプー太郎になります。新卒5ヶ月の快挙でした。

 朝から晩まで具合が悪く、ご飯は「人と通話する時に食べよう……」式、1週間に1回閉店間際のスーパーで食料を調達する。
 創作活動の交流に関して様々なところに些細な迷惑をかけ、それが積り積もって生きている意味も分からず再び限界になります。

 そんなに限界だが絶対に自傷行為と自さつだけはしない! とかつて決めた己との約束を守るために私がしたこと。

 ……自分より苦しんでいる人を見つけて安心することです。自サツ未遂の体験記ばかり探して読み漁り、自分はこんなに幸福なんだ、まだ頑張らなくてはいけないんだ、という負のマッチポンプでポジティブを得ることで生きながらえていました。
 数々の体験記は人間心理の勉強にもなるし、何より自身がタヒんだ時の周囲の予想も立てることで嫌に冷静に冷めて落ち着くことができたのです。

 絶対にオススメはしません、大半の人は立ち直る前に悲しくなると思います。

 それで。体験記の中に、冷静ではいられなくなる1つの話を見つけるのです。

 『生き甲斐だった創作サイト(一次創作とマイナーな二次創作どちらも置いていた場所)が休止、それでも再開を待っていたが削除されて、ブックマークからHPに飛べなくなった時に全てがどうでもよくなって首を吊った。今回のことが自分を救ってくれなかった、見放されたようでつらかったから、もうしばらく創作サイトは見ないで生活しようと思う』

 これが私のHPのこととは限りません。確かに一次創作とマイナー二次創作の作品を出していましたが、当時の世の中にはその形態の創作サイトは腐る程ありました。今でも恐らくあるでしょう。

 けれど指で何度数えても、私が創作サイトを閉めた年にこの人は首を括っていた。それを他人事だなんて思えない。
 あの日に貰ったメールを思い出そうにも、ご覧の有り様。断片的にしか思い出せない。
 けれど、私もそのメールの送り主にトラウマを与えてしまったかもしれない、素敵な作品を探すことを諦めさせてしまったかもしれない。

 私が消えることで幸せになってくれると信じてたのに、そんな考えが間違っていた。

 頭の中で、違う、私のせいじゃないと繰り返し、口に出して言い続け。
 じゃあ、私のせいじゃなかったらそれでいいのか、と。

 他人のフリでいいのか? と。

 私は人を救いたい自分を救って、自分が傷ついて苦しいからそれを作品を通して人に見せびらかしていただけで、他人の幸せなんて本当は何にも考えてなかった。

 私は誰かの命綱を「あなたのためだ」って切って奪う、私の周りの大人と同じで、私がこの世で一番なりたくない人達と同じことをした。

 もう笑うしかありません。一頻り笑ってから泣いて、ごめんなさいって何度も謝りました。

 今更、届くわけないけどね。

 それからはもう、自サツ体験記を読まなくなった。怖くて読めなくなった。そんな思い出話でした。

創作スタンス迷走中

 自分に小説みたいな奇跡的で感動的なストーリーなんて起こらないと思っていたのに、ご覧! なんてシリアスなストーリーなんだ! 小説かな!?

 現実は小説より奇なり。

 さて。私はどうするべきなのか。

 ぶっちゃけ反省会をしてみても、それから年数経った今もよく分かりません、というかここ数年でまた分からなくなっております。人生はラビリンスである。

 ネットの世界も現実の世界も、未だに人間性だの距離感だのが分からないものでして、想像するよりずっと周りはドライであることは察したけれども、じゃあ自他の認識の溝を埋めることができるかと言えばそれは難しい。

 私の作品を好きと言ってくれる声はありがたい。素直に受け止めたいのですが、如何せん私はネットも人付き合いも向いていないのです。
 大変厄介なことに、冗談と本音の区別もつかないし、なまじ人を信用する土台と経験不足なものですから、日常生活に中途半端に苦労しております。

 それもこれも全部デフォルトで人に対して「嘘だっ!!!」て思うせい。頭の中でひぐらしが鳴いてる。

 でも、いいんじゃないですかね。迷走したっていいじゃない。そのための今のペンネームですよね。迷昧捺。

 私の作品が好き? そうですか、嬉しいです。今という一瞬の熱に読者が浮かされ好きだと述べてくれた、それを私が見ることができた。それだけでいいじゃないか。

 私の話が面白い? そうですか、嬉しいです。あなたがその時だけでも、ほんの少しでも、そうやって心を動かしてくれること、それを私に伝えてくれたこと。それだけでいいじゃないか。

 ずっと好きではいてもらえないでしょう。いつか飽きてしまう日は来るでしょう。
 私が想像するよりずっと簡単に、ブックマークもフォローも外すし、アプリもアンインストールする、アカウントも売却する、そんな世の中です。

 作品のことだって、多くの場合は忘れてしまうでしょう。
 あの時にメールをくれた人みたいに、ずっと覚えていて、待っていてくれる読者の方が少ないかもしれません。

 合作したことを忘れられる日もあるでしょう。好きだと言ってくれた読者を思って作った作品を喜んでもらえないこともあるし、送るまで向こうが私を忘れていることだってあるでしょう。
 送られて初めて「ああもう興味ないんだった」って思い出してブロックしてくることもあるでしょう。私はそのパターンで3回ブロックされてる。何も信じられない。

 本当は私のことなんて初めから嫌いで、表面上私にいいことばかり言って、本当は私の悪口を言って笑い合っている。そんなこともあるでしょう。嘘だと信じたくても、それが私の目や耳に入れば嫌になることだってあるでしょう。

 知らないゲームの話をしていて「フォロワー楽しそう! それ面白い?」って聞いたら「界隈にわかが自分のTLにいるなんて許せない」ってフォロー外されることもあるし。

 突然被災した時にパニックになって「こんなことになると思ってなかった……これからどうしたらいいの……身内連絡取れない、心配」と呟けば「自分かわいそうアピールうざい」「被災系のツイート飽きた。創作のツイートしないならどうでもいい」とブロックされることだってよくあります。

 ネットなんてそんなもん!! みんな他人事!! みんな嘘吐き!! 社会と一緒!! 人の元気な面だけ見て、マイナスの面はうざいキモイつまらん嫌いって言う!!

