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分かり合うことは奇跡だということ

どのように伝えればわかってもらえるのだろうか。
伝えても理解してもらえないということは自分の伝え方が悪いのではないか。
どうして伝えたのに理解してもらえないのか。

つい最近まで、私は「伝えることを諦めなければ、もしくは伝え方の工夫次第で、人は“必ず100%”理解し合える」と本気で信じていました。
ですから、自分が伝えた結果、相手に理解してもらえなかったとき、冒頭の考えで頭の中がいっぱいになってしまうのです。
伝え方の書籍を読み、聞き方の書籍を読み、ファシリテーションの書籍を読み…
“真面目な”私は、理解し合うための答えをずっと探し続けていたのです。

臨床心理士の方との会話での言葉です。

あなたは、「人は伝えれば“必ず100%”理解し合える」と思っていないですか。
それは幻想に近いものだと思います。
どんなに伝え方を工夫して尽くしたとしても、あなたがすっきりすることはほぼないのですよ。
もし、ほんの少しでも自分の考えと相手の考えが重なる部分があったとしたなら、それは本当に奇跡のようなものなのですよ。
なぜなら、人はもともと持っている素質も違えば、育った環境、経験、何もかも自分とは違うものなのですから。
互いに違うことを前提に、思いを伝える選択もあれば、伝えない選択もあるのです。
それは、結果的にあなたが最も気持ちが穏やかでいられる選択肢、方法を選べばいいのです。

この言葉に私はとても衝撃を受けました。
冒頭で述べたように、私の頭の中は、「人は100%理解し合える」ことが常識だったからです。
伝えることを捨てるわけではありません。人と分かり合えないことに絶望するわけではありません。結果が伴わなくても落ち込みすぎないこと、相手や自分を責めないことが重要なのです。

同時に、私の身近にいる、家族、恋人、友人たちは、理解し合えている場面が多いです。ということは、本当にかけがえのない大切な奇跡のような存在なのではないかと改めて気づかされました。