37 撮り鉄(Trainspotter)
はじめに
今回のコラムの趣旨を冒頭述べておきたいと思います。まず大前提として、6月7日に大きく報じられたニュースを通して改めて感じた私たちの発言や思考の課題について感じたことをまとめているということです。このコラムでは、撮り鉄の人々全体を悪質な集団としてとらえるような発言の仕方や思考パターンに対して問題提起をしたいと考えています。
問題の事象
今回のニュースは、JR宇都宮線で6月3日に路線内に侵入し、近づいてくる寝台特急「カシオペア」の姿を撮影しようとし、危険性を生じさせ緊急停止させたことに端を発しています。撮影の様子は、その場に居合わせた方からの動画の提供により明らかに危険な行為であったことが明らかです。
それだけではなく、緊急停止をした際に事の重大性を十分に理解していたことをこの3人は自らの行動で示しています。それは、その場から逃走するという行為です。ニュースでは、この2つの行動が大変明らかに事実として示されています。
すでに捜査は始まっていて、拡散されたSNSでは3名の素顔がさらされています。このことからも、何らかの処罰または、社会的な制裁がこの3人の遠くない未来に待ち受けていることは容易に想像できます。列車往来危険や鉄道営業法違反の疑いがかかる行動であることからも、警察による実関係の捜査が始まる問題なのです。
想像できない3人が生じさせたこと
この3人の行動は、ツアーを楽しんでいたカシオペアの乗客や乗務員の皆さんにおおくの不安を与えました。さらには、この3名の家族にも社会的な様々な影響が予想されます。そして、「撮り鉄」という枕詞がつけられ報道されたことで、数々の素晴らしい鉄道写真を世に送り出してきた撮り鉄の皆さんが批判の的になっています。
好きな分野に対して夢中になり、鉄道の魅力や地域の風景との一体感などを一枚の写真におさめようと時間や手間をかけて、絶好のお立ち台を探し撮影している撮り鉄の方々の歩みは大変に歴史があり、すばらしい文化になっています。
一方でその文化を破壊しているのも、同じように立派なカメラを手にして自己満足を前面に押し出してモラルを守らずに写真を撮っている「撮り鉄と呼ばれている人々」なのです。私としては、鉄道ファンの一人として、こうした人々は「約束が守れない人」と呼んでほしいですが、行動や様子が同じように見えるため「偽物の撮り鉄」であっても「本物の撮り鉄」とごちゃ混ぜになって扱われてしまいます。
そのため、撮り鉄の仲間たちを苦しめ、家族を苦しめ、地域を苦しめ、他者を苦しめてしまうことをこの3人が想像できなかった、そのことが重要な問題であると考えます。
「全体論主義的な考え方」と「還元主義的な考え方」のバランス
全体論主義とは、「部分と部分のつながりが互いを補完し合い全体となる」という、ホリスティックな考え方を意味します。逆に、還元主義とは、「結果は原因より生じる」という複雑で抽象的な事象や概念を、基本的な要素から説明しようとするもので、リダクショニズムな考え方を意味します。
今回の撮り鉄の3人が危険行為をし、逃走した事象をこの二つの立場から見てみます。まずは、ホリスティックな考え方で見ると、撮り鉄であることはつながりのある部分の一つに間違いないわけですが、人間であることもそうですし、カメラを持っていることも部分の一つです。逆に危険な場所に入っていたのは、この時にいたほかの撮り鉄の皆さんはマナーを守っていたので、個別な事象となります。
次に、リダクショニズムな考え方で見ていくと、結果は緊急停車になります。そして、それを引き起こした原因は、路線内に入り写真を撮影したという行為となります。さらに、この因果関係を見ていくと、ルールが守れない心と行動と思考に問題があると一つの結論が出ます。
この両方の考え方から見ていくと、全体論としても「撮り鉄」という言葉を用いる必要はなく、還元主義的にみても「撮り鉄」をこの問題の原因に据える必要がないことが言えるように思います。
十把一絡(じっぱひとからげ)
よい悪いの区別をしないで、何もかもいっしょくたに扱うことを十把一絡と呼びますが、これにより悔しい思いをしたことはありませんか。「お前たちは全然だめだ。」「俺たちの方が強い。」「あの国は悪い。」などなどこうした見方や考え方は大変危険です。
ウクライナへのロシアによる侵攻が激しくなっていく中で、ロシア人であることとロシア連邦の政府が行っていることをまさに十把一絡にして非難している人がいました。また、北朝鮮のロケットが打ちあがるたびに北朝鮮への不快感を理由に国のトップだけではなく、国民全体へのヘイトスピーチになるなど、ホリスティックな思考への偏りがこうした行動につながっています。
撮り鉄の人たちへ
撮り鉄の皆さんという言葉をあえて使います。今回の問題は、この3名のモラルの欠如が引き起こした事件で、撮り鉄の皆さんには何の責任も無いはずですが、あえて責任感ある皆さんに頑張ってほしいことをまとめとして書きたいと思います。それは、注意喚起とマナーを守るための主体的なガイドラインの作成です。
これまでもマナーを守らない「撮り鉄と自称している人々」の行動が問題になったことは何度もあります。日本の鉄道のように時間に厳しく安全に留意し、サービスの向上に努めているものはないと考えている私からすると、そうした社会の手本のような鉄道の姿を撮影する人間であれば、この素晴らしい姿も含めて鉄道の魅力をレンズにおさめてほしいと願っています。それと同時に、レンズにおさめようとする人たちにもそうした鉄道の素晴らしさを手本にした行動を望みたいと思います。
鉄道を写真や動画に収めることを愛する人々のなかで、ガイドラインやルールが暗黙の中で形成され守られていた時代が終わり、個々の欲望が優先される時代にもしもこれ以上進んでいったとすると、その先には、鉄道関係者からは、全体論的には「撮り鉄」は迷惑行為をする人たちで危険な人たちというものになりかねないのではないかと思います。そして、その活動を制限されてしまうように思います。
還元主義的な思考を大切にして、「撮り鉄」という言葉で関係者の人たちをすべてくくってレッテルを貼り付けるようなことは、暴論であるということを十分に理解した発言を社会に求めながら、全体論として「撮り鉄」というつながりの中で改善の道を模索することを考えていくことの大切さがあることを考えてほしいと思います。こうした思考の在り方は、外側から批判する人々にも同じように求められるものではないでしょうか。
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