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【誰得?】退職エントリを読みたいと言われて day6.

まさか…と思ったそこのあなた。特に私をよく知る人たち。
−––いかにも。私は、自分の職務経歴書に新たな空白を追加した。 4日坊主でキャリアが長続きしない、私らしいタイトルだとは思わないかい?(*1)

昨年6月に入社してから、女子社員たちが計画している社内バレンタインイベントに堂々と不参加を表明するような空気読まない系の私(*2)を笑顔で受容してくれる素敵な人たちの中に身を置き、大好きな先輩方からたくさんのことを学び、ワンオペ育児中だった私への正社員登用のありがたいお話を蹴ってアルバイトとして働き続け、ついに今年の3月末に退社した。

その経緯を、少々唐突ではあるがWantedly風に書いてみようと思う。

Wantedly風って、つまりナニ?

もう周知の事実すぎて解説の必要もないかもしれないが、Wantedly(ウォンテッドリー)とは、かの有名な「自分はどんな人間か」「企業にどんな人材が必要か」という求職側と求人側の双方の人柄とパッションをマッチングさせるサイトである。求職側は居場所を、求人側は即戦力を探せるので、ベンチャー企業は常に愛と情熱を込めた言葉で有志のリクルートに繰り出す。

その際に企業側の紹介として書く大見出しが以下の4項目。

・何をやっているのか(WHAT)
・なぜやっているのか(WHY)
・どうやっているのか(HOW)
・こんなことやります(募集詳細)

多少の文章力の差はあるにせよ、この4項目のおかげで各企業側のメッセージが順序よく掘り下げられていて、企業の事業内容や大切にしていること、雰囲気などが読み取れる。この段階に分けた説明方法を応用し、私の場合は事業を縦に掘り進めるのではなく、過去形の見出しを付けながら時系列で振り返ってみようと思う。

なお、この記事は「退職エントリ書いてくださいよ」と同僚に言われたことや、先輩から軌跡を残しておくと良いよとアドバイスを受けたために書いてみることにした。
産後記憶力がだいぶ低下してしまったので、自分がいつか立ち止まってしまったときに、いつでも立ち返れる私のスタート地点として記しておく。
それはそれは長い駄文だけれど、どこかで燻っている履歴書空白優勢組、尖ったスキル無い系や進路迷子など、似た境遇の誰かの安心材料として届くといいなと思っている。

目次

①何をやっていたのか
②なぜ辞めたのか 
③どうやって辞めたのか 

④これからこんなことをやります


①なにをやっていたのか

私は昨年6月から今年の3月末まで、官公庁や大手企業等から事業を受注しているベンチャー企業にて、ライター兼SNS担当として勤務した。
細々と記事を執筆・寄稿したりブログをしたためているのを見てくれていた先輩が、私が日本に完全帰国したタイミングで声をかけてくれたのがきっかけで入社。

ベンチャーあるあるな人材不足と私の当初のやる気のマッチングもうまく作用した。SEO対策のためこうするといいのではないか、とお試し記事を作成した結果、ありがたいことに新規事業のイベント記事はすべて執筆を担当、SNS投稿文もほぼ一任していただけて、最終的には他事業の記事執筆やSNS投稿も任せてもらえるようになった(繰り返しますが人材不足)(大事なことなので2回言いましたよ)。

広報の先輩と阿吽の呼吸で連携し、文字通り一字一句にこだわって作り上げたプレスリリースを何本も発出したことは、汗と涙で走り抜ける青春の再来のようにも感じられ、何にも代え難い経験であった。

繁忙期以外では、会社のメンバー全員とteams上でやりとりをしてメンバー紹介スライドをまとめ、社内報を製作。起業家や芸術家、プロスポーツ選手などユニークなメンバーが集まる企業だったため、事業部を跨いで色々な人たちとコミュニケーションを取れるのは、人と関わるのが好きな私にとってはかなりの役得だったと思う。

②なぜ辞めたのか

それでは、そんなにやりがいのある仕事を、なぜ私がやめる事にしたのかをお話ししよう。

実は、かなり早い段階から何度か退職の2文字は頭に浮かんでいた。
一番最初は、仕事に慣れる前に心が折れてしまったとき。ベンチャーらしいスピードの速さと入社当初からのフルリモートワークで、訳がわからないままteams上の資料を探し出しては読み込んで終わる日々が続き(しかも数年振りのWindows、エイトってなに∞?から始まる)、一部上場の大手企業数社で手取り足取りOJTを受けてきた身としては、産後育児中且つ数年振りの会社勤務でハードルが高く感じられた。しかし、先輩に紹介してもらった義理もあり3ヶ月は頑張ろうと決意して踏み止まる。そのうちに自分の立ち位置も見えてきたため、少しずつ仕事は快適になっていった。

次は、会社の方針に疑問を抱いたとき。共感して入社を決めた会社のミッションを変えるという一大イベントがあり、心がぐらついた。あとは給与体系や組織編成の件など、諸般の事情でモヤっとすることがあったのは事実。