 そういう意味では、筆者も読者もみーんなアイドル、みーんな偶像。

 読者は、毎日仕事や学業や家事と創作を並行してできて、アイディア溢れて止まらん、自筆の本を売り出してくれる健常で健康で裕福で幸福な筆者を求めてる。

 筆者は、毎日時間を割いて定期的に読んでくれて、いいねや応援メッセージを頻繁にくれて、自分の作ったグッズや商品が欲しいと言ってくれる健常で健康で裕福で幸福な読者を求めてる。

 迷昧捺の体感かもしれないのは否定できない。けれど、お互いの醜い部分は見たくないし、訴えても信じてないし、重要じゃないからすぐに忘れてしまう。

 アンチ滅びろとか言いたいわけではないです。そういうキャラで売ってない限りは、言っても誰も幸せにはならなさそうですしねぇ。

 ということで、都合のいいとこばっかり追ってもいいんじゃないですかね。それはそれで。
 結局のところ、私は筆者であり創作者であり読者であり視聴者だけど、私は他者ではなく自身だから、そういう綺麗なとこだけみたいのは仕方ないよな〜って思うのです。

 だから、お互いがその時、その瞬間に今の世界に生きた存在であると証明できたら、もうそれでいいんじゃないかな……。

 読者が私を覚えていたいならそれでいい。愉快犯が私を叩くならそれでいい。  
 私もコメントをくれる読者のことを、このミニマム記憶領域で、できる限り覚えていたいです。
 それで散々裏切られたからって、もう信じないってしたら新規読者に悪いし、何より自分が筆者や投稿者から信じられてないだろうなって思ったらつらくないですか?

 筆者及び投稿者が私のことを5秒で忘れる消しカスだと思っているかもしれない、って前提はありますが。
 なんたってこの世はドライですからね……。

 どこかにいる読者が作品を喜んでくれるなら、その読者が私を忘れるまで私は創作をしてもいいんじゃないかと思います。

おわりに

 あの日私にメールを送ってくれたどこかの誰か。
 手を変え品を変え、別人みたいな顔と名前しながら私は創作をしています。

 あの時はあなたの命綱を切ってしまって、本当に悪いことをした。もしかすると今もまた、あなたと似た誰かの命綱を切るようなことをしているかもしれない。

 それでも私は、あなたの傷が癒えた頃にまた出逢えたら素敵だと思う。あの時の人だと思いながら、あなたが私を見つけてくれたらいいなと思う。その時は、よろしくお願いします。

 と明るく締め括りたいところですが。
 迷昧捺も残念なことに未だ弱い人類であるため、創作が嫌になることもあります。作品を消すことも決して珍しくはないでしょう。

 誰も見てくれてないなら、宣伝力と集客力を磨いてチャレンジするだけさ!

 行間と括弧の使い方が変?
 そんな言葉遣いは現実にない?
 登場人物の名前は全部漢字で書け?
 当て字は誤用?
 筆者に国語力がなくて共感性羞恥で読めない?
 作者の品性がクソ?
 書いてるやつは性格が悪い?
 お前の作品は人に自分の思想を押し付けていて迷惑?
 人の思想を傷つけるもの書くな?

 そういうことを言われるとですね「わ"ーーーっ!! 何で自由にやらせてくれないのおぉ!!」って泣き叫びながら消してしまうことがあるのです。

 全部読者に言われたことだよ、悔しいね!!
 作品じゃなく私を叩くんじゃねえ!! 
 想いを込めて書いてるのに私の想いはぺらぺらだって言いたいのか!!

 その通りだよ、ガッデム。

 多くの人の目に触れるからこそ、ネットに作品を出すと往々にしてこうなる。だから創作は茨の道だし、やめられない。

 そんなわけで。
 告知なく迷昧捺の作品が消えていたら、その時は「アッ何かあったんだな」って思ったり、好きな作品が消えた時には「再掲予定ありますか?」ってやんわり尋ねてくれたら、あるないくらいは答えられると思います。

 というのが、現在の見解です。

 気にするのに疲れてしまったよパトラッシュ。
 これが大人の世界さ、ネロ。

 ……で、自分の行いで読者がタヒぬかもしれないことについてはどうするの?

 そうですね。
 つまるところ、迷昧捺にできるのは作品を通して読者の首を真綿で締めながら、心臓付近を刃物でザクザクすることを自覚しながら創作をすることくらいです。

 ネットの作品がいつ消えるか分からないのは古今変わらずです。
 最近のTwitter騒動をきっかけにアカウントを削除したりもする身では返す言葉もねぇというやつです。

 ただ読者に生きてほしいというのは本当だし、人生楽しんでほしいというのも本当です。
 何かしらの行動は起こしたいですね。ネットプリントとか、文庫本は難しいけどコピー本? とかならいけますかね……? 調べないといけませんね。

 創作を世に出した瞬間から、私は加害者になり得る。いつだって画面の向こうにナイフを突き立てている。

 そういう意識を忘れずに、創作はしていきたいものです。

 今回は以上です。
 迷昧捺の無職曖昧02:創作スタンス思い出話でした。長々とお読みいただき、ありがとうございました。

 また目に留まった時にお会いしましょう。

( ゚д゚)!!!!!