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399 山梨県知事 報道への圧力


はじめに

長い物には巻かれろ的な思考が日本の教育も経済も衰退させているという主張を時折耳にします。今日の教育コラムもそんな感覚を覚えてしまった出来事について少しお話してみたいと思います。
登場人物は、テレビ山梨報道部県政担当キャップと山梨県知事です。
その記事の中で語られていることが真実であるか否かは、個人個人が判断するべきことであり、ここで断定するべきものではありません。そうした意識の上で、今回是非皆さんには、リンク先の記事を是非とも読んでもらいたいです。

読んでみていかがですか?

みなさん記事を読んだ感想はいかがだったでしょうか。
私は、正直なところ、ここのところの権力が様々に報道の自由を阻害する行為に民主主義の危機を感じています。
言論の自由、報道の自由は国民の知る権利を保障する重要なものです。2024年の1月、自民党の裏金キックバック事件が世間に知れ渡っていったころ、
長崎知事は急遽事務所で会見を開きました。
その説明の内容は、ありていに申し上げれば納得のいくものではありませんでしたし、記者の追及についても満足のいくものではなかった記憶があります。
推測ですが、権力者に対して忖度する行為がいたるところにはびこっていて、問題の本質に迫ろうとしてもそれを許さない何かが働くのだと感じています。
二階派から受け取った1000万円を超える現金を政治資金収支報告書に記載せず、4年以上金庫に放置していたと説明されても、なぜ不記載だったのか?現金で保管していた理由は?などなど、疑問が残ります。
使途不明のまま受け取った預り金と呼ばれていたお金は、まさに世間では「裏金」と呼ぶのではないかと思うわけです。それだけの大金の管理を「失念」していたと説明されても理解できないわけです。
その疑問に対して県民は追及することすら許されないことを今回のテレビ山梨への県知事や県の対応が物語っているように見えてしまうのです。

日弁連の声明より

最後に日弁連の声明を紹介し、今回の異例の報道規制、報道の自由を阻害する行為について改めて問題提起しておきたいと思います。

先日もお話ししましたが、NHKの番組にて給特法の改定をめぐり「定額はたらかせ放題」である現実は変わらないとの指摘をしたことに対して、文部科学省が抗議文を出した一件がありました。
NHKの取材、番組構成は多角的に丁寧な取材の下で報道したものでしたが、文部科学省は国民が誤解を招くという趣旨で圧力をかけてきたわけです。国民の理解も現場の教職員の感じているものも定額はたらかせ放題に他ならないわけですから何ら問題はないわけです。
NHKにしてもテレビ山梨にしても毅然とした態度で報道機関としても使命を全うする理由は、その重要な役割にあります。
ジャーナリズムとは新聞、雑誌、ラジオ、テレビなど時事的な関心を主体とするマスコミュニケーションの媒体機関の総称を意味するだけではなく、その精神を表す言葉でもあるということです。
権力を監視する上で国民の目であり口であり、耳であるジャーナリズムが長いものに巻かれてしまうようなことがあれば、私たちは何をもとにして政治のあるべき姿を創造していくことができるのでしょうか。

権力者は己の保身のために行動するという恐れに対して、今後も報道の自由がその抑制を正常に発揮することのできる社会であり続けられるのか、日増しに心配になっていくことが恐ろしくて仕方ありません。

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