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78 三者面談(interview)


はじめに

この時期、スクールを訪れる子どもたちと会話していると、面談があることを毎日のように耳にします。
私自身も学生の頃に先生と親と一緒に三者面談を何度か経験しましたし、担任をしていたころも学年主任をしていたころも保護者の方と幾度となく面談をしてきました。
そんな経験から、日本における面談の在り方の問題点や面談の機会をどのように活かしていくかを今日の教育コラムでは書かせて頂きたいと思います。

短すぎる面談時間

三者面談や保護者面談など学校と関わる中で様々な面談の機会があります。特に教科担任が授業が行う、中学や高校の担任の先生は、一人で30人近い子どもたちを抱えていますので、一人一人の成績の説明をするためだけでも様々な教科の先生から話を聞いたり、事前に成績を確認したりとそれは大変な業務となります。ましてや、進路を選択する学年の担当ともなれば、大変話しにくいことも打ち明けるわけですから、精神的にも負担が大きくなります。
逆に保護者からしてみれば、困っている教科の先生に授業の取り組みや成績を向上させるためのアドバイスをしてもらいたいと願うのは当然の心理ですが、担任の先生ではそこまで受け答えができるわけではないことも承知しているので話を聞くことすらためらってしまいます。
特に、子どもの意思を伝えることが重要な三者面談では、大変短い時間の中で、子どもの意思を尊重しつつ、必要な話を進めていくのですから相当事前の準備も必要になるわけです。
ということは、三者面談では担任の先生の話すべきこと、子ども自身が主張すること、その両方の時間を差し引いたわずかな時間が、親の時間となるわけです。年に2回か3回あるかないかのこの貴重な時間がいかにごくわずかであるかがわかるかと思います。

海外の実践から

日本の面談は、教師が主導します。しかし、アメリカやカナダ、ニュージーランドなどいくつもの国の学校では、三者面談の司会は子どもがします。子ども主導で進んでいくのです。さすが、子どもの自主性を育てようという意識の高い国々だと感心します。
もちろん子どもが勝手に進めるだけではなく、進め方の学習をしてから子どもたちは臨んでいます。決まった項目について面談で話を進めていくというプログラムのようなものが用意されています。
例えば、「今どんな学習をしているのか」「自分の得意科目や不得意科目について」「これからの後の目標」などが項目としてあります。小学生の場合であっても同様で、作品や具体的な成果物を見せたりもしながら、自分の学びを自ら話を進めていくのです。

誰のための面談であるのか

答えは、明確です。子どものための面談なわけですから、子ども自身が自分の学びや課題、今後の目標を語る時間を中心に据え、そこに対して大人が教師という立場や視点からアドバイスや評価を示したり、保護者が家庭での様子や子どもの口にできない悩みや状態を伝えたりすることがこの面談の趣旨なのです。
主体性や自主性といったものは、子どもたち自身がいかに主体的になれるか、自主的に語り、取り組むかで決まってくるわけですから、海外の三者面談はまさにそのこと自体が大切な学びのプロセスの一部として計算されているのです。

ゴールをどこに置いているのか

先生にもしも尋ねるとしたら、我が子への指導や教授内容、評価の視点として、指導者としてどのような「ゴールを設定」しているのかを聞くことは大変重要です。先生が、我が子にどのような目標を据えているのかが確認できれば家庭での教育や習い事、課外活動にどのようなものを設定していけばよいのかが見えてきます。
一人一人をどれくらい意識してみているのかという視点で先生の取り組みを理解することもできるでしょう。限られた時間でもし質問することができたら、我が子のゴールの設定についてはぜひ聞いてみてください。

各分野の専門とは

日本の先生と海外の先生という大変に大雑把な視点で見た時に、受け持っている面談の領域に実は違いが大きく出てきます。
海外では、心療内科的な分野の面談、学習に関する面談、進路に関する面談、学校での素行についての面談、など内容に応じて面談を担当する人や専門性が違ってきます。
そもそも担任の先生が全てを抱え込み、受け持つという発想が通用するのは日本くらいのものでしょう。もう少し単純な説明をするとすれば、授業を受け持つ人は授業をするのであって、面談をするのはまた別の役割の人の仕事なのです。
授業をする者はもちろん評価をします。ですが必ずしも評価をした者が進路の面談をするわけではありません。また、授業を進めている中で問題行動が目立った場合、授業をしている先生がその問題の行動について指導をしたり、生じた理由を聞き取ったりするとは限りません。
こうした場面、場面の話一つとっても日本の先生は、すべてをこなしつつ30人近い子どもたちを保護者の皆さんとともに育てていっているわけです。このような多忙感が募る仕組みを保ちつつ教育を進めていくことは、今後も可能なのでしょうか。それは、非現実的なのです。

教師がやることを手放すことは悪いことではない

ここまでの話の中で、三者面談は子どもが主導するものであるという海外の実践や日本の教師のやるべきことは必ずしも、そうとばかり言えないという話をしてきました。これまで、部活動の指導も先生の領分だったわけですが外部委託や地域人材の活用により、部活動の指導が教師の手からほかの人材へ移行しつつあります。
手掛ける仕事を教師に一極集中させることは、多忙感にもつながるわけですが、それと同時に実は教師に権威を与えてもいるのです。権威主義とは大変恐ろしいもので、手放せばよいものですら手放せなくなることがあります。そこで重要なのが仕組みとなるわけです。
働き方改革が昨今様々な職場で影響を及ぼし、良いか悪いかは別として有休をとりやすくなったり、産休や育休を取得しやすくなったり、長時間労働の是正が図られたりしています。これは、仕組みによって変化をもたらしている一例なわけですが、教師の位置づけや労働内容などについても仕組みを整備することで改善を図りやすくなるのではないでしょうか。
児童生徒のさらなる充実した学びを願う以上、私たちは先生たちの仕事のありように心を配る必要があるのだと思います。

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