56 花火(firework)


はじめに

今から、750年前の1274年のことですが、日本はかつてない世界の脅威に一致団結して立ち向かうこととなりました。この出来事を元寇襲来と言います。圧倒的な元軍の数と最新の武器に翻弄された日本の武士団は、暴風雨の到来で、難を逃れたとされています。
この戦いで、武士たちが初めて目にしたのが「火薬」という未知の武器でした。蒙古軍の来襲により持ち込まれた火薬ですが、その後、火縄銃に用いて戦で大きな戦火をあげるようになるまでには、その後300年ほどかかるわけです。
時代は流れ、この火薬を用いて夜空を彩る、一瞬の芸術「花火」が世の人々を魅了するようになったのは「江戸時代」のことでした。このきっかけを作ったのが何を隠そう、あの江戸幕府をひらいた「徳川家康」だったのです。家康は、中国人が打ち上げる花火を見た際に大変に気に入り、その後、将軍家では花火を愛でることが定着していきます。その習慣が、次第に各地の大名に伝わり、広い夜空に花咲く大輪の花火を町人たちも夏の風物として心待ちにするようになっていきます。
武器としての火薬と観賞用の花火への転用の二つの側面を持つようになっていったというわけです。また、享保の大飢饉の際には1万2000人を超える餓死者をともらう意味でもこの花火が送り火のように死者への手向けとなったという話も残っています。

日本三大花火大会

夏休みまであと少し、山梨県でも各地で花火大会が企画されています。しばらくぶりの夏の風物詩に、心躍る思いの方も多いように思います。
そんな、日本の夏の風物詩である花火大会にも「日本三大花火大会」と呼ばれるものがあります。最近では、四大大会とも言うそうですが、なんといっても有名なのが、秋田県大仙市の全国花火競技大会が有名ではないでしょうか。別名、大曲の花火といった方がなじみがあるかもしれません。
さらに、茨城県土浦市の土浦全国花火競技大会、新潟県長岡市の長岡まつり大花火大会が特に有名なものとして社会などでも資料で目にします。それに次いで、三重県の伊勢の花火大会も大変有名です。ここまでを日本の花火の四大大会というそうです。様々な説はあるようですが、一度はどれも見てみたいものです。

日本一の花火師

秋田県の大曲の花火に代表されるように、花火の世界には競技会というものがあります。この競技大会は、花火師の技術の向上を目的とする側面を持っています。ですから、腕によりをかけた新作の花火を目にする機会も多く、普通の花火大会とは一味違う緊張感と新鮮味があります。
中でも。秋田・大曲と茨城・土浦の花火大会は日本の二大花火競技大会といわれていて、ファンも多く花火職人の技術の粋を見ることができます。
そんな花火の競技会において偉業を成し遂げている一人のレジェンドがいます。その職人の名を「野村陽一」さんと言います。秋田の大曲では、2連覇、茨城の土浦では4連覇といいますから、まさに日本一の花火職人と言えます。また、全国の花火大会で優勝し続けているだけではなく、20回にも及ぶ内閣総理大臣賞受賞受賞していることもまさに快挙です。

一瞬の輝きのために

「作るんじゃなくて、子どもを育てると同じような感覚で作っている」
「一度安易な道を選んだ者は、二度と高みを目指すことはできない」
この二つの言葉は、いずれも日本一の花火師である、野村陽一さんの言葉です。
花火という一瞬の輝きが織り成す芸術を作り出す、最高峰の達人のこの金言は、「教育」を通して子どもたちに伝えなければならない、重要な意味を私たちの教えてくれています。
一つは、取り組みに対する心もちです。ただ終わらせるのではなく、何事に対しても愛情をもって関わること、そして、もう一つが目標に向かう姿勢において自分を偽るようなことをしてはいけないという意識のありようです。
夏も近づき、花火の時期が来ます。打上がるる花火は一瞬なれど、そこに至る過程は多くの努力と喜びに満ちています。まさに、試験やしかるべき時に力を発揮するために日々学び続ける過程そのものではないでしょうか。



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