Lv.24
noteを始めた頃、わたしは、自己紹介のところに【寝ても寝ても眠いラストティーン】と書いていたと思う。
意味も何もなく、当時はただただ本当に寝ても寝ても眠たくて、19歳で、どこにいても、何をしていても、あくびばかりしていた。だから、名前のところに、おおあくび、と入力した。
noteを始めて、5年。24歳になった。
彼女とわたしは、記念日は1年単位、それもケーキを食べるくらいのお祝いしかしないが、お互いの誕生日は盛大に祝いたい気持ちが強く、1年で最大のイベントだ。
今年は、すこし早めにサロンでのマッサージと、幼少期にすごくはまっていた携帯ゲームをプレゼントしてもらい、当日はヘッドスパとアイスクリームケーキ、明日は焼肉、という怒涛のお祝いムーブメントを起こしてくれている。彼女はいつも、旅のしおりや誕生日の予定表を作ってくれるのだけど、それもとても可愛かった。
美容室のシャンプーとヘッドマッサージが好きだとか、31のアイスケーキが好きだとか、何気なく言った言葉を拾い上げて、ヘッドスパに連れていってくれるところやアイスクリームケーキを予約してくれているところに、つくづくわたしをよく見て話をよく聴いてくれている愛情を感じて、とても嬉しくなった。
携帯ゲームは毎日進化するかな~しないかな~という楽しみをくれたし、アイスクリームケーキはとても美味しく、ヘッドスパはとてもとても良い気持ちだった。
調子に乗って、駅のエスカレーターで、彼女に、わたし、こんなに幸せで大丈夫かな、階段から落ちるとかしないと採算が合わないんじゃない?というと、彼女は笑って腕を掴まえてくれていた。
23歳を振り返ると、色んなことがあった。
彼女が全て計画してくれて、旅のしおりまで作ってくれた5泊6日の誕生日旅行。はじめての土地、はじめての食べ物、きらきらした始まりの先には、たくさんの発見があったように思う。
髪をばっさり切って中性的な髪型にしたのも、夜中にドライブに行って車中泊というようなフットワークの軽い楽しいことを度々してみたのも、大好きなアーティストとお笑い芸人さんのライブに行ったのも、彼女の実家に帰省したのも、習い事を再開して久しぶりにステージに立ったのも、働きながら大学に入学したのも、彼女と一緒に初めてラジオを撮ったのも、23歳だった。振り返ると、たくさんの「初めて」が詰まった1年だった。
自分が傷つくことや失敗が、好きじゃなかった。
「失敗しても大丈夫」と、なかなか思えない性格だった。
自分に自信がなかった。
負けず嫌いで、0から100を目指したのに60までしか到達できないのなら0の方がましだ、なんて考えてしまう自分が、嫌だった。勝算があることにしか手を出さない自分の臆病さが嫌いで、変えたいと思った。
だから、23歳の1年間は、少しでもやりたいと思ったことは、とりあえずやってしまおう、と決めた。
楽しいことばかりじゃなかった。
特に、仕事と大学の勉強の両立はなかなか思うようにいかず、勉強の計画通りに進まないと、何もできていない、もう嫌だと、彼女の前でたくさん泣いて、何度も励ましてもらった。わたしは、綺麗に、つんとすまして努力ができるタイプではないんだなぁと思った。大学を卒業した友達はみんな趣味やサークル活動のことを楽しそうに話していて、試験が、レポートが大変だなんて1度も聞いたことがなかったのに、どうして自分だけ上手くできないんだろうと悲しくなった。
だけど、レポートの講評で褒められたり、成績に「秀」が並んでいたりすると、身体の奥から小さな自信が湧いてくるのを感じた。
なにかを辞めてしまいたくなったり、投げ出したくなる時、過去の自分に「あの時、これだけやったし、こんなふうに頑張ってきたから大丈夫」と励まされることなんてほとんど無かった。「努力は裏切らない、それは必ずしも望む結果をもたらすという意味ではなく、いつか傷ついた自分を肯定する材料にはなるよという意味で」と思うようになった。
頼むから自分を大切にしてくれと訴えてくれる恋人や友達のおかげで、自分を上手に肯定する方法を模索した。
「過ぎたことは、仕方ない」と思えるようになった。
1月あたりから、体調を崩すことが増えた。気の所為だと無視をして病院にも行かずにいたら、ゴールデンウィークを過ぎたあたりから、ずっと微熱が続いて、起き上がれなくなってしまった。病院に行って、不調に病名がついて、それでもまだ健康だと思いたくて薬を飲んだり飲まなかったり、自分を責めて、身体に無理をさせるようなことばかりしていた。夏になって、外で何度も倒れて、「これは気の所為ではなく、わたしは今不調で、無理をしたらずっと発作が起きるのだ」ということをやっと自覚して、薬をきちんと飲むようになったら、少しずつ状態が良くなってきた。
noteやTwitterを介して、大好きな友達が何人かできた。誕生日に、LINEギフトや絵や文章を書いて送ってくれる、画面の向こうの友達。
もともと、自分の弱さを出すことがすごく苦手で、現実の友達にはなかなか心の内を明かせないけれど、文字にすると、頭が整理されて、心が落ち着いた。
共鳴してくれることのあたたかさを身に染みて感じた。
連絡先を交換して、電話で心の内を話し合ったり、一緒に笑ったり、励まされたり、逆に、励ましたくなったりした。
友達だと思ってるから傷ついて欲しくない。頼むから今は休んでくれ。一緒に解決策を考えよう。今じゃなくていい。話していると落ち着く。インターネットで知り合った人達がかけてくれた優しい言葉のおかげで、人に心の内を明かすことは、そんなに悪いことばかりでは無いと思えるようになった。
いつもありがとう。いつか必ず会いに行くね。
いつも優しく、面白く、可愛く、頼もしくて、穏やかで心地の良い毎日を一緒に作ってくれる、大好きな恋人。何かあればすぐに声をかけてくれる、友達。適切な距離感を取ることにきっとお互いに奮闘している、母。いつまでも遠くからニヤリと笑いながら見守ってくれる、父。親友のような妹。
今年は、いつになくたくさん、お誕生日おめでとうという連絡を貰って、驚いた。
23歳は色々な人に支えられて、色々な人のことを想って過ごしてきたから、お祝いの言葉の数というのは、わたしが1年間にどれくらいの人を大切にできたか、ということと、比例しているのかもしれないなぁと思った。
24歳も、色々あったけど良かったかも、と言えるように、未知を怖がらず、面白く過ごしていきたい。
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