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顧客価値の方向性を定める

はじめに:事業の「方向性」とは

事業を成功させるための第一歩は、「自社は、どのような顧客に向き合い、どのような種類の価値を提供していくのか」といった “方向性” を定めることです。

方向性を明確にすることで組織のケイパビリティを最大限に発揮することができ目標達成に向けて正しく踏み出すことができるのです。


そのために役立つツールが、今回紹介する「Value Compass (価値のコンパス)」です。これは、顧客価値を分類して自社が提供すべき価値を明確化するためのとてもパワフルなフレームワークです。

本記事では、そのValue Compassについて、様々な事例や応用方法を含めて説明していきます。


Value Compassの構造:6つの価値とトレードオフ

Value Compassのフレームワークでは、以下の図に示すように、顧客価値の広がりを6つの方向に分類します。

ユーザに対する価値の打ち出し方は、トレードオフの関係にある3組、計6方向

ここで、6つの方向とは、以下の6つの顧客価値のことです。この6つは優劣をつけられるものではなく、それぞれが種類の異なる要素を示しています。

  • 贅沢気分で特別感

  • こだわりを実現する満足感

  • ちょっと冒険ワクワク感

  • 賢くお得

  • 手軽で便利、ストレスフリー

  • 高品質で安心のブランド

そして、図の中で向き合った方向として示されている2つの要素は、以下のように対立する価値として位置付けられています。

  • 「贅沢気分で特別感」⇔ 「賢くお得」

  • 「手軽で便利、ストレスフリー」⇔「こだわりを実現する満足感」

  • 「高品質で安心のブランド」⇔「ちょっと冒険ワクワク感」


加えて、それぞれの方向の価値には、例えば「贅沢気分で特別感」であれば「ただし、割高」、「ちょっと冒険ワクワク感」であれば「ただし、ハズレも多い」といったように、価値の裏返しとしてのある種の “弱点” が伴っていることも重要なポイントです。

以上の通り、Value Compassとは、顧客価値を「トレードオフの関係にある3組・6種類の要素」として構造化したフレームワークです。


一般的に、ユーザから高い支持を得ている商品やサービスは、Value Compass上で明確にどれか1つの方向を向いています。また逆に、Value Compass上の向きが曖昧な商品やサービスは、どれだけ商品機能やサービス品質が合格点に達していても、ユーザから十分な支持を得られないのです。

例えば、「贅沢気分で特別感」を提供すべき高級ブランドが「賢くお得」を打ち出すとロイヤリティの高い顧客が不満を感じるでしょうし、「手軽で便利」だったはずのコンビニエンスストアが「こだわりを実現する満足感」を追求した品揃えを強化するとユーザが混乱してしまうことになります。


Value Compassは、自社がどのような種類の価値を提供するかを明確にして、詳細な戦略を構築していく際の基本方針を作るツールです。また、自社の方向性を考えるだけでなく、競合他社や顧客の動向にValue Compassを適用して分析することで、自社にとって最重要の顧客や真の競合は誰なのかを把握し、注目すべき機会や脅威はどこにあるのかを見極めるといったことも出来るなど、とてもパワフルで応用性のあるツールなのです。


Value Compassの適用例①:自動車の例

例えば自動車業界においては、以下の図のようにValue Compassを当てはめることができます。

例えば、購入する車はユーザの価値観を反映しており、6つの方向性がある

メルセデス・ベンツのユーザには、抜群の安全性能という「高品質で安心のブランド」を重視している人が多いでしょうし、テスラの最新モデルを楽しみにしてるユーザには、その未来感が溢れる世界観に対して「ちょっと冒険、ワクワク感」を感じている人が多いと思います。

日本でわざわざ左ハンドルのスポーツカーに乗るような人には、たとえそれが不便でも「こだわりを実現する満足感」を感じている人が多いでしょう。おそらく「ああ、この車が右ハンドルだったらもっと便利なのになあ」と思いながら左ハンドルのスポーツカーに乗っている人はいないと思います。

一方で、車に対してそれほど強いこだわりがないユーザには、現時点ではハイブリッド車が最も「手軽で便利、ストレスフリー」だと聞いてそれを選んでいる人が多く、逆に強いこだわりを持ってハイブリッド車を選んでいたり、コスパだけを意識してハイブリッド車にしていたりする人は意外と少ないと思います。

