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タイパだとかコスパだとか

元々自分の内なるものを表現したり、日常で感じた些細なことを言葉にしようと思いnoteを始めた。
意外にも閲覧数は右肩上がりで、身内や友人からの評価もしてもらう事が多い。そうなると途端に読者を考えたブログを意識してしまう。
そんなものを想定するのも烏滸がましいレベルではあるが、今まで通りの少し砕けた雰囲気のブログを更新しようと自分に制限をかけていた。

今回は自分の内なるものを言葉にする、をしてみようと思う。

どうやら最近の若者は「タイパ」や「コスパ」を重視するらしい。
O型でのんびり屋の僕には縁のない単語で、みんな効率よく生きようとしていて凄いなと感じる。
しかし最近の若者は「タイパ」や「コスパ」を重視する、と聞いて心のどこかでそう言った若者を嘲笑する悪魔的な一面を持つのは僕だけではないはず。いやそう思いたい。

「タイパ」や「コスパ」を重視する事は人間の性だと思う。
限られた人生時間まして「若い」の賞味期限は短く、冷蔵庫の奥にあって少し目を離せば、次会う時にはクタクタで見るも無惨な姿になっている。そんな限られた時間に生命を持った人間は誰しも効率的な生き方を模索して、何かを成し遂げようと思うのは当然だと思う。

しかし僕は昨今のタイパブームにブレーキをかけたい。
というのも”コスパ悪い”浪人の道を歩んだ事で知る事ができた景色を知っているからである。

浪人は高校1年生から高校3年生までの内容を志望する大学に入学するための1年である。大変コスパが悪い。来るべき高校3年生の冬までに準備が整っていれば過ごさずに済んで、「人生の夏休み」と言われるキラキラの大学生活に進めるからだ。
しかし浪人という高3でも大学生でもない宙ぶらりんで、勉強してもしなくても良いモラトリアムは本当に多くの気付きを与えてくれた。
しっかりと勉強と向き合えたことで、ありきたりな表現にはなるが、学習の奥深さを知る事ができたし、深く物事を考える事ができるようになったが、僕が得られてタメになったのは、そんな付け焼き刃で大学生活に間に合わせるようにして身につけた表層的なモノではない。
もっと大きくて、それを考えると自分がそれに押しつぶされそうになるぐらい圧倒されるが、高潔で人生に不可欠な何かを得られた。
これは言葉にするのが非常に難しい。浪人しても現代文の偏差値が自分の平熱より低かった僕にはなおさらだ。

浪人時代はこの得体の知れない何かと真摯に向き合えた時間だった。
これは今後作り出せない時間だと思っている。

入学だったり、就活だったり、結婚だったり、定年だったり世の中が決めたタイムリミットに間に合わせるようにして自分を形作る。
今までの自分に、少しの”騙し”を入れて。
そこに何か輝きを感じない。惹かれないという方が正しいかも知れない。
みんなが一直線にゴールを目指して走り始めているから、脇道に逸れるのが怖いのだと思う。走っている最中に茂みの中で、光り輝く何かを見つけてもそれを追う暇なんて無い。
そういう人生を歩んでいることを教えてくれたのが浪人時代だった。
遠回りこそ近道だったのかなと今では感じている。

脇道に逸れたり、足踏みしていると大人や周りは「甘えるな」とか批判されると思うが、ゆっくり脇道に逸れて最下位でゴールするような人生を送りたいと思う。

就活が1年後に始まるというタイムリミットを目前に、焦って現実逃避を目論む21歳の戯言でした。


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