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337 責任のとりかた

はじめに

静岡県の川勝知事の電撃辞任表明が昨日ご本人の口からされましたが、十分な説明とは言えないような記者会見の席での一幕でした。
今回だけではなく、川勝知事は問題発言をここ数年繰り返してきています。女性蔑視、県議会議員への侮辱、リニア工事の妨害、地域間差別そして、今回の職業差別発言などです。
令和6年度の静岡県新規採用職員向けの川勝知事の訓示の内容は、静岡県庁のホームページから全文を閲覧することができます。
どこからどのように見ても聞いても、県庁職員は高い知性を必要とする仕事に就いていて、知事が例に挙げたような仕事は知性が低いといった発言にしか聞こえてきません。下に問題の動画が閲覧できるようにしてありますので確認してみてください。

辞任の意思を示したのに

職業差別をしたにもかかわらず、聞く側の受け止め方の問題であるといった趣旨の説明をしている知事ですが、であるならば辞任という責任のとりかたを選択している意味が分かりません。
責任とは形ばかりの物であってはならないわけです。政治家は、県民、国民の信託によりその職責を果たすわけです。ですから大きな特権を与えられています。その進退を決するに至る理由が真摯に問題に向き合っているのか、問題が無いのに外野が文句を言うので嫌になったのかでは大きな違いがあるのです。

近畿大学の動き

今、近畿大学がある行動をとっています。同大学の教職員の有志が、自民党の裏金キックバック事件の重要人物とされている、安倍派5人衆のひとり、世耕弘成氏に対して、学校法人近畿大学理事長の辞任を求めているのです。
世耕氏は、派閥の政治資金パーティーで1542万円のキックバックを受け取っていたため、政倫審でも発言することとなりましたが、肝心な場面については記憶がなくなり、発言から真実は全く見えてきませんでした。
そんな世耕氏ですが、教育界では近畿大学の理事長という顔の方が有名かもしれません。祖父は、近畿大学を創立した方で偉大な教育者の一人です。一族世襲で理事長になった世耕氏は代議士でありながら近畿大学の現在の理事長も務めているというわけです。
学校法人の理事長と言えば、その学園においては神様も同様の存在です。私も学校法人に勤めていたことがありますのでその世界観は十分に理解できます。そんな学校法人近畿大学において、裏金事件の渦中にいる人物に対して、大学のトップに君臨することは問題であるとして、世耕氏の辞任を求める署名活動を近畿大の教職員有志が始めたというわけですから大変です。
この活動は、オンライン署名サイト「Change.org」で3月28日にスタートされています。開始して一週間程度で約3万筆の署名が集まったそうです。
活動を展開している方々は、法を厳守できない人物が学校法人の仮にも大学の理事長でいることに対して、教職員として危機感をもち自分たちの責任としてその責任を追及しようとしているのだと思います。

責任への意識

この二人に共通していることは、他者からの責任追及に任せてしまうという点です。簡単に言えば、自ら説明責任を果たそうとしないということになります。
多くの支持を集め、政治家として首長として、その手に権力を手にしたものは、その権力を行使する上で有権者や国民、市民に対して多くの場合、自らの行動や思想に対して説明責任を伴います。
ましてや川勝知事の場合、職業差別の意図はないと言いつつも辞任の意思を明確にしたわけです。だとすれば責任はないと言いつつも職責を放棄するというわけですから、初めからやる気がなかったか続ける気が失われたことを意味します。やめる理由を述べずに辞めることほど無責任な所業はないわけです。そして、辞めるべきなのに辞めろと言われても辞めない人もまたなぜ辞めないのかを述べるという責任があるわけです。このように責任への意識が欠如した状態をガバナンスの失われた状態と言うのでしょう。


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