また、「賢くお得」という価値観でお買い得な車を購入しているユーザもいるかもしれませんが、その方向で言うと、例えば最近利用が広がっているカーシェアリングサービスを必要な時に活用し、車を所有していない人などにも「賢くお得」を重視する人が多いと思います。逆に目玉の飛び出るような価格の超高級車に乗っている人や、車に飽き足らず、維持費が莫大にかかる自家用船舶を購入して所有しているような富裕層は、間違いなく「贅沢気分で特別感」が強い人たちだと思います。

このように、自動車という産業には、6つの価値の方向にそれぞれ特徴的な製品が存在しており、またそれに対応する顧客層が存在しています。従って、例えば「高品質で安心のブランド」のメルセデス・ベンツは、「ちょっと冒険ワクワク感」を提供するテスラとは異なる顧客ニーズや市場動向に対応しなければなりませんし、「こだわりを実現する満足感」を提供するスポーツカーを売っていくためには、「手軽で便利」を提供するハイブリッド車とは異なる競争戦略や差別化要素を作っていかないといけません。


Value Compassの適用例②:旅行サービス

次は、旅行サービス業界に対してValue Compassの枠組みを当てはめてみます。


様々な形態の旅行も、ユーザにとっての6つの価値の方向性を反映している

旅行の予約をするときに、割高なことを認識しつつも高級ホテルに泊まるという「贅沢気分で特別感」を求める人もいれば、LCCの格安航空券や予約サイトの特別セールを活用して「賢くお得」に済ませようとする人もいます。ここで、普通の会社員だけど「たまには背伸びして贅沢をしたい」と考える人や、そこそこ高収入なのに「色々な情報を集めてうまく倹約しよう」と考える人も割といますので、この違いは単純な所得水準というよりは個人の価値観を反映しているといえるでしょう。

また、バックパッカーはお金のない若者の旅行スタイルというイメージが強いのですが、本当にお金が無いのであれば、普通は無理して旅行に行ったりしませんし、たとえ旅行に行くにせよ、安全や品質、あるいは時間的な手間を総合すると、普通はバックパッカーよりも良い方法があります。そう考えると、単純な費用面ではなく、敢えてバックパッカーという体験を求めている人が大半で、ここには「ちょっと冒険、ワクワク感」の期待があることがわかります。

同様に、旅行会社が提供するパッケージツアーは、旅行に不慣れな初心者が安心して参加するためのものだと思われがちですが、実際に参加してみると、意外と旅慣れた人が1人で参加しているのを見かけます。そういった人に聞いてみると、限られた休暇の日数で観たかった所を全て回るには、ここに参加するのが最も効率が良い(=「手軽で便利」な)チョイスだったため、パッケージ旅行ということで少し物足りないけど今回は割り切って参加してみた、という答えが返ってくることがあります。

それ以外でも、自分で旅程や予算を決めてオーダーメイドの旅行を組んでいる(=「こだわりを実現」する)人は、自分が好きでその手間をかけていることを自覚しているでしょうし、添乗員付きのビジネスクラスで行くツアーに参加する人は、それが「高品質で安心」なことを求める自分に合ったプランだと感じて選んでいるのであって、世の中にもっと安価で欲張りに見て回れる旅行プランがあることを全く知らないわけではないと思います。


その他の分野へのValue Compassの適用

Value Compassは、自動車や旅行サービス以外にも多くの分野に適用することができます。例えば、以下のような対象に適用するとどのような整理ができるのかについて、考えてみると面白いかもしれません。

  • 住宅産業における様々なサービス:最新設備満載の都心の分譲マンション、中古住宅のこだわりリノベーション、年齢層限定のシェアハウス など

  • 小売業の様々な業態:老舗ブランドの百貨店、国内に数店舗しかない専門店、必要な時にすぐに寄れるコンビニ、安心の商品だけを揃えた生協スーパー、圧縮陳列のディスカウントストア など

  • 幅広い金融サービス:超富裕層だけに招待が届くブラックカード、一般消費者から圧倒的に信頼されているメガバンク、先進的なビジネスパーソンから高評価な新しいネット金融サービス など


以上のように、多くの分野において、Value Compassを適用することで自社の価値の方向性や狙っている顧客のタイプ、競合企業との関係を理解することができれば、自社の強みや弱み、機会や脅威を把握することができるようになります。


B2B領域におけるValue Compassの適用

これまでに見てきたようなB2C事業だけではなく、企業を対象としたB2B事業にもValue Compassを適用することができるのでしょうか?

