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noteの更新意欲が低い時はなぜかメンタルが落ち着いている

私にとってnoteの更新意欲が高い時は、メンタルが黄信号のときです。最近、更新がスローペースなのは以前よりストレスを上手く受け流すことができるようになったからなのだと思います。

リワークスクールという、同じように苦しみを味わった仲間の集団であっても、ストレスは存在します。

自分で言うのも可笑しいのですが、私は知的好奇心が高い方で、リワークスクールで学びたい意欲も高い方だと思っています。私にとっては、リワークスクールはあくまで社会復帰のためのクッションのようなもの。リワークスクールに馴染むことは、半分必要で、半分は不要だと感じていて、最終的にはリワークスクールの外の世界で生きていくことを望んでいます。

リワークスクールは私のような方ばかりではありません。それぞれが違う過程を経て苦しみを味わい、違う辛さを経験し、各々の意欲とペースで過ごしているのです。語弊があるかもしれませんが、中には就職したくないというのが本心の方もいれば、講義を受けたくない、グループワークをしたくない、という方もいらっしゃるのです。

意欲の低さが悪いわけではありません。その方にとっては必要な過程を経ている途中なのです。就職したくない、講義やグループワークに参加したくない、その本心もまた、葛藤の中にいる故なのです。

しかし、ペースやモチベーションの違いをストレスに感じてしまうことがあります。それは、最近肌感覚でもわかっていて、自身が成長する中で、段々とリワークスクールの集団に馴染まなくっていると感じています。自分と同じ苦しみを味わった仲間、自分と同じ目標を持つ仲間。その概念そのものが、ストレスの原因になるのです。なぜなら、「自分と同じ」ように見えて、上記の通り、実は自分とは違うからです。

「自分と同じ」ではない。これを理解できると、ストレスが軽減されます。誰かが突拍子もない言動をすることも、寂しさや構ってほしいといった気持ちが隠れているのかも。想定外の言動をすることも、一見常識外れの言動をすることも、その人なりの心の葛藤があるからなのかも。

そうやって私なりに、相手の立場に立てて考えられれば、自然とイライラが軽減されていきます。そうすると、noteに投稿することに没頭しすぎなくなっていきます。結果、過剰に更新することが減り、黄色信号の頻度が徐々に減っていったのだな、と内省しています。