最後に退職を決めた決定的な理由は自分の中にあって、それは「起業しようと決めた」から。きっかけは3点。まずは、会社事業である起業サポートの裏方で働きながら新規事業を興す型を学んだこと(*3)。次に、一緒に働く仲間やクライアントにも起業家が多くいて刺激を受けたこと。そして、個人事業主やスモールビジネスに興味があると話したら二言目には「応援しますよ!」「一緒にやりましょう」「いつでも相談してね」と言ってくれた仲間がいたこと。やるなら鉄が熱い今でしょ、と心の中の林先生が後押し。

会社を退職すると決めたのが昨年の暮れ頃。所属チームのクライアントと契約満了となる3月末までは全力で取り組むと決めて先輩に伝えた。自分なりにやり切ってから退職できたため、現在は思い残すことなく次に向かって準備をして過ごせている。

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③どうやって辞めたのか

辞めることを決意してから、退職日までの流れをざっとおさらい。

・昨年11月頃に、先輩に退職の意思を伝える
当初は年末に退職するつもりだったが、12月退社のメンバーが複数いた都合上、上長へ言い出すタイミングを逃す。

・退職の旨を誰にどの順番で話すかフローを考える
辞めるなら絶対に円満退社!と思っていたため、当初はお世話になった方から順にちゃんと自分の口から説明しようと計画。しかしどこかで話が漏れていて途中で頓挫。誰が知っていて知らないのかわからず、コロナ第3波の余韻も相俟ってなかなかオフィスで顔を合わせなくなり、途中から「もうお聞き及びかと思いますが」とメッセージを送るようになった。すみません。
結構早い段階で経営層とは話し合いの機会を設けて、各業務を引き継ぐ相手も決められ、退職する前に引き継ぎも済ませられた。産休育休に入ってしまったママさん数名、採用時にお世話になったので直接お話し&お礼がしたかったなぁという気持ちはチラッと残るが、概ね満足。

・残りの勤務期間を有意義に過ごす方法を考える
幸運なことに、先輩がとても親身になってくれる人だったので、退職までの期間に私がやりたい業務をヒアリング、身につけておくといいスキルや経験を一緒に考えてくれることに。
「私がやってるプレスリリースは達成感あるよ、一緒にやる?」と打診してくれてから共同で作成させてもらえることになった。もし今後フリーランスで数足の草鞋の中のひとつとしてライターの道を選んだとしても、プレスリリースを作った経験は自身の強みになると思う。

・必要な書類や手続き、返却物を揃えて退職!
退職の手続き書面や機密保持契約書にサイン、返却物を揃えてコーポレートに提出。静かに辞めたかったので最終日は出社人数の少ない日を選んだのだけど、先輩がサプライズで花束を準備してくれていて、出社していた皆が拍手で送り出してくれたので、最後までやり切ってよかったなぁと実感。
日本に帰国してから一度も家族以外と外でお酒を飲んだことはなかったけれど、この日初めて、アクリルパネル越しに先輩と一杯だけワインを飲んで30分で帰った。入社から退社まで、先輩にはお世話になりっぱなしで、何から何まで感謝していることを伝えた。

④こんなことやります

さて、仕事を辞めて2ヶ月ちょっと。
現在何をしているのかというと「③なぜ辞めたのか」の理由にある通り、起業をするべく様々準備をしている最中である。それにしても、アイデアが浮かぶ代わりに頭がとっ散らかって収拾がつかなくなるのが私の悪い癖なので、起業のこと忘れてないよ!ちゃんと動いてるよ!連絡も途切れ途切れでごめんね!と思いながら仲間にたまに進捗報告をしつつ、やっていることを整理していっている(それでも連絡少なくて各方面の皆さま本当に本当に申し訳ありません)(いつも本当にありがとうございます)。


事業の屋台骨になるミッションはそこそこ決まってきたけれど、お目見えまではもうちょっと寝かせておくとして。私が自信を持てる「センス」と「目利き」と「コミュニケーション力」と「海外の人脈」「文章」を駆使してやっていこうと思う。その話はまた別の記事で。

仕事を辞めると、途端に難しくなるのがタイムマネジメント。家にいれば何かしら家事や育児のよしなしごとが目についてしまって、気付けば一日が終わってしまう。これはまずいぞと危機感を募らせ、起業家や準備段階の人向けのプログラムに応募しようと思っているところでもある。

進捗をまた不定期にnoteに更新していく予定なので、見守ってやるよ!とかご笑覧してやるよ!という方はぜひ引き続きよろしくお願いいたしたく。

今日もここまで読み切ってくれてありがとう。



(*1)当noteの一番最初のエントリー参照のこと。day1.さよならさんかく、資格は空白。履歴書を書くのはもうウンザリ

(*2)私は多感な時期にフランス留学を経験したり欧米出身の友人たちに囲まれて過ごしたため、メンタルが一部欧米化している。よって義理チョコ等贈らない主義だが、代わりに普段から感謝を言葉で伝えるようにしている。ちなみにこのときは単純にワンオペ育児と仕事が忙しく準備の時間が取れなかったことが一番の要因。

(*3)新規事業を興す型を学んだからといって、事業を興せるかどうかはまた別のお話。


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