B2B事業の顧客は消費者ではなく企業です。そのためB2Bの世界では、顧客が自分の好みに沿って動くB2C事業と異なり、顧客が (少なくとも建前としては) 一定のルールやロジックに沿って行動していることが前提となります。従って、B2C向けのValue Compassにあった「こだわり」「ワクワク感」「ストレスフリー」といった、個人の好みや感情に近い表現が並ぶと、少し違和感が出てきてしまいます。

そこで、6つの方向性の表現について、少しだけ「読み替え」を行う必要があります。

  • 贅沢気分で特別感 → No.1の特別感

  • こだわりを実現する満足感 → 達人による独自性

  • ちょっと冒険ワクワク感 → 最先端の新規性

  • 賢くお得 → 圧倒的コスパ

  • 手軽で便利、ストレスフリー → 新世代の利便性

  • 高品質で安心のブランド → 実績の安心感

実はこの6つの読み替えは、表現をB2B事業に対して自然になるように書き換えてはいるものの、その根底にある本質は変わりません。例えば、その企業が「ワクワク」を感じているといってしまうと確かに少し変に聞こえますが、新しいサービスの意外性に期待して「モノは試し」という位置付けで使ってみようとすることは十分ありうると思います。実際にその発注を決めた責任者が個人的に「ワクワク」している場合は多く、逆に責任者がそれをリスクだと感じてしまう場合には、発注の意思決定はされなかったりするため、この「新規性」への期待は、実質的に「ワクワク」に近い価値だといっても良いかもしれません。


以下に、B2B事業へのValue Compassの適用例として、ITサービスを題材としたものを示します。

様々なITサービスは、各々異なる方向の価値を提供している

例えば、世界トップレベルのITコンサルティング会社であるAccentureは、日本国内の大企業の多くをクライアントとして抱えており、日本最大規模のIT案件をいくつも支援していると言われています。ここでクライアント側に目を向けると、Accentureに期待している価値として、技術力などの優位性に加えて、世界最大で最先端のITコンサルティング会社であるという特別な存在感、すなわち「No.1の特別感」という要素も大きいです。そのようなクライアントには、例えば、仮にAccentureと同程度以上の技術力を持ちながら、リーズナブルな価格を提示する新興企業が出てきた場合でも、価格面だけをみるとAccentureが割高だということを十分に理解した上で、それでもNo.1のAccentureに発注し続ける企業が多いでしょう。

また、大企業のほとんどがSAPやMicrosoftといったグローバルにおける老舗のトップIT企業のシステムやソフトウェアを導入しています。そういった大企業の中には、いまだにSlackやZoom、Google系アプリの使用が禁じられていて、(Microsoftの)Teamsだけしか使えないという会社も多いと思います。もちろんそれに対しては、様々なセキュリティの問題、技術的な理由、移行コストなどの面で説明がされていると思いますが、本質的には、MicrosoftやSAPが持つ「実績の安心感」を信頼していることが大きいです。そのため、仮にそれらより圧倒的に軽くて使い勝手の良いソフトウェアが世間に出回り、社員がそういった新しいソフトウェアの利用許可を求めたとしても、会社として簡単にはそれを認めないというスタンスが貫かれているのでしょう。

一方で、比較的先進的な企業や、新しい技術を積極的に取り入れようとする企業、あるいは大企業と違って柔軟に動ける新興企業やスタートアップなどの場合は、大企業のような制約はありません。そのため、「新世代の利便性」を求めてGoogleやAmazonのクラウドサービスを利用したり、「最先端の新規性」を求めて最新のAIツールの導入やノーコードでの開発を試したり、「達人による独自性」を持つ専門家集団のベンダーとの協業を志向したりすることになります。

また、大企業向けの高価なITシステムを入れられない中小企業では、業種特化型あるいは機能特化型の国産SaaSが広く導入されつつありますが、これは、導入費用が小さくリーズナブルな価格で月額課金制という「圧倒的なコスパ」が支持されているためです。

このように、B2B事業においても、Value Compassを使って自社の価値の方向性を明確にすることで、どのタイプの顧客に訴求することができるのかを理解することができますし、逆に、訴求したい顧客のタイプをValue Compassの視点で見極めた上で、どのような方向性の価値を打ち出していくべきなのかを理解することができます。またそれを通じて、自社が提供できる価値を高め、尖らせて訴求することによって、顧客の満足度やロイヤリティを高めることができるのです。


顧客価値の「方向性」を定めることの重要性

以上で見てきた通り、Value Compassは「顧客価値の方向性」を定めるためにとても有効なツールです。顧客価値の方向性が明確になれば、それに沿って詳細な戦略を定めることが出来るようになりますし、逆に、方向性が曖昧であれば戦略を正しく定めることが出来ません。

例えば、以下のような状態を想像してみてください。

  • 新しい自動車製品を作る時に、それがメルセデス・ベンツのように抜群の安全性を誇る車か、広く普及するプリウスのような標準的な車か、デジタルガジェット好きが興奮するテスラのような車か、はたまた車を愛するスポーツカー好きに向けた車なのか、それすらも開発チーム内で共通理解がなく、むしろ意見が4つに分かれているのに、スペックを細かく決めて、コスト目標に向かって車を設計し始めている

  • 旅行者向けのサービスを作り、広告とポイント付与キャンペーンを大量投入して、他社サービスに対抗して拡販しているが、それを売っているチームの中でも、そのサービスを使った時のセールスポイントを考えると、旅慣れた旅行者でも目新しい体験ができることなのか、ずっと憧れていたあの場所をついに訪れることが出来ることなのか、あるいはそういった旅行に向けた準備が簡単で気軽に申し込めることなのかなど、何が最大のセールスポイントなのかがわからないまま必死に売ろうとしている

  • ある小売店の店舗の跡地を居抜き物件として購入し、新たに出店しようとしているが、そのお店がコンビニなのか、ディスカウントストアなのか、有機野菜を売りにした高級スーパーなのか、100ショップなのか、などが全く決まっていないままで、「細かいことは後で決めるので、ひとまずいい感じに内装し、このお店で売れそうなものを余裕を持って仕入れしておいて」といった無茶な指示が出される

どう考えても、うまくいきそうにありません。


もし、自分のお店がコンビニなのかディスカウントストアなのかもわからないのであれば、まずやるべきことは、店内のレイアウトを作ったり、商品の仕入れをしたりすることではなく、「コンビニなのか、ディスカウントストアなのか」を決めることです。

またその時には、自分がどんな店をやりたいか、だけではなく、その立地や土地と建物がコンビニに向いているのかも考える必要があります。


実は、世の中のうまくいっていない事業やこれから新規事業を作ろうとしている企画段階においては、まさに「まだ何のお店かが決まっていないのに、ある人はコンビニだと思って店内を作りつつ、ある人はディスカウントストアだと思って仕入れをしているような状態」になっていることが多いのです。

そういった時には、今回紹介したValue Compassというツールを使って、事業のリーダーやコアメンバーの間で、自分たちはどちらを向いているのか、その方向にいる顧客はどのようなニーズを持つ顧客なのか、どの競合企業が同じ方向にいて、どの競合は違う方向にいるのか、といったことを見極め、チーム内で意識合わせしておくと、その後の戦略構築がうまく進むようになります。


まとめ ー 顧客価値の方向性を定めよう

以上で述べてきたように、Value Compassは、顧客価値の方向性を定めるツールです。新規事業を作るとき、既存事業が抱えている課題を解決したいときのどちらでも適用できますし、B2CだけでなくB2Bでも有効に機能します。

一度方向性を明確に定めれば、その方向性に沿って戦略を詳細に定め、具体的な行動計画に落とし込むことが出来るようになります。すなわち、Value Compassで定める顧客価値の方向性は、事業戦略構築の大前提であり、基本方針となるのです

Value Compassを使って、自分たちの顧客価値の方向性を明確にしましょう。そして、その方向性に沿って戦略を考えましょう。そうすれば、ビジネスの成功に向けて大きく一歩近づくことになります。

DITYでは、経営層や現場のキーパーソンがValue Comassを活用して自社が打ち出す「顧客価値の方向性」を見極め、それに合った組織戦略を策定するためのワークショップを提供しています。また、企業が抱える様々な課題に応じて、多岐にわたる戦略テーマに沿って、社員の皆さんと共に議論し、事業の成功へと導くサポートを行っています。詳細は、ぜひウェブサイトからお問い合わせください。