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「つり銭間違い」でモヤモヤ…どう乗り越えたか

先日「忘れるための3つの作業」というコラムを書いた。
実はこれを書いたのには、あるきっかけがあった。

それは、高級弁当屋でつり銭を間違われたこと。
1080円の弁当に千円札と500円玉で支払ったら、おつりが20円だった。
私は意識的に500円玉を置いた確かな記憶があったので「えっと~千円札と500円玉をお渡ししましたよね?」と言ってみた。
一瞬、店員さんは目が泳ぎつつも「いや…違います」と。
(なぜか「100円玉でしたよ」とも言わない)

旧式のレジのため、預り金額を入力しないので証拠もない。

「そうですか…」と、私は引き下がるしかなかった。

ず~っと気になっていて、やっと買った高級弁当。
なのに、ちっともウキウキしなかった。

それどころか、グレーの煙のようなモヤモヤが胸に居座ってぐるぐる回っていた。
念のため、小銭入れのなかを確認したけれど、もちろん500円玉は無かった。(私は100円玉を持ち歩かないようにしているコインランドリー派だ)

これでは高級弁当屋の一番安い1000円の弁当を1480円で買ったことになる。
「だったら1500円の買えたじゃん!」
「最新のレジを導入しやがれ!!」
「従業員をきちっと教育しろよっ!」

つぎつぎと湧き上がるダークな思い。
このまま放っておくと「つり銭まちがいの件」で、自分の思考エネルギーが消費されてしまう…。

イヤだ、それは楽しくなさすぎる!

そして行ったのが「忘れるための3つの作業」
作業その1「出来事を時系列に並べてみる」
作業その2「自分の行動の反省点と改善点の確認」
作業その3「記憶しておくべき客観的事実の抽出」

作業1では、弁当屋は完全なワンオペで、店員は彼女ひとりだったこと。私がお金を置いたとき、彼女は弁当を用意するために背中を向けていたこと。私の弁当を用意しているあいだに次の客3人が入ってきて彼女に話しかけた。という事実が明らかになった。

作業2では、私がいつもの「1500円置きました」というひとことを言わなかったこと、作業している彼女を見守らずにケータイを眺めていたことを大いに反省した。
私はニューヨークで長年暮らしていたせいで、現金を払うときは必ず「I put 20 dollars」などと、支払い金額を発表する癖がある。 
(いや、ホントに間違い多いのよ。なので、お互い楽しく売り買いするために身に付いた習慣)

「基本に戻ろう!」と私は心の中で宣言した。

作業3では、「ワンオペ営業の店員はマルチタスクのために神経が分散される」ということが記憶された。

そして、スッキリと整った気分で食べた高級弁当、それは超美味であった!

と、締めくくりたかったけど、実はあまり好みの味付けではなかった。
たぶん、もう買いに行くことはないと思う。

そう認識した瞬間、なぜか残念に思ってしまった自分の気持ちは、午後の仕事に飲み込まれて分析されることなく、いつのまにか霧散してしまった。

↓↓こちらがこの経験から生まれたコラムです↓↓


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