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10 運ぶ(BRING)ことでつながる

ここのところ各地で大きな地震が発生し、震源地に近い地域では大きな被害が出ています。12年前の2011年3月11日、三陸沖の宮城県牡鹿半島の東南東130km付近で、深さ約24kmを震源とする地震が発生しました。東日本大震災です。

当時、地震発生から間もなくしてその被害の大きさは、津波の映像とともに多くの方が目にしたかと思います。地震の被害にあった方々への支援活動と身近なところで調達した支援物資を届けようと 私も自家用車いっぱいに荷物を積んで一路、福島を目指した時のことをよく覚えています。

マグニチュード9.0のすさまじい威力は、道々の様々な箇所にその被害の大きさを刻み込んでいました。十数時間がたっても目的地までの半分にも満たない距離しか進めず、自宅で準備した握り飯を渋滞の車列の中で少し食べては、先を急ぎました。

車窓からは、ほかにも同じように物資を運ぶトラックやボランティアの方々の姿を目にすることができました。現地に着くと、大きな避難所にはたくさんの支援物資が積まれていました。しかし、小さな避難所や被害にあった方々にそこからさらに物資を運び届けることがとても難しい状況でした。支援団体に協力して、そうした物資を台車や普通車を使って朝から晩まで運ぶお手伝いをしました。届けた先では、食事や飲料水以外に必要な生活必需品や生理用品、学習に使う文房具などが届いたことにとても感謝していただきました。中でも携帯電話やスマートフォンの充電コードやイヤフォンを手渡した時に泣いて喜んでくれた中学生の笑顔が今でも忘れられません。

ということで、前置きが長くなりましたが今日は「運ぶ」というテーマでもう少しお話していこうと思います。今日は、ダイバースタディーのYouTubeチャンネルで新しく「シャカスコ」という企画をスタートさせました。第1回目は「運ぶ」というテーマで山梨県の富士川町にあります塩の華に「富士川舟運」について見学に行きました。

徳川家康の命をうけ、京都の豪商であった角倉了似(すみのくら りょうい)という人物が1607年ごろから富士川の開さく事業にあたりました。今の長野県の伊那地方や佐久地方への物流、静岡と山梨を結ぶ物流の要となったのがこの富士川舟運でした。日本三大急流と呼ばれるこの川には数々の難所があり、水運に携わる人々は多くの苦労を重ねてきました。米を載せて川を下り、静岡方面へ向かう際は半日で到着しても、逆に塩を積んで山梨へと上る際は4・5日かかる長旅となるのです。鰍沢には多くの旅籠(はたご)が立ち並び山梨随一の賑わいをみせる宿場町となっていました。もちろん、移動手段としても重要な役割を担っていたわけで、多くの旅人が利用した交通手段でした。旅がステータスだった江戸時代、かの有名な葛飾北斎の富岳三十六景にも鰍沢の風景は登場します。

こうした川、水運は人類の発展に大きく影響するものであることは皆さんもご存じのことと思います。エジプトのナイル川しかり、中国の長江もしかりです。山梨とその近隣の地域の経済、文化、人の交流を支えた富士川舟運ですが、鉄道網の広がりや車両運搬の進化により徐々にその姿を変えていきました。時代とともに変化していく生活様式ですが、物流や移動手段は今や宇宙にまでそのフィールドを広げ、今後ますます変化していきます。運び手の進化は身近なところでも見ることができます。例えば些細なことですが、配送業者のトラックが環境に配慮したEV車両になってきていたり、配送状況をリアルタイムに伝えるシステムが導入されてきていたりと様々です。一方、受け手の私たちはどうでしょうか。当たり前のように手元に荷物が届くということの素晴らしさに気づき、感謝をもってこうした努力に対して大切に考えているでしょうか。

近年、オンラインショッピングの普及で配送の需要は年々高まっていて、運送業に携わる方たちの苦労も増しています。その中の一つに宅配サービスにおける人手不足や時間のロスが問題になっています。時間指定をしていても不在で何度も配達するといった再配達がその原因の一つだと言われています。置配と呼ばれる工夫も行われていますが、収納ボックスがいっぱいで荷物が入れられないときは配送業者の方は持ち帰ることになります。何度も荷物を運んでは、不在通知を入れるといった作業がなくなるだけでも、こうした問題の解決につながるのではないでしょうか。

運び届けるという重要な仕事を大切に支えていくのは、利用する私たち一人一人の心もちと行動にかかっているのだと思います。塩の華の博物館を出て、高台から街ゆくトラックとその向こう側に見える富士川を眺めていたら、より一層、物流を支える人たちへの感謝の気もちがわいてきました